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【文を巡る地獄絵図】
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文が届かないと恐ろしいことになる
たかが文、されど文――当時の平安貴族にとって、それが届くか届かないかは死活問題ともなりました。
清少納言も『枕草子』で、自分でなく他人であっても、文が届くかどうか待っている様はドキドキすると記しているほど。
現代人も悩む「スルー」問題は、当時も時に命懸けです。
『源氏物語』では、文が届かないばかりに命まで落とす人物が登場しました。
光源氏の息子である夕霧は、父よりずっと生真面目で、妻である雲居の雁をひたむきに愛していた。
ところが彼は、亡き親友・柏木の妻であった落葉の宮に恋をしてしまいます。
宮の母である一条御息所は夕霧の誠意を疑い、文を送りました。
夕霧が文を読んでいると、夫の背後から雲居の雁が忍び寄り、文を奪い隠してしまう。
絵巻でも有名な場面。
そのせいで夕霧の返事が遅れてしまい、一条御息所はストレスのあまり命を落としてしまいました。
契りを交わした間柄となると、さらに大きな意味があります。
一夜を過ごしたあと、相手から届く【後朝(きぬぎぬ)】の文は関係性を完結させるピリオドとしての役目があるのです。
逆に、これがないと、ただの気の迷いや遊び扱いされてしまう。
『源氏物語』でも、この文が象徴的に用いられています。
光源氏は空蝉と一度契りを交わすものの、二度目は衣を残して逃げられてしまう。
このとき光源氏は、空蝉の側にいた軒端荻を身代わりにして契ったが、彼女を真っ当に扱うつもりがないことは【後朝】の文が送られないことからわかる。
あるいは『大和物語』には、こんな悲劇もあります。
色好みで知られる平中こと平貞文は、生真面目な武蔵守の娘と通じた。
しかし【後朝】の文が届かない。夜になっても来ない。数日経っても来ない。
仕える者たちも、平中の色好みを知っているためか、憤りを見せてきます。
「やっぱり、いい加減な人なんですよ! 噂通りじゃないですか!」
「本当に最低です。深い仲になってからこの仕打ちはありえませんよ!」
五日、六日が経過しても文は届かない。やりきれない彼女は泣き伏し、ついには自ら髪を切って出家したのでした。
しかし、平中にも事情がありました。
仕事、宴会、帝のお供と業務が立て込み、文すら書けずにいたのです。
やっとの思いで会いに行っても後の祭り。いくら真剣に語ろうと、取り返しのつかないことになったと彼女は応じない。こんな虚しい縁もあるのかと思うしかないのでした。
これほどまでに重要な文。
『光る君へ』の道長と倫子については、両家の思惑もあり、彼女も恋をしているとなれば、関係は途切れないでしょう。
道長も、初めて夜を過ごした後には、さすがに後朝の文を送っていたと信じたい。
行成の指南で美しくなった筆跡で、素敵な文を書き、百舌彦が滞りなくそれを倫子にまで届けていたはず。
しかし、です。いくらフォローが十分だとしても、彼が【懸想文】を送らずいきなりやってきた――この一事は曲げようがなく、今後、小石のように挟まってくると思ってしまうのです。
怨念の女君・明子女王の意思
道長の妻になる女性として、同じ回には源明子も出てきました。
源氏と縁を結びたいとして、姉の藤原詮子が強引に推し進めた婚礼ですが、これも最初から違和感が挟まれています。
詮子は、道長と明子が顔を合わせる場所をセッティングしていました。道長の同意を得る前に、その日のうちに会わせようとしたのです。
しかし、このとき道長は御簾の裏から立ち去り、明子は待ちぼうけとなりました。コミカルな演出ではあったものの、明子の心中はいかばかりでしょうか。
彼女はプライドが高い女性であるとみてとれます。
醍醐天皇の孫であることを、兄の俊賢と語り合っていましたし、そもそも明子の動機も明かされました。
道長の妻となることで、兼家の髪の毛一本でも手に入れて、呪詛で兼家を殺す。実際は扇を手に入れましたが、それで父の無念を晴らそうとしている。
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つまりは、道長も、明子も、愛から始まらない結婚だと明かされていた。
同時に、兄の源俊賢が妹の結婚に寄せる期待もあらわになります。彼としては藤原の力により出世を果たしたいのです。
この兄と妹の言動が、なかなか細かい気配りを感じさせます。
兄が妹を利用するために結婚させるのであっても、そこは筋が通る。明子が人形扱いされてもそれはそれで話としてスムーズです。
しかし、敢えてこのドラマは復讐という、明子自身の強い意志を挟みました。
これは倫子もそうで、道長の妻二人は周囲の思惑ではなく、最終的には自分自身の意思で道長との結婚を選んだといえます。
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