ミシェル・ネイ

ネイの死/wikipediaより引用

フランス

フランスの英雄ミシェル・ネイを銃殺刑に導いた「たった一言の呪縛」

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ナポレオンのカリスマに屈する

しかし、ネイはあまりに単純、任務を甘く見積もっていました。

ネイだけではなく、王弟やマクドナル元帥(スコットランド系の叩き上げ系軍人)もナポレオン撃破に向かいますが、彼らは諦めて帰って来ました。

というのも、兵士たちが「皇帝万歳!」と言い出して、ナポレオンと戦う気がなかったからです。

これではどうしようもありません。というか、ネイにもそうするだけの機転があれば……。

しかしネイは、自ら言ってしまった「鉄の檻に入れて帰る」という言葉に縛られてしまいました。

すでに王弟とマクドナル元帥が任務放棄するほど、フランス各地ではナポレオンに傾いています。

ネイは混乱しました。

「もしナポレオンが復位したら……フォンテーヌブローで最終通告を突きつけた俺を許さず殺すかもしれない……」

「でも俺は生け捕りにして連れて行くと、国王陛下に誓ったんだ!」

「いや、しかし、そもそも俺が出世できたのはナポレオンのおかげじゃないか?」

「ダメだ。ああも大見得を切っておいて今さら逃げるなんてできない!」

「妻も貴族には侮辱されていた……」

3月14日。

ネイの精神は限界を超えました。

彼は兵士の前で剣を抜くと「ブルボン家の大義はない!」と叫びます。

「皇帝万歳! 皇帝万歳!」

兵士たちは大喜びして、ネイに賛同します。

18日、ナポレオンに再会した彼はこう言いました。

「あなたという人間のためではなく、祖国を防衛するために味方したのです」

主君の間では迷うかもしれないけれど、愛する祖国のためなら迷わない。それがネイという男の本質でした。

しかし、そのことを誰も理解しません。

宮廷から逃げ出した国王一派はネイを裏切り者とみなします。

ナポレオンに味方した者たちも、「ギリギリになって変心した奴」と彼を疑います。

実際、パリに入ったナポレオン自身が、ネイとは距離を置くのでした。

ナポレオンに忠誠を誓う兵士/wikipediaより引用

 

死に場所を求めて

ナポレオンの「百日天下」は、ワーテルローの戦いで粉砕されました。

この決戦においてナポレオン側は、精彩を欠いた戦いを繰り広げました。

ネイもその中に含まれています。彼は「フランス元帥の死に様を見よ!」と叫び剣をかざしながら、無謀な突撃を行いました。

まるでここで死にたいと思っているような態度です。

彼の馬は死んだものの、彼自身は弾丸がかすめただけでした。ネイは軍人として名誉ある死を遂げるチャンスも失い、生き延びてしまうのです。

ワーテルローの戦いのネイ/wikipediaより引用

ナポレオンが陸の孤島セントヘレナ島に送られ、再びルイ18世が王位に戻ると、裏切り者の粛清が始まりました。

ルイ18世が最も憎しみを抱いたのは、ネイその人です。

「鉄の檻に入れるとまで豪語したのに、なんだあのザマは!」

スルトやマッセナ、オージュローなど、ナポレオンの誘いに応じて裏切った第一帝政の元帥は、他にもいます。

そのうちスルトは国外追放になっただけで、帰国後はフランス史上6人しかいない大元帥にまで出世しています。マッセナとオージュローも罰は受けたものの、パリに住み続けました。

しかしネイには、反逆罪で逮捕令が出ました。

彼は、田舎町に移るだけで国外亡命をしませんでした。時間的には十分できたはずです。妻も泣きながら懇願しました。

しかしネイは悠然とした態度をとり続けるのです。

ネイは逮捕収監され、軍法会議にかけられることになりました。

ところがネイは「自分は貴族院議員である」とこれを拒否し、貴族院で裁判を受けます。軍法会議であれば、彼を裁いたのはその武勇と人柄を知る戦友であったことでしょう。

彼らならばネイのために温情を見せたかもしれません。

しかし、貴族院の人々はそうではありません。

ネイの追い詰められた状況も、過去の輝かしい軍歴も、罪を軽くすることはありませんでした。

投票結果は、161票対139票で、死刑。

死を目前にして、彼は妻と4人の子に別れを告げます。

妻は泣きながらこう言いました。

「あなたの息子たちが、きっとあなたの仇を討つわ!」

しかし、ネイは我が子に、復讐よりも許す心を学ぶように伝えたのです。

内戦を嫌った彼らしい考えでした。

ネイの息子たち/wikipediaより引用

12月7日朝、ネイは刑場に引き出されました。

妻は恩赦を求めて王宮を目指していましたが、国王への面会はかないません。

そして処刑の時を迎えます。

ネイは目隠しを拒否しました。

「この25年間、私が銃弾と砲弾を、正面から見ていたことを知らないのか?」

彼は心臓の上に右手を置き、こう言います。

「兵士諸君! 私は撃てと命じる時、必ず標的の心臓をまっすぐ狙えと言ってきた! 命令を待て。これは私の最後の命令である。私は、私への判決に抗議する。私は何百回とフランスのために戦ってきた。だが一度たりとも祖国に背いてはいない……兵士たちよ、撃て!」

銃声が轟き、勇者の体を貫きました。

46才で、彼は銃弾に倒れたのでした。

 

後世の審判

愛すべき赤毛の勇者を殺したことに、フランス人は罪悪感を覚えるようになりました。

もっと悪い奴はいた。

殺されても仕方ない奴はいた。

ネイは生前、死刑判決を人と法ではなく、神と後世に委ねると言いました。

その結果、後世の人々は悔やむようになり、

「ネイ元帥は生きているんだよ!」

なんて生存説まで流れ始めます。

源義経のように、豊臣秀頼のように、彼の死を受け止められない人々はそんな噂と伝説で、心を慰めたのです。

1930年、七月革命でブルボン王家がフランスを追われると、人々はもはやネイへの思慕を隠すことはありませんでした。

彼は勇者として、再び人々の記憶の中から蘇ったのです。

今日も彼は、フランスの人々から愛すべき勇者として尊敬されています。

なんとも切ないネイの一生。

特に王政復古からのストレスは想像を絶するものだったはずです。

「鉄の檻に入れて帰る」なんて言ってしまったばかりに自分の動きを縛り、ルイ18世には必要以上に憎まれ。挙句の果てには殺されてしまう。

真っ直ぐな性格ゆえに迎えた悲痛な死に様は、いつの時代も人々の胸に迫り続けるでしょう。

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文:小檜山青
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【参考文献】
安達正勝『フランス反骨変人列伝 (集英社新書)』(→amazon

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