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【アベベ】
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シューズを履くべきか? 裸足か?
アベベとニスカネンは本番一ヶ月前にローマ入りしました。
環境に適応するため、念入りに練習をする二人。
たっぷり睡眠を取り、時差や慣れない食事などを少しずつ解消していきます。
しかし、思わぬアクシデントが起こってしまうのです。
本番まであと二日というそのとき、シューズがついに音を上げてしまいました。
イタリアで靴を買おうにも、フィットするものが見つからない。
絶望的な状況ですが、アベベは迷いませんでした。
イタリアの道は整備されており、砂利やガラス片で怪我をすることはない。
なんならシューズを履くと、どうしても重いし、裸足には慣れている——。
当日スタート直前。
一人の記者が面食らって、アベベに駆け寄ってきました。
「裸足で走るんですか? いいんですか? 途中でダメになったらどうします?」
「最後まで走りきる自信がなければ、マラソンに出場などしません」
アベベはきっぱりと言い切り、スタートを切ったのです。
彼は、ニスカネンの指示を念頭に置いて走り始めました。
20キロまでは本気を出さない。
30キロまではトップに立つな。
それでも、優勝候補の選手の動きは気にしておくように――。
このときのマラソンコースは、風光明媚で歴史あるローマを巡るため、「走るオペラ」と呼ばれたほどでした。
カラカラ大浴場、アッピア街道を通り、コンスタンティヌスの凱旋門をゴールに目指すのです。
選手の先頭集団が35キロ地点にやってくると、凱旋門で見守る記者たちはざわめき始めました。
ニスカネンの指示通り、アベベが本気を出し始めたのです。
無名ランナーから金メダリストへ
「あの11番は誰なんだ?」
優勝候補でもない。
ノーマークのアフリカ系選手がよく食らいついてくる。
彼らは選手一覧を見たものの、アベベ・ビキラという名前、生年月日、エチオピア出身であること以外には身長体重しか情報がありません。
最高記録、成績、家族構成といったネタは無し。
どの記者も知りませんでした。
戸惑いながらも彼らは平静を取り戻そうとします。
どうせポッと出のまぐれだろう。勝つハズがない。
そう思ったのでしょう。
しかし、予想に反して40キロ地点を越えても、この11番はもう一人の選手とトップ争いを繰り広げているのです。
辺りは暗くなり、松明で照らされる中、気がつけば11番のアベベが先頭でゴールをしておりました。
これには凱旋門にいた記者たちも、ゴールで待ち受ける観衆も大興奮!
タイムは2時間15分16秒2――世界最高記録でした。
しかも足下は裸足なのです。
かくしてエチオピア初のメダリストとなったアベベは、こう答えたのでした。
「エチオピアはまだ貧しく、乗り物も充分ではありません。どこへ行くにしても、自分の脚が頼りなのです。40キロくらい、どうということはないのです」
そんなアベベが帰国すると、エチオピアは大歓迎でした。
皇帝のハイレ・セラシエ1世は直々に祝辞を述べ、勲章と金の指輪を贈ったたほどです。
エチオピアのみならず、アフリカ大陸全体も熱気に沸き立ちました。
アフリカ大陸初の金メダリストでもあったからです。
オリンピックは、世界のスポーツ祭典という名目で始まったものではあります。
しかし、それはあくまで名目上の話。
ヨーロッパを中心とした国力誇示のためでもあり、ヒトラーが前面に立った1936年ベルリン五輪のように、政治利用されてきた一面があります。
そんなオリンピックにおいて、ついにアフリカ大陸からメダリストが出た。
大きな意義がありました。
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