ヴォイニッチ手稿(絵が描かれた六つ折のページ)/wikipediaより引用

イギリス

正体不明のナゾ書物『ヴォイニッチ手稿』は天才ロジャー・ベーコンが書いた?

「早すぎた天才」みたいな言い回しって、たまに見かけますよね。

飛び抜けた頭脳のため時代の先へ行き過ぎてしまい、周囲にまったく理解されなくない――本日はそんな感じの学者さんです。

1294年(日本では鎌倉時代・永仁二年)6月11日は、イギリスの聖職者・学者であるロジャー・ベーコンが亡くなった日です。

当時の天才的学者として知られる方ですが、同時に『ヴォイニッチ手稿』という謎の書物を記した人物ではないか?とも言われたりする人です。

ロジャーとは一体何者なのか?
ヴォイニッチ手稿とは?

ロジャー・ベーコン/photo by MykReeve wikipediaより引用

 


家は没落すれどオックスフォードやパリ大学へ進学

彼は、ロンドンから南西210kmほどのところにあるイルチェスターという町に生まれました。

元はそこそこいい家柄だったようなのですが、当時の王様・ヘンリー3世の時代に政争に巻き込まれ、資産も地位も失ってしまった……といわれています。

この時代はフランスとのゴタゴタやら貴族同士の揉め事やら、あっちこっちで争いがあったため、ロジャーの家がどこに巻き込まれたのかよくわかりません(´・ω・`)

それでもオックスフォード大学やパリ大学で学べたというのです。
元の資産がよほど莫大だったのか、誰かスポンサーになってくれる人がいたか。

また、修道会フランシスコ会に入り、聖職者としての活動もしていました。

フランシスコ会とドミニコ会は学者が多く、学術界で名を知られていたためです。ロジャーも信仰からというより、探究心から入会したのかもしれません。

 


当時は「何言ってんだこいつ」扱い

当時の学者としては珍しく、ロジャーは実験や観察、そしてイスラム科学をベースとするところに特徴があります。
比較した結果、彼はヨーロッパの学問が多々問題を抱えていることに気づきました。

当時はギリシア語を学ぶという発想がなく、ギリシア哲学や古い聖書の写本があまり知られていませんでした。

しかしそれは、ロジャー自身が多国語に長けていたからこそ気付いたことでもあります。
「もっと他の言語も学ぶべきだ」と主張するロジャーに、「何言ってんだこいつ」(※イメージです)という反応をする学者がほとんどだったとか。

また、ロジャーは先人の追従にとどまることをよしとしませんでした。

「科学は、実験と観察を積み重ねた上に理論を構成するべきだ」と主張したのです。
現代では当たり前のことですが、当時はあまりにも斬新過ぎて受け入れられませんでした。

本人も名声を得られないことに憤慨していたばかりか、彼の主張は身内であるフランシスコ会でもあまり受け入れられず、著作活動を禁じられてしまいます。

一時は教皇クレメンス4世が
「お前の考え方気に入ったから、こっそり本にまとめておけ」(意訳)
と言ってくれたのですが、当の教皇世自身が亡くなってしまったため、ロジャーはフランシスコ会によって10年も投獄されてしまいました。

イギリスの貴族たちの要請によって開放されてはいますが、10年も閉じ込められて支障がないわけがないですよね。
晩年は百科事典を作ろうとして、結局、完成しなかったと言われています。

 


ロジャー・ベーコンは手稿の作者?ではないようで

かように頭脳キレッキレなお方でしたから、いつの頃からか
「ヴォイニッチ手稿の作者はロジャー・ベーコンでは?」
という説が出てきました。

ヴォイニッチ手稿とは、未解読文字や不思議なイラストで埋め尽くされた古文書です。

不思議なイラストと文章で埋め尽くされたヴォイニッチ手稿/Wikipediaより引用

個人のメモ書きと呼ぶにはボリューム満点の240頁にわたる分厚さで、1912年に発見され、未だ内容が解読されておりません。
といってもデタラメに書かれたものでないことはわかっており、ロジャーがその作者とされたんですね。

しかし最近の調査によって、「ヴォイニッチ手稿に使われている羊皮紙は1404~1438年頃に作られた」ということがわかっているので、少なくともロジャー作ではないことがはっきりしています。

ロジャー作者説では「薬草学の知識もしくは見解を宗教的迫害から守るために暗号化した」とされていました。わからなくもないですね。

ついでですから、ヴォイニッチ手稿の話をもう少し。

「まだ解読されていない暗号」などの話題で必ずといっていいほど話題に上る同書。
ヴォイニッチ手稿に関する最古の記録は、1582年にボヘミア王・ルドルフ2世がどこかから購入した、というものがあります。

つまり1404年~1582年までに書かれたものだということになります。
日本で言うと1582年って本能寺の変の年ですね。

ヴォイニッチ手稿(花のようなものが描かれたページ)/wikipediaより引用

もっとも、近い時代に書かれたのであれば、作者の名前や職業が伝わっていてもおかしくありません。
実際は1520年代くらいまでに書かれたんじゃないですかね。
半世紀も経つと、記録が散逸することも多いですし。

当時は錬金術関連の著作であると見なされていたらしく、あっちこっちの好事家やら王侯貴族やらの手を渡り歩いたようです。

1666年に一度記録が途絶え、次に記録が出てくるのは1866年。
ぴったり200年というのが実にうさんくさいというか、デキすぎというか。

教皇庁運営の大学であるグレゴリアン大学によって、ローマ近郊の大邸宅で収蔵されていたそうです。

そして1912年にグレゴリアン大学が財政難のため、蔵書の一部分を売却することになったとき、ポーランドの古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチが30冊まとめ買いした中に、この手稿があったといわれています。

だから「ヴォイニッチ(氏が世に広めた)手稿」という呼び方なんですね。

 

英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語等を混合した?

ヴォイニッチが亡くなった後の1969年、同書はアメリカのイェール大学に寄贈され、現在に至ります。

欠損しているページもありますが、現存しているページは最近PDF化6公開されましたので、世界中で見られるようになりました。
これにはさすがの著者も驚いているでしょう。

挿絵のほうはともかく、文章については研究の進歩がみられるようです。

1945年にヴォイニッチ手稿の解読に挑んだ”暗号の天才”ウィリアム・フリードマンは
「デタラメな文字の配列ではなく、人工言語ではないか」
という説を立てました。

「デタラメに書いた落書きだから暗号でもなんでもないよ」説もありますね。

2014年にはイギリス・ベッドフォードシャー大学の言語学者が
「アラビア語・ヘブライ語他中東の言語を手稿の文字パターンにあてはめる」
というやり方を試し、一部解読に成功したと主張したとか。

彼によると「インド・ヨーロッパ語族ではなく、セム語族またはコーカサス諸語、もしくはさらに東のアジアの言語」だそうです。

うーーーーーん。
なんだか「犯人は20~30代、もしくは40~50代の男性、あるいは女性」みたいな絞り方ですよね。

さらに、2017年4月にロシアの研究チームが
「英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、そしていくらかのラテン語を混合したもの」
「ケシから阿片を精製する方法」
などの発見をしたと報じられました。

詳しくは以下のニュースサイトで。

【謎の奇書「ヴォイニッチ手稿」ついに解読? ロシア研究者、「真相」へ一歩】

今度こそ本当に解読されるんですかね。
楽しみです。

有名なのは奇怪な植物のページや、数人の女性がプールに浸かっているようなイラストのページです。
人魚のような女性と四足歩行と思われる動物が描かれているページ、そして円盤のようなものが描かれたページもあります。

 


中国では10世紀から存在する「婦人病」の記述も?

さて、ここからは完全に個人的な意見というか、妄想のレベルのお話を少々。

仮にヴォイニッチ手稿に描かれている植物が薬草だとして、薬草+女性というと婦人病が連想されます。
著者は婦人病の治療法に関する研究でもしていたのでしょうか。だとしたら、下半身しか水に浸かっていないのも何となくわかる気がします。

西洋で婦人科学が生まれたのは19世紀だそうですが、中国では10世紀頃から現代の婦人病に近い「血の道症」という概念がありました。
さらに、中国では「神農」という医薬の神様がいます。
「神農の元にある伝説(架空)の薬草を湯に浸し、女性に入浴させれば婦人病が治る」みたいな内容だったりしませんかね。
これだけ有名な文書ですから、世界中に研究者がいるはずなのですけれども、中国の方はいらっしゃらないんでしょうか。

また、筆跡が何となくジャンヌ・ダルクのサインと似ているような気がします。

ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルクはなぜ処刑された?オルレアン包囲戦から最期の時まで

続きを見る

さすがにジャンヌが書いたというのはまずありえないでしょうけれども、ジャンヌと同じように文盲だったか、もしくは文盲に近い人がなんとか文章を書こうとしたものだったりして。
そうだとしたら、やたらと同じ単語と思しきものが連続している理由になる……かもしれないですよね。ただの感嘆詞という可能性もありますが。
妄想終わり。

何にせよ、暗号とは伝えたい相手が解き方をわからないと意味がなくなってしまうものです。

解読するための鍵になるものがどこかに?

長月 七紀・記

【参考】
ロジャー・ベーコン/Wikipedia
ヴォイニッチ手稿/Wikipedia


 



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