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【コロンブス・デーの歴史的根拠は?】
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地球が丸いと証明した訳では無いし
米国の小学校では、コロンブスは1492年に東インド諸島(今で言う東南アジア)への新しいルートを発見するために船出したと、長年に渡って教えられてきたそうです。
その当時、地球は平らだと考えていた船乗りらは、自分達がどこかに落ちてしまうのではないかと恐れていたとも教えられるとの事。
それが上手く行ったのだから、地球が丸いと証明したのがコロンブスなのだという風に話が行き着いているらしい。
ワシントン・ポストでは、これにも異議を唱えます。
紀元前6世紀にギリシャのピタゴラスが地球は丸いと提唱し、後にはアリストテレスやユークリッドが賛同します。
実際、コロンブスは航海に当たりプトレマイオスの「ゲオグラフィア」という地理についての著作を持っていたそうです。プトレマイオスはローマ時代の地理学者で、地球は丸いと唱えていました。
この他にも、13世紀から16世紀にかけて、地球が球体であるとの議論は欧州であったのですって。
従って、コロンブスも地球が平らなどとは露とも思っていなかったものの、その大きさについては考え違いをしていた(だから西回りでの方がアジアに早く到達出来ると信じ込んでしまった)としています。
同紙では、白人の北米大陸発見者第一号では無いとも指摘しています。
「白人で北米大陸を最初に発見したのはコロンブスより500年前のバイキングだったんだぞ」と書いているからです。
レイフ・エリクソンという名前のバイキングでして、今日のカナダに到達していたとされています。
また、白人と見なすべきかどうかは微妙ですが、フェニキア人が大西洋を遙か昔に渡っていた可能性も指摘されています。
トドメは船の名前も違うし
そして読者の皆様も初耳だと思えるのが、乗っていた帆船の名前。
ニーニャ、ピンタ、サンタ・マリアの各船ですが、「恐らくこれは本当の名前では無い」とのこと(ポスト紙)。
サンタ・マリアは当時「ラ・ガレーガ」(『ガリシア人』という意味)という名前で通っていたそうです。
ニーニャにしても、今日ではニックネームだろうと考えられており、元の名前はサンタ・クララという名前だろうと推定されています。
ピンタも同様と思われますが、こちらは元の名前が不明なままなのだそうです。
こうして見ると、今まで習ってきた事って、一体何だったんだろうとすら思わされますね(汗)。
とはいえ休日が減るのは嫌だろうし、さりとて逮捕者が出るのを見るのも嫌って所なのでしょう。
アメリカの悩みは深い?
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南如水・記