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カルロス王子/wikipediaより引用

欧州

名作オペラ『ドン・カルロ』のモデル……悲運のカルロス王子は狂気のサイコパスだった!?

更新日:

1560年、スペイン・マドリード。
太子ドン・カルロは、フランスの王女・エリザベッタと出会い、愛し合いました。
しかし、政略結婚のためエリザベッタは、ドン・カルロの父であるフィリッポ2世の王妃にさせられてしまいます。
運命に引き裂かれる二人の恋は――。

ざっと、こんなあらすじの名作オペラ『ドン・カルロ』。
モデルはフェリペ2世の太子であったカルロス王子とされています。
しかし、史実を調べてみると、2人の物語はオペラほどにロマンチックではなかったようで……。

一体カルロ王子はどんな人物だったのか?

 

厩舎の馬を20頭潰し、小動物を串刺しにして焼き遊ぶ

名門スペイン王室。どうやらこの王家には、狂気の血統が流れ込んだようです。
夫を愛するあまり悲惨な一生を送った狂女フアナがその一例。フアナの祖母にあたるポルトガル王女・イザベルがその由来とされています。

さらにスペイン王室は近親結婚を繰り返します。

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その結果、だんだんと異常な王が誕生するようになったのでした。

ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545-1568)は、スペイン王フェリペ二世の長男として誕生。母のマリア・マヌエラは出産から、わずか四日後に命を落とします。

生まれた時からこの王子は異常でした。
乳房を強く噛み過ぎて、三人の乳母が重傷を負うほど。
彼の背中は曲がり、両足の長さは異なるという姿です。精神の遅滞も見られ、五歳まで話すことができませんでした。

成長するにしたがって、カルロスはサディズムに目覚めます。
召使いや使用人に暴力をふるう。
厩舎の馬を虐待し二十頭も駄目にしてしまう。
小動物を串刺しにして、炙り焼きにするのを楽しむ。
現代ならばサイコ事件としてワイドショーをお騒がせするレベルではないでしょうか。

カルロス王子/wikipediaより引用

こうした我が子の奇行に対し、父のフェリペ二世は頭を痛めていました。
彼にとって唯一の男子がこの問題児だからです。

1562年、ドン・カルロスは、勉学に興味を持って欲しいという父の願いにより、大学へ進学。そんなある日、大学の階段から転がりおちて頭部を強打してしまいます。
酷い怪我を負い、重体となったドン・カルロス。
懸命の治療で何とか危機を脱したかに見え……回復するにはしました。

しかし、負傷前により一層深刻な狂気に陥っていたのです。

 

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謀叛計画を告白したばっかりに……

よりひどくなった狂気とはいかなるものだったか?
例を挙げますと……。

使用人を殴り飛ばし窓の外から突き落とそうとする。
貴族に武器をつきつける。
作らせた靴が気に入らないと怒り、靴職人にその口を食べさせようとする。

これだけでもキツい行状ですが、彼は更に限度を超えます。
1567年12月、カルロスは聴罪師にこう告げたのです。

「あの男……父上を殺してやりたい」

聴罪師には守秘義務がありますが、さすがに黙っていられるわけもありません。

かくして我が子による父王への反逆が発覚すると、父のフェリペ二世はオランダから急遽帰国します。

そして年が明けた1月、カルロスの部屋に三人に男がやってきたのでした。
フェリペ二世、王の側近、聴罪師。
あわてて許しを請うドン・カルロスですが、時既に遅し。

カルロスは狭い塔に幽閉され、わずかな光しか射さない塔の中、狂気をさらに深めてゆき、結果、ドン・カルロスは1568年、父への反逆罪で死刑判決を受けることになります。

このときフェリペ二世は処刑するつもりはありませんでした。
塔の中ですぐに亡くなるだろう、と考えていたようです。
そしてその年のうちに、カルロスは巨大なケーキを食べたあと急死してしまいます。

享年23。
死因は「過食」と発表されました。

巷では「フェリペ二世による暗殺ではないか」という噂が流れたのでした。

 

父に婚約者をとられ、恨みに思っていた!?

話は少し遡り……。

奇行だらけの息子に希望を見いだせなくなったフェリペ二世は、我が子に王位を継がせることは諦めておりました。それでも年頃のカルロスには、各国の王女たちからの縁談が持ち上がります。

その中にカルロスの14歳年上であるエリザベス一世(父・フェリペ二世の義妹)がおりました。

このフランス王女エリザベート・ド・ヴァロワと、カルロスは婚約。
しかし、この縁談は実りません。

1560年、あろうことかカルロスの父・フェリペ二世がエリザベートと結婚したのです。

父を殺したい――。
カルロスが父・フェリペ二世をさほどに憎んだ背景には、こうした事情があったのかもしれません。

かくして2人の間に悲恋があった、という設定のもと、戯曲『スペインの太子 ドン・カルロス』とオペラ『ドン・カルロ』が作られたのでした。

確かにカルロスは不幸でした。
関わった多くの者達をも不幸にしておりましたが、ともかくフィクションの中では美化され、後に悲運の王子として記憶されることになったのです。

文・小檜山青




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