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【アベベ】
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無名ランナーから金メダリストへ
「あの11番は誰なんだ?」
優勝候補でもない。
ノーマークのアフリカ系選手がよく食らいついてくる。
彼らは選手一覧を見たものの、アベベ・ビキラという名前、生年月日、エチオピア出身であること以外には身長体重しか情報がありません。
最高記録、成績、家族構成といったネタは無し。
どの記者も知りませんでした。
戸惑いながらも彼らは平静を取り戻そうとします。
どうせポッと出のまぐれだろう。勝つハズがない。
そう思ったのでしょう。
しかし、予想に反して40キロ地点を越えても、この11番はもう一人の選手とトップ争いを繰り広げているのです。
辺りは暗くなり、松明で照らされる中、気がつけば11番のアベベが先頭でゴールをしておりました。
これには凱旋門にいた記者たちも、ゴールで待ち受ける観衆も大興奮!
タイムは2時間15分16秒2――世界最高記録でした。
しかも足下は裸足なのです。
かくしてエチオピア初のメダリストとなったアベベは、こう答えたのでした。
「エチオピアはまだ貧しく、乗り物も充分ではありません。どこへ行くにしても、自分の脚が頼りなのです。40キロくらい、どうということはないのです」
そんなアベベが帰国すると、エチオピアは大歓迎でした。
皇帝のハイレ・セラシエ1世は直々に祝辞を述べ、勲章と金の指輪を贈ったたほどです。
エチオピアのみならず、アフリカ大陸全体も熱気に沸き立ちました。
アフリカ大陸初の金メダリストでもあったからです。
オリンピックは、世界のスポーツ祭典という名目で始まったものではあります。
しかし、それはあくまで名目上の話。
ヨーロッパを中心とした国力誇示のためでもあり、ヒトラーが前面に立った1936年ベルリン五輪のように、政治利用されてきた一面があります。
そんなオリンピックにおいて、ついにアフリカ大陸からメダリストが出た。
大きな意義がありました。
東京五輪での連覇
アベベには、日本からも高い関心が寄せられました。
次のオリンピックが東京開催だったからです。
あの裸足のランナーが見たい!
日本中がわくわくしながら待ち受けておりました。
1964年10月——この五輪で、エチオピアの旗手はアベベでした。
しかし、彼とニスカネンは不安を抱えていました。
マラソン競技の35日前、急性盲腸炎の開腹手術を受けていたのです。
いくらあのアベベとはいえ、そんな短期間で回復できるのか?
当然、調整や練習も思い通りではありません。
マラソン競技は10月21日に実施。
アベベは「伝説を作るのは一度で充分」と言い、今回はドイツ製のスニーカーを履いていました。
そして120万人の観客が見守る中、マラソン選手団が東京を駆け抜けていきます。
先頭はアベベ含めた三選手でした。
が、徐々にアベベが引き離し、実に20キロ地点で独走状態となります。
日本人観客は、二位を走り最終盤で追い抜かれ、三位になってしまった円谷選手に歓声を送っていました。
しかし、それだけではありません。
ひたむきに走るアベベの姿は、まるで「哲人」のようだと評されたほどでした。
二連覇を達成して、エチオピア国旗がまたしても真ん中に翻る中、アベベはこう述べます。
「敵は他の選手ではない。私自身だ。私は、私自身に勝利した」
彼の脳裏にあるのは、次のメキシコ五輪制覇でした。
1968年メキシコ五輪で奇跡は……
しかし、その奇跡は起こりませんでした。
4年後のメキシコ五輪でアベベは、16キロの地点でしゃがみこみリタイアしてしまったのです。
それが彼にとって最後の五輪でした。
体力の限界を迎えたわけじゃありません。
1969年、自動車事故により脊椎を損傷したのです。
走ることはおろか、歩くことすらできなくなってしまったアベベ。
世界中がこの喪失に沈む中、アベベは不屈の意志を見せます。
まだパラリンピックがない時代でしたが、車椅子競技大会にアーチェリーや卓球の選手として出場したのです。
1971年に開催された障害者スポーツ犬ぞり競技では、一位を獲得したこともありました。
凄まじい精神力としか言いようがありません。1972年のミュンヘン五輪には、ゲストとして参加しております。
自らの脚でなくとも、走り続ける人生でした。
彼自身は、いつまでも注目を浴びることに疲れていた面もありましたが、英雄となってしまい、そのことを言い出せる雰囲気ではありません。
その翌1973年、交通事故の後遺症である脳内出血によって、アベベは息を引き取りました。
享年43という若さ。
最期まで人生というレースを走り続けた、哲人の死でした。
文:小檜山青
【参考】
山田一廣『アベベを覚えてますか』(→amazon)
学研教育出版『スポーツ感動物語 第2期〈5〉天才と努力』(→amazon)