ほんのちょっとしたことがきっかけで、取り返しがつかなくなる――というのは、残念ながらよくある話。
水と氷を互いの状態にすることはできますが、ゆで卵を生卵に戻すことはできないですよね。
こう書くといかにも悲劇に繋がりそうな感じがしますが、そういう状況と共生している人たちがいます。
1962年5月27日は、アメリカ・セントラリアの坑内火災が始まったとされる日です。
ドキュメンタリーなどでも扱われることが多いですし、某ホラーゲームのモデルにもなっていたりして、割と有名なところですよね。
この土地の歴史からみていきましょう。
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一時は2700人が暮らし、郵便局も作られた街で
セントラリア周辺は、アメリカ独立前にインディアンから白人に売られたといわれています。
独立直後あたりから炭田があることがわかっていたのですが、その後、土地の所有者が点々としたこともあり、採掘が始まったのはずっと後のことでした。
19世紀後半に周辺が開発。
住居や石炭を輸送するための鉄道が敷設されてから鉱山が開業しています。
1890年には2700人ほどが住み、教会・ホテル・劇場・銀行・郵便局などのインフラや娯楽施設が整った、立派な町でした。
第一次世界大戦やその後の不況で働き手が激減したこともあり、一部の鉱山が封鎖されたが、採掘はしばらく続きます。
ここで取れる「無煙炭」(質が高く煙が出にくい石炭)は、この地域にとって貴重な収入源だったからです。
坑内火災が始まった明確な理由は確定していません。
「1962年5月27日に街の清掃を行ったボランティアの消防士が、ゴミを燃やしたのがきっかけで地下の石炭に引火した」というのが最も有名な説です。
これが正しいとすると完全に人災なのですが、訴訟や損害賠償などの一悶着はなかったんですかね……不可抗力とはいえ。
一酸化炭素入りの煙で結局ゴーストタウンに
発生の経緯がよくわからなかったためか、当時は地下火災に対する反応が二分されていたようです。
地上の火事と違って、すぐには人命の危険や目に見える害がわからなかったから……のようで。そりゃそうだ。
地下を掘削して原因調査や鎮火が試みられたものの、火が広がる速度のほうが早いのであっさり断念されてしまいました。
厳冬によって、注水に使う予定だった川が凍ってしまったことも一因でしょう。
早くも火災発生の翌年、1963年には人為的な鎮火は不可能と判断され、自然鎮火を待つことになりました。
しかし、そのうち道路に亀裂が入ったり、1980年代には地下から一酸化炭素を含んだ煙が噴き出したことにより、住民への健康被害が多発。
1984年ごろから自治体が主導して町の移転が始まり、1992年には州知事から避難命令が出されています。
2002年にはセントラリアの郵便番号が廃止され、隔絶した状況となりましたが、現在でも数世帯が住んでいるとか。
2012年あたりからセントラリア周辺の大気汚染については問題ないと判断されたらしく、新たに退去命令が出ることもなくなったようです。
もっとも、それまでにほとんどの建物が取り壊されていたり、道路が封鎖されたりしているのですが。
ちなみに、セントラリアはニューヨークから西に240kmほどしか離れていません。
日本でいえば、東京~松本市くらいの距離で何十年も地下火災が続いているわけです。
国としてかなり問題なような気がしますが、「近づかなければどうということはない」からいいんですかね……。
セントラリアの坑内火災は、鎮火する見込みがあるのかどうかも不明です。
類似の火災は世界中で起きていますが、自然鎮火までに1500年ほどかかったところもありますし、数千年単位で燃え続けているところもあります。そのくらい、地下火災というのは人の手に余る現象なのです。
そこで今回は、世界中で発生した地下火災が如何なる状況をもたらしたのか。簡単にまとめてみました。
ドイツ ブレンネンダー・ベルク
1688年に始まったといわれる、炭層(石炭がある地下層)火災です。
セントラリア同様、正確な火災の原因はわかっていません。
自然発火、もしくは「羊飼いが近くの木の切り株に火をつけたのが燃え移った」といわれています。その切り株どんだけ地下深くまであったんですかね。
かつては、岩の割れ目から熱せられて赤くなっている部分を見ることができたのだとか。そのためか、いつしか観光地化していきました。
有名人では、ゲーテ(「神曲」の作者)もここを訪れていて、記念碑もあります。口コミも多いし、修学旅行や遠足などでもよく行く場所だそうで。
危険がないのならいいんですが、何だかなあという気もしますね。
オーストラリア 通称「燃える山」
正式な名前は「ウィンジェン山」といいます。
ブレンネンダー・ベルクと同じく炭層火災と見られているのですが、推定5500~6000年前から燃え続けているとされるケタ違いの期間を誇ります。四大文明もびっくりです。
シドニーの北約300kmに位置しているのですが、ただでさえオーストラリアは森林火災など「火」で悩まされているというのに、おっかなくないんですかね……。
アボリジニたちはこのあたりから噴き出す熱風を利用して、料理や道具作りをしてきたとか。
たくましすぎるっちゅーか、こちらも、西洋人がオーストラリアに移り住んできてからは観光地化しています。
硫黄の香りがするので、日本人からすれば温泉の近くに似ていると思える……かもしれませんね。
数千年燃えているものが人間にどうこうできる可能性は限りなく低いですが、周辺の地盤沈下など問題も起き始めているので、今後何かしらの対策が行われるかもしれません。
硫黄が燃えているとしたら、かなりの経済的損失にもなっているでしょうしね。
インド北東部 ジャリア地区
1916年から燃え続けているとされる炭鉱火災があるそうです。
規模も期間もセントラリアを凌駕しますが、ここで石炭をこっそり採掘して売り、その日暮らしをしている人も多いとか。
貧困が主な原因ですが、地表の温度上昇や有毒ガス、家屋の倒壊など、他の問題も山積みです。
最近では「インドの経済成長は著しい」という話題が多くなってきましたけれども、その富は格差改善やこうした国内の問題のために使われているんですかね……。
日本にも夕張市の通称「神通坑」と呼ばれるところで、大正時代から鎮火していない地下火災が続いているそうです。
今は地元の方にも忘れられつつあり、もう獣道をたどらないと行けないような状態になっているとか。
他に、ガス田に引火したことにより燃え続けている火災もあります。
トルクメニスタン 地獄の門
ダルヴァザという町の近くにある、ガス田の炎です。
1971年にソ連がボーリング調査をした際に落盤事故が起き、50~100mものでかい穴が開いてしまうという、「うっかりってレベルじゃねーぞ!」な事態となりました。
そして、有毒ガスが噴き出すのを防ぐために点火したために、2017年現在も燃え続けているといいます。
地下から延々とガスが出てくるために、半永久的に燃え続けることになってしまいました。
天然ガスは貴重な資源で、一国の経済を動かすだけの価値があるだけに、とんでもない人災ともいえるでしょう。
当のソ連政府がなくなってしまったために、責任を問うこともできませんし。ロシア政府はその……うん……。
観光名所として扱うことにより、収入源にはなっていますが、ガス田として利用していた場合よりは遥かに少ないでしょうね。
最近では近隣のガス田開発のため、地獄の門をどうにかしようという動きもあるとかないとか。
一か所だけでも手に負えないのに、引火でもしたら国が炎上(物理)してしまいますものね。
インドネシア イジェン山
硫黄鉱山として、現在も採掘が行われている山なのですが、一部で硫黄ガスが燃焼し、約600℃の青い炎が立ち上っています。
アルミニウムの融点が660℃ですから、場所によってはアルミ缶が融けるかもしれませんね(※実践しないでください)。
ナショナルジオグラフィックに取り扱われたことがきっかけで、こちらも観光客が激増しているとか。
他に「地表に炎が出ているにもかかわらず、何が燃えているのか原理が不明」という摩訶不思議アドベンチャーな、アメリカのエターナル・フレイム・フォールというところがあります。
しかも、周辺はキャンプや釣りで人が出入りする公園だというのがさらに謎です。
科学に関する新世界の七不思議を選定するとしたら、まず間違いなく入るでしょうね。
ちなみにここは、セントラリアから西に480kmくらいしか離れていません。このエリアやべえ(小並感)
前述の通り、観光地化しているところも多いので、比較的間近で見ることも可能ですが、行かれる際はくれぐれもお気をつけください。
長月 七紀・記
【参考】
セントラリア_(ペンシルベニア州)/Wikipedia
Centralia,_Pennsylvania/Wikipedia
Centralia_mine_fire/Wikipedia
sign(→link)
NATIONAL GEOGRAPHIC(→link)
ダルヴァザ/Wikipedia
ブレンネンダー・ベルク/Wikipedia
燃える山/Wikipedia