光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第13回「進むべき道」

寛和の変から四年後が経過した永祚2年(990年)、一条天皇が元服しました。

藤原兼家は息子たちを政権中枢に置き、トップの座を揺るぎないものとしています。

そして荘厳な音楽が実に素晴らしい。今年は美しく迫力のある音楽で、とても耳によいドラマです。

 

藤原道隆一家

そんな兼家の長男である藤原道隆一家には、和やかな空気が流れています。

一の姫である藤原定子が、兄・藤原伊周の恋文を見つけたとはしゃぎながら両親の前にやってきました。

すると伊周が慌てて取り戻しにくる。

母の貴子がいつまでも子どものようだと微笑んでいると、伊周は文を奪い返そうとして破いてしまいました。

道隆は文を盗んだ定子を軽く叱りつけ、そこにまだ幼い弟の藤原隆家が走ってきて、「兄上と姉上が喧嘩している!」と告げ口。

もう仲直りしたと道隆が笑いながら答えると、貴子は伊周の恋文が読みたかったと言い、すかさず定子が「兄の文は何もときめかない」とツッコミを入れている。

しかし、実際はどうなのか。伊周は貴公子で、漢詩、和歌、笛、弓などが、誰よりも得意なのだとか。

定子「また兄上贔屓だ」

伊周「まことのことゆえ仕方ない」

隆家「兄の婿入りはまだか」

と思い思いのことを口に出しますが、貴子はまだ伊周を手元から放したくない様子です。

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彼らの会話から“貴族の特技”である漢詩や和歌、笛、弓などの話がでてきましたね。

道長の弓のシーンはありましたが、伊周がお稽古をする場面はなかった。今後、出てくるのかどうか?

これも実に残酷な話なのですが、『源氏物語』で光源氏の息子・夕霧は「中の劣り」と予言されます。

何が劣るか?というと、光源氏との対比です。

光源氏はなんでもちょっと習えばマスターできてしまい先生が「いやあ、最高の教え子です」と褒めるほど。一方で夕霧は努力型。一生懸命勉強するから身につくタイプ。

努力型秀才は、天才に劣る――そういう残酷な世界観が『源氏物語』にあるわけですね。

光源氏のモデルは複数名おりますが、恵まれた天才貴公子ぶりが伊周由来だとすれば、彼が努力する場面はなくても不思議はないかもしれません。

はなからできるように演じる三浦翔平さんは大変です。応援するしかありません。

ちなみに日本の弓道は独特です。

弓道は国と地域によって重視するポイントが異なり、例えばイングランドの長弓兵は速射重視。モンゴル騎兵は高速移動しながらの馬上騎射重視。

一方、日本の武士は剛力自慢で強く遠く放つことが重要です。

ただし、それが顕著になってくるのは平安時代後期のことであり、武士の台頭がキッカケとなります。

このころの貴族は、まだ殺傷を目的とせず、命中率重視でしょう。

道長は、直秀に重傷を与えていないか悩んでいましたが、『鎌倉殿の13人』の坂東武者なら「一矢で殺せねえなんて恥ずかしいぜ!」と悩んだかもしれません。

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定子の入内

一条天皇の元服20日後、藤原定子が入内しました。

中関白家(なかのかんぱくけ)、絶頂時代の始まりです。

まだ幼い一条天皇は緊張しているものの、定子が扇から顔を覗かせて笑わせると、それにつられて一条天皇にも笑みが溢れます。

定子が帝の好きなものを訪ねました。

母上、椿餅、松虫……。

ちなみに平安時代の鈴虫と松虫は、今とは逆。定子はここで、虫だけは苦手なのとはにかんでいる。

椿餅は最古の和菓子ともいえるほどのものです。

当時は餡子はなく、甘味はせいぜい甘葛程度だとか。蜂蜜は実に珍しい強烈な甘味であったため、藤原実資が日記にわざわざ書くほど貴重なものでした。

それにしても、なんて素晴らしい定子でしょうか。

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定子を崇拝するききょう(清少納言)を先行して出し、期待感を高めておき、ついに本役として出てきました。

春の女神というか、花の精霊というか。微笑むだけで周りが明るくなるよう。

幼い頃から、こんな素晴らしい女性と出会っていたら、一条天皇にとってはずっと輝き続ける存在になるでしょう。

定子は日本史における最大の美女だと個人的に思います。そしてそれは清少納言プロデュースのおかげでもある。

生涯をたどるだけでも十分美女であることは伝わってきます。それだけでなく、清少納言がその機転や明るい性格、そして優しさを残しました。

戦国時代の美女となると、お市の方などは男性の願望や目線を通しての像となり、江戸時代の遊女もそうです。

しかし定子は違う。同性である清少納言の賛美があるから、彼女の素晴らしさが伝わってくる!

定子の背後にチラチラと「ほら、私の書いた通りでしょ!」と微笑む清少納言の顔が見えてきそうですね。

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そのころ、道兼はまだ7歳の藤原尊子(たかこ)に、いずれ入内するようにと告げています。

母である藤原繁子は、栄達も大事だけれども、尊子のことも考えて欲しいと告げるのでした。

尊子は怯えていて、前途多難に思えます。

 

まひろは困った人を見逃せない

被衣姿のまひろが街を歩いています。

針を買おうとするものの、お代に出された野菜に相手は困惑。

同じく被衣姿のさわはまひろをフォローするように、鮎が美味しそうだとはしゃいでいます。しかし、まひろは買えないものは目に入れないようにしているとか……。

さわが家から食料を差し入れるというものの、父と母に叱られるからやめるように断っています。

二人がそんな話をしていると、周囲から怒声が聞こえてきました。

いったい何のトラブル?

と、まひろとさわが駆けつけると、悪徳人買い商人が、貧しい女から子どもを買い取っていました。

母は染物師に預ける証文ではないかと書付を持ち抵抗するも、相手は布一反で売る手筈だと強硬な姿勢で、貧しい母を邪険に扱っている。

そして悪びれることなく言い放つ。

ゴロゴロ生まれる子なんて、いらねえ子もいる、子を売らねば食っていけない奴らもいる。そんな連中を救ってやっているんだ。

まひろはいてもたまらず、証文を読もうとしますが、悪党にあしらわれてしまいます。乙丸も助けようとして呆気なく返り討ちにある。まぁ、かなうわけがありません。

まひろは転んで怪我までして、結局、助けられません。子どもは売られてゆきました。

あの母と子は果たして再会できたのか?

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日本中世の説話は人が簡単に死にます。身分の低い売られた子の命なんて、それこそ塵芥のようなものではないか――それを感じさせる辛い場面でした。

家に戻ったまひろは、さわから手当を受けつつ、あの子は売られたのかとつぶやきます。忘れるように促すさわ。

しかし、まひろはそうはできない。

文字さえ知っていれば、あんなことにはならなかった。一人でも二人でも民を救いたい。まひろはそう願います。あの庚申待の夜、道長に誓いました。

かくしてまひろは文字を教えることにして、往来に出て、乙丸が自分の名前の書き方を教えてもらうというクサい芝居をするのでした。

「おとまるだー! 俺の名だー!」

そんな風にはしゃいでいると、一人の少女が習いたいとやってきます。

すかさずまひろが枝で地面に文字を書き、少女に教え始めました。いささか、かな文字がハッキリしすぎている感はありますが、地面に枝で書くからには仕方ないのでしょう。

例えば「あ」と習っても、当時は変体かなもあるしややこしい。日本人の識字率向上への道は、まだまだ続きます。

これに困っていたのが“いと”です。彼女は藤原為時に、生活が困窮しているのに収入を得ることにはならないことをしていてどうなのかと問題提起します。

為時も為時で、漢籍を読んでいるだけ。

四年間ほぼほぼ無収入なのに呑気なものですが……文人が自分の技芸で収入を得られるようになるには、社会の発展が必要です。

2025年大河『べらぼう』の時代ともなれば、為時のような人物はもっと仕事にも恵まれたことでしょう。

寺寺子屋の師匠にもなれるし、儒学者ならば弟子はとれる。戯作者になってもいい。字がうまければ書道の先生にもなれる。戦国時代後期の明智光秀ですら、『麒麟がくる』では学問を教えることで少しは家計の足しが得られたものです。

そんな時代はまだまだ先のことです。

にしても、まひろと為時は似ていますね。

本当に似たもの親子というか、まひろが執筆で名をあげることは、父を超え、文人の夢を叶えることでもありました。

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