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【メアリー1世】
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国を乱した圧政者? 最近は再評価も進んでいる
母親がスペイン王女であったこと。カトリック国であったことから、メアリはずっと歳下の親類だったスペイン王子・フィリップ1世(フェリペ2世)との結婚を選びます。
結果、スペインとフランスの戦争にイングランドごと巻き込まれてしまいました。
もちろんタダでは済まず、百年戦争のとき唯一大陸側の領土として残っていたカレー(ライスじゃなくて港・現在は英仏海峡トンネルのフランス側出入り口がある街)も手放すことに……。
その上、子供が出来たと思ったら婦人科系の病気だったらしく、42歳で亡くなってしまうのです。
こうしたことからメアリー1世は長い間
【国内を引っ掻き回しただけで終わった圧政者】
として評判が悪い王様の一人でした。
しかし、最終的には嫌々ながらもエリザベス1世を後継者として認めていますし、最近では長生きしていればイングランドは本当にカトリック国に復帰していただろうとも言われており、再評価がされつつあるようです。
そもそも諸悪の根源はトーチャンが手のひらひっくり返したことですから、メアリーのやったことが完全にトンチンカンかというと「それはちょっと違うんでないの(´・ω・`)」という気がするんですよね。
プロテスタントの迫害だって、ある意味父親への反抗ですし。
まぁ、民衆には大迷惑以外の何物でもないですけども。
「あの子みたいにしなさい!」と言った同じ口で「うちはうち、よそはよそ」と言う親御さんはとても多いですが、それ、もしかしたらとんでもない種を蒔いているかもしれませんよ……なんて真冬の怪談風味で終わってみるテスト。
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【参考】
メアリー1世/wikipedia