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【ラファエロ】
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ジョルジョ・ヴァザーリの本に書かれた死因は瀉血らしい
人生絶好調のラファエロさんは『キリストの変容』を作製中の1520年4月6日に早世してしまいます。
この日は彼の37歳の誕生日。
また、この年の聖金曜日であったためラファエロは神格化されました。死んだ瞬間、ヴァチカン宮殿にヒビが入ったという伝説も生まれています。
では、その死因はなんなんでしょうか。
ジョルジョ・ヴァザーリが書いた本には以下のように記されております。
『マルガリータ・ルティとの過度な情事が原因で熱病に罹患したが、体調を崩した理由を主治医に説明しなかったため誤った治療を受けたことが死因』
過度な情事って、いったい何したのよ!?
他にも、性病で死んだとか過労とも囁かれておりますが、いずれにせよお疲れだったのは確かなようで。
医師の目から最も気になるのは、誤って行われたという治療です。
なんでも当時のお医者さんは『瀉血(しゃけつ)』をしたようなのです。
実は中世の病気について調べていると、やたらと『瀉血』という言葉を目にします。
せっかくの機会なので、今回はこれを詳しく説明しておきましょう。前置き、長っ!
起源は古代ギリシャから 床屋に引き継がれる
まずは「瀉」という文字を辞書で引いてみましょう。
1.流れそそぐ
2.からだの外に流し出す
これで大体お察しいただけると思いますが、瀉血とは「身体から血を抜く」という治療法なんですね。
って、怖いですよね。
主に行われていたのは、中世~近代にかけてのヨーロッパや初期のアメリカ合衆国でしたので、西洋医術もまだまだ現代化する前のこと。
元々は、皮下に溜まった膿や古い血液を排出させるため、創傷を再切開することに由来するそうで、起源をたどると古代ギリシャになるようです。
中世のはじめ頃は、修道士が瀉血を行っていました。
そして12世紀に法王がこれを禁じると、瀉血は「床屋」に引き継がれます。
最近あまり見なくなりましたが、床屋さんの前には、赤、白、青がクルクルと回る「サインポール」がありますよね?
あれって、元は2色の赤と白で、赤は血液、白は包帯を示しておりました。
ポール状であるのは、瀉血の時に握る駆血棒を表しているそうです。
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