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【死神コレラとジョン・スノウ】
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14才で外科医に弟子入り そして女王のもとへ
1813年、スノウは貧しい労働者の家に生まれました。
医師を志し、外科医に弟子入りしたのが14才。まずは炭鉱医となり、その後、医学校で正式な教育を受け、ロンドン大学で学士を取得すると、エーテル麻酔、クロロホルム麻酔を研究し、麻酔専門医に。
そして、ヴィクトリア女王の分娩時に麻酔をかけるという大役を授かるのです。
まさに大出世と言えるでしょう。
スノウが、単なる成り上がり者で終わらず、スーパードクターになった所以は、それからのこと。1854年、コレラが流行していた地区に自ら出向き、患者の発生状況の調査を行ったのです。
当時、コレラは汚れた空気が原因とされておりました。
が、この説に疑問を持っていたスノウは「患者の出た家が飛び飛びである」ことに着目。
その発生状況をマッピング(地図に記していく)し、最終的にブロードストリートにある井戸が原因だとの結論に達しました。
実際、この報告を受けた行政が井戸のポンプを外すことで、コレラの流行は終息を迎えたのです。
スノウがやったように「集団においての健康や病気に関わる要因」を調べる方法は『疫学』と呼ばれ、この方法を初めて用いた彼は『疫学の祖』と呼ばれています。
そうそう、コレラ菌に汚染されていたこの井戸の跡には、その業績を称えるモニュメントが作られています。
近くには「ジョン•スノウBAR」もあるようです。スノウは酒嫌いだったのにね(笑)。
そして約30年後、1884年にドイツの細菌学者コッホがコレラ菌を発見。その後、医学の発展や防疫体制の強化などで、古典型コレラの世界的流行は起こらなくなりました。
ただし現在も、主に発展途上国でコレラは発生しており、根絶やしにされたワケではありません。
仁先生! カリウムが足りないので昆布だし!
ここからは、ちょっとしたオマケを。
コレラ治療のメインは「下痢、嘔吐で失われた水分と電解質を補う」ことです。
点滴が可能な環境であれば腸管安静をはかり、点滴で水分を補給。点滴物品が不足する国ではコレラの脱水治療に経口補水液を用いることもあります。
WHOが推奨する補水液の組成は1リットルに、ブドウ糖 20g、塩化ナトリウム3.5g、炭酸水素ナトリウム2.5g、塩化カリウム1.5gの割合で溶かしたものになります。
ドラマ『仁─JIN─』でも仁先生がコレラ(コロリ)患者に使っていましたね。
ここで生意気にも馬ちゃん先生がアドバイスしちゃいます。
仁先生のレシピで水1升に、塩2匁、砂糖10匁ではコロリ患者に対しカリウム不足です。柑橘類の果汁も考えましたが、「昆布だし」を加えるとカリウムが補えますよ!
まぁ、その後に江戸時代でも点滴やっちゃうウルトラCは私じゃ無理ですけどね……。
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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◆拙著『戦後国診察室2』よろしければご覧ください!
【参考】
日本BD(→link)
MSD(→link)
厚生労働省(→link)
対訳医学史(→link)
コレラ/Wikipedia
疫学/Wikipedia