ラファエロ

ラファエロの自画像/wikipediaより引用

イタリア

イケメン画家が自分の血液でルネッサ~ンス♪ ラファエロと瀉血の悲劇とは?

お尋ねします。

皆様は「ルネッサンス」というと何が頭に浮かびますか?

…………わかってます。大半の方は、ヒゲ男爵さんのアレでしょう。

ワタシだってこの言葉を記しているとき、頭の中で大きく響き、しかも何度も続いてしまいます。

 

むろんルネッサンスとは、貴族ではなく、ワイングラスを鳴らすことでもなく、本来は「古典文化の復興運動」という意味があり、代表的な人物としてレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロが挙げられます。

美術に興味のない方も、この2人の名前はご存知でしょう。

※以下はルネサンスの関連記事となります

ルネサンス建築
ルネサンス建築の始まりが想像以上に壮絶だ!ブルネレスキvsギベルティの大聖堂

続きを見る

しかし『ルネッサンスの三大巨匠』と呼ばれながら、なぜだか日本では知名度の低い芸術家がおります。

ラファエロです。

彼もまたルネッサンス期を代表するイタリア人画家・建築家であり、その作品は、写実的で優美な曲線が特徴。

幼いキリストと母マリアの聖母子が得意なために『聖母子の画家』とも呼ばれました。

1483年4月6日に生まれ、1520年の同日4月6日に亡くなった。

今回のテーマは、このラファエロさんと「瀉血(しゃけつ)」です。

 


君主や貴族を通じて社交性を身に着けた

ラファエロは1483年に、イタリアの都市国家「ウルビーノ公国」で誕生しました。

お父上も公国の宮廷画家で、ほかにも詩を書いたり、舞台の演出をしたり、マルチな人だった模様。

同国は政治力の弱い小国だった代わりに、文化的には高い評価を受けていたんですが、彼の一族もそこに貢献していたんですね。

ラファエロもまた、同国の君主や他の貴族との生活を通じて、洗練者されたマナーと社交性を身に付けました。

特に、絵の才能は幼い頃から片鱗を見せていて、父の配慮で画家ペルジーノの工房に弟子入りしております。

徒弟期間を終えたラファエロはフィレンツェなどに滞在した後、教皇ユリウス2世の招きによりバチカンの宮廷画家となりました。

そして25歳から37歳で亡くなるまでローマを拠点に活動したのです。

 


性格のよい美男子ってリア充にも程があろう

ラファエロは性格も良く、美男子でした。

また育った環境から上流階級との付き合いも上手く、仕事の注文にも柔軟に対応したことから、多くのパトロンを持っていました。

例えばウルビーノの公子も、フィレンツェに滞在するラファエロのため、行政長官にこんな手紙を書いています。

「この手紙を持参するラファエロは芸術的才能に溢れています。フィレンツェで修行をするとのことです。父親も尊敬すべき人物で、彼自身も礼儀正しく聡明な青年です。私もラファエロは愛すべき人物と思っております」

君主がわざわざ手紙を書いてくれるということは、相当に可愛がられていた証拠ですよね。

ラファエロはローマ教皇にも気に入られ、ユリウス2世の注文でヴァチカン宮殿にある教皇専用図書室の装飾画を手がけました。

ユリウス2世は途中で死去してしまいますが、次のレオ10世とも良好な関係を築き、その庇護下で制作を続けます。

このとき「署名の間」に描かれたフレスコ画はラファエロの最高傑作と言われています。

かくしてラファエロは若年ながらローマで大きな工房を経営するに至り、弟子の数は50人を超えていました。

弟子を育てるのも上手く、工房からは著名な画家が数多く輩出されました。

 


最愛の恋人はパン屋の娘 身分の違いから結婚できず

さて、顔が良くて性格が良くて社会的地位もあるラファエロが女性にモテない訳がないですよね?

えぇ、それはもうモテモテです。

そしてラファエロ自身も女好きで、流した浮名は数知れず。

現代のイタリア人を辿るとかなりの確率でラファエロにたどり着く……というのは冗談ですが、当時からそういう伝統だったのかもしれません。

%e3%83%a9%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a8%e3%83%ad

ラファエロは生涯独身ながら、婚約者はおりました。

1514年、友人であった枢機卿メディチ・ビッビエーナの姪マリアがその相手です。この婚約は友人に押し切られた結果でラファエロ自身はあまり乗り気でなかったようです。

しかし、結婚に踏み切れないうちにマリアは病気でこの世を去ってしまいました。

ラファエロが結婚を渋っていたのは、枢機卿(独身でないとダメ)になる野望があったとも言われていますし、1番の恋人であるパン屋の娘マルガリータ・ルティの存在があったからとも考えられています。

ラファエロはマルガリータを愛していましたが身分の違いで結婚できなかったようですね。

そういう意味では、単なる遊び人とも言い切れないのかも。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-イタリア
-

×