一度は結ばれながらも、数々のすれ違いから結局別れを選んだまひろと道長――。
大胆な設定によって序盤から盛り上がる大河ドラマ『光る君へ』ですが、今後、道長のあるミスにより、さらなる地獄絵図が展開されそうです。
ミスとは“文(ふみ・手紙)”のことです。
文と言えば、まひろから道長へ贈られた漢詩を思い浮かべるかもしれません。
夫が大事に隠し持っていたことが第13回放送で源倫子にばれ、「源明子から贈られたものかしら……?」と不穏な空気が流れましたが、さらに注目したいことがあります。
そもそも道長は、文も贈らず源倫子の邸を訪れ、そのまま結ばれた。
それが将来的な禍根となるかもしれません。
いったい何事なのか?
藤原道長と、それを取り巻く、源倫子、源明子、まひろ。
今後、どんな地獄展開が待ち受けているのか、考察しました。
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道長、悪筆を矯正する
道長の字は汚い――。
日記『御堂関白記』でも明らかにされていて、擁護の余地がないというより『光る君へ』でもわざわざ汚くする細やかな配慮がなされています。
少しづつ綺麗になってゆくことも確かで、ドラマの第11回放送で道長は『詩経』の写しを能書家の藤原行成に依頼していました。
何気ない場面のようで、実は見過ごせない要素がそこにはありました。
・『詩経』の文字は“かな”ではなく漢字
・藤原行成を高級人間プリンタ扱いをしている
このときは、自分の筆跡を改善したい意欲はなかった。それが第12回では、行成からかな文字を習っているシーンがあった。
その姿を見て、藤原公任は道長の向学心に焦燥感すら募らせていましたが、公任は、真面目すぎて見逃したことがあるかもしれません。
かつての日本では、かなは「女文字」という別名もあり、女性相手の文書に用いることが多かったもの。同時に最強のモテスキルでもありました。
美しい行成の字は、当時、誰もがこぞって欲しがるものであり、返信欲しさに恋文の代筆が殺到したほどです。
達筆すぎるがゆえ、回し読みされるのが前提とすら思える扱いも受けています。
もしも道長が行成から“漢字の書道”を学んでいたのであれば、ビジネス文書のレベルアップを狙っている、つまりは仕事用と見なせる。
しかし、実際はかな書道である――と、ここに物語を左右しそうな要素が隠されています。
むろん貴族だって和歌はかなで書きます。
ただし、当時はあくまで与芸扱いで、出世にはさほど響かない。もしも和歌で出世がかなうならば、清少納言の父である清原元輔はもっと上を目指せたことでしょう。
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根が真面目な公任は、道長の努力そのものにショックを受けたと思えます。しかし一歩立ち止まってみれば、公任の向学心は漢籍に向いていた。
公任よりも軽薄な藤原斉信からすれば、かな文字を練習する道長を見て「さては好きな女でもできたな」と正解に辿り着いたことでしょう。
ただし、公任の焦燥も完全な的外れでもありませんでした。
道長は左大臣家の源倫子と結婚します。そのために、アイツはかな文字を習っていたのか?と納得することでしょう。となれば、用意周到に政略結婚をものにした道長にますます焦りを感じかねません。
劇中での道長は、無事にある程度は上達したらしく、筆跡を見た“さわ”が優しい字だと感銘を受けていました。
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しかし、それこそが残酷な通過点と言える。
もしも嫡妻である源倫子の耳に
「道長は結婚の前にかな文字を練習していたぞ」
と入ったらどうなってしまうのか。
待って、私はその文を受け取っていない――。
お嬢様育ちの倫子の心に影がさすことになってもおかしくない。
少し状況は違いますが、第13回放送では、夫の道長が大事にしていた女性からの文(漢詩)を見つけて、彼女は苦悩の表情を浮かべていました。
それが、まひろの文とも気づかず、しかも目の前の本人に中身を確認してもらったのですから、二人にとってこれほど残酷なシーンもないでしょう。
道長は倫子に懸想文を送っていない
劇中のまひろとは、往来で出会い、恋を深めていった藤原道長。
その一方で、源倫子のことは認識していたかどうかすら怪しい描き方です。
道長は父である藤原兼家が強烈に勧めてきた話に乗っただけに思える。一応でも、娘・倫子の気持ちを確かめた源雅信の方が優しい親子関係でしょう。
こうした力関係のバランスが非常に難しい。
婿の道長は、本人よりも父・兼家が乗り気だった。
嫁の倫子は、本人が乗り気なのに、父の雅信が消極的だった。
倫子は情熱的に相手を受け入れていくのに対し、道長は本命が手に入らない消去法という描き方にされているのです。
倫子の母・藤原穆子はこの結婚に大賛成でした。どうにかして縁談を成就させるため、結果、手順をいくつか飛ばしてしまいます。
それが“文”です。
そもそも倫子のもとには、多くの男性から大量の文が届いていました。
【懸想文】と呼ばれ、どれほど相手が好きなのかをアプローチをしている。いわば交際および求婚の第一歩といえます。
道長と添い遂げたい倫子は、大量に届く文を開封すらしませんでした。
これは父である源雅信の甘さと、道長への思いを察している藤原穆子が母親だったからできる処置といえる。
もしも他の親だったら、文をチェックし、ああだこうだと指図してくるケースは当たり前のようにあります。
例えば『源氏物語』では、光源氏が夕顔の娘である玉鬘を自分の娘と偽って引き取りました。
その玉鬘に文が届くと、いちいちチェックし、相手のランキングをつけるようなことをしています。
ですので、道長が倫子に【懸想文】を書いていれば、もっと話は単純でした。
しかし実際は違います。
道長は倫子本人に文を送っていない。
父を用いて外堀を埋め、雅信が嫌そうな素振りを見せながらも、娘に押し切られてゆく。
そして母である穆子は結果優先とばかりに、道長から文が届かなくてもとりあえず家の中に入れ、夜を共に過ごさせました。
思えば初めての時から違和感があった
恋に溺れ、叶えた倫子――猫の小麻呂だけを愛でる日が終わった彼女は幸せだったことでしょう。
おっとりとしていて猫を愛する彼女はマイペースな性格に見えます。
しかし、彼女だって歳をとります。
歳月を重ね、今後、夫の道長にカチンときたとき、ドス黒い思いが蘇ってくることは十分ありえるでしょう。
例えば藤原兼家の妾であり、道綱母である藤原寧子は『蜻蛉日記』を記しました。
美貌と才知を誇る若い彼女は、兼家から求婚されます。親の勧めもあって受け入れたけれど、初めから文がさほどロマンチックとも思えず、夢と現実の差を知った苦い思いを記しています。
今は愛くるしい倫子です。
それが夫の野心やら何やらに振り回され、多忙な生活を送る日が来るかもしれません。
その日、たぎってくるのは?
うちの夫は文すら送って来なかった!!
そんな苛立ちかもしれません。
彼はなぜ、外堀から埋めるようなことをしたの?
かな文字を習ったのなら、それを送った相手は誰なの?
あの漢詩は源明子から?それとも他の誰かなの?
倫子の心に嫉妬の念が渦巻き、夫に対して疑心暗鬼になる可能性があるでしょう。
実際、これまでも雅信と倫子の会話から、道長の文が届いていないことが語られ、母の穆子も文すら届かぬことを訝しりながらも、家に招き入れていました。
文が来ていない――そのことは折に触れて言及されているのです。
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