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【捕鯨船エセックス号】
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死の籤引
もう一艘は、ポラード船長ら8名が乗り込んでいました。
こちらはチェイスほど厳格に食糧管理をしなかったのか、1月20日には食料が尽きています。
そしてこの頃から続けて体力の尽きた者たちが、4名亡くなりました。
彼らもまた人肉食を選ぶほかありませんでした。
生存者4名は僅かな肉を分け合っていましたが、それもやがて尽きました……彼らは黙りこくっていましたが、同じ事を考えていました。
「誰か一人を犠牲にして生き延びよう……」
最年少16才のラムズデルが、そう提案します。
こういうとき、船乗りの掟では、くじ引きで犠牲者を決めることになっていました。
しかしポラード船長は首を横に振ります。
「そんなことできるか! 私が死んだら、食料にしてくれ」
ナンタケットの人々はクエーカー教徒でした。彼らは殺人も、くじ引きのような賭け事も嫌っていたのです。
「彼の言う通りだと、俺も思う……」
そう賛成したのは、ポラード船長の従弟に当たる18才のコフィンでした。
従弟に言われては、もはや船長といえども反対できませんでした。
4人は運命のくじを引きます。そして……コフィンが印のついたくじを引きあてたのです。
ポラード船長が悲痛な声をあげました。
「よりにもよってお前だなんて! 私が身代わりになる! お前に触れる奴がいたら殺してやる!」
しかしコフィンは「俺は不満なんてないよ」と言います。
次のくじ引きは、コフィンを殺害する者を決めるものでした。
今度の当たりは、ラムズデルです。
自らの提案であるにも関わらず、彼は拒みました。ラムズデルにとって、コフィンは親友であったのです。
ラムズデルは抵抗していたものの、やがて覚悟を決めました。
コフィンは、母親宛のメッセージをポラード船長に託しました。
「くじ引きは公平だった……」
コフィンはそう言い、静かに頭をボートの淵に乗せ、撃たれました。
息絶えた少年の体は、あっという間に解体され、食料と化しました。
ポラード船長とラムズデルは、コフィンとこのあと亡くなった一人の肉を喰らい、骨を砕き、その髄液をすすりながら生き延びていました。
1821年2月23日。
エセックス号沈没から94日目。
ナンタケット発の捕鯨船が彼らを発見したとき、骸骨のような二人は骨をかじりながらうつろな目をしていて、何が起きたかもわからない様子でした。
それでも彼らは、生存したのです。
白鯨の上梓
こんな恐ろしい目にあったら海を見るのも嫌になりそうですが、ポラード船長以下、ナンタケットで生まれ育った海の男です。
彼らは回復するとまた海に戻りました。
チェイスは事件を記録した『捕鯨船エセックス号の驚くべき悲惨な難破の物語』という回想録を発行しました。
この回想録を読み、インスピレーションを受けたのが、作家のハーマン・ネルヴィルです。
彼は凶暴な白鯨に挑み続ける男を描いた小説『白鯨』を発表しました。
ちなみに鯨の襲撃で沈没させられた船は、エセックス号だけではありません。
このほかにも7件の記録があり、もっとも近年では1999年となります。
エセックス号の沈没――。
それは大自然の深淵さと人間の生……そんなことを痛感させられる悲劇であります。
なお、この事件を基にした映画『白鯨との戦い』は2015年に公開されています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
ナサニエル・フィルブリック/相原真理子『復讐する海―捕鯨船エセックス号の悲劇』(→amazon)