寛和の変から四年後が経過した永祚2年(990年)、一条天皇が元服しました。
藤原兼家は息子たちを政権中枢に置き、トップの座を揺るぎないものとしています。
そして荘厳な音楽が実に素晴らしい。今年は美しく迫力のある音楽で、とても耳によいドラマです。
藤原道隆一家
そんな兼家の長男である藤原道隆一家には、和やかな空気が流れています。
一の姫である藤原定子が、兄・藤原伊周の恋文を見つけたとはしゃぎながら両親の前にやってきました。
すると伊周が慌てて取り戻しにくる。
母の貴子がいつまでも子どものようだと微笑んでいると、伊周は文を奪い返そうとして破いてしまいました。
道隆は文を盗んだ定子を軽く叱りつけ、そこにまだ幼い弟の藤原隆家が走ってきて、「兄上と姉上が喧嘩している!」と告げ口。
もう仲直りしたと道隆が笑いながら答えると、貴子は伊周の恋文が読みたかったと言い、すかさず定子が「兄の文は何もときめかない」とツッコミを入れている。
しかし、実際はどうなのか。伊周は貴公子で、漢詩、和歌、笛、弓などが、誰よりも得意なのだとか。
定子「また兄上贔屓だ」
伊周「まことのことゆえ仕方ない」
隆家「兄の婿入りはまだか」
と思い思いのことを口に出しますが、貴子はまだ伊周を手元から放したくない様子です。
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彼らの会話から“貴族の特技”である漢詩や和歌、笛、弓などの話がでてきましたね。
道長の弓のシーンはありましたが、伊周がお稽古をする場面はなかった。今後、出てくるのかどうか?
これも実に残酷な話なのですが、『源氏物語』で光源氏の息子・夕霧は「中の劣り」と予言されます。
何が劣るか?というと、光源氏との対比です。
光源氏はなんでもちょっと習えばマスターできてしまい先生が「いやあ、最高の教え子です」と褒めるほど。一方で夕霧は努力型。一生懸命勉強するから身につくタイプ。
努力型秀才は、天才に劣る――そういう残酷な世界観が『源氏物語』にあるわけですね。
光源氏のモデルは複数名おりますが、恵まれた天才貴公子ぶりが伊周由来だとすれば、彼が努力する場面はなくても不思議はないかもしれません。
はなからできるように演じる三浦翔平さんは大変です。応援するしかありません。
ちなみに日本の弓道は独特です。
弓道は国と地域によって重視するポイントが異なり、例えばイングランドの長弓兵は速射重視。モンゴル騎兵は高速移動しながらの馬上騎射重視。
一方、日本の武士は剛力自慢で強く遠く放つことが重要です。
ただし、それが顕著になってくるのは平安時代後期のことであり、武士の台頭がキッカケとなります。
このころの貴族は、まだ殺傷を目的とせず、命中率重視でしょう。
道長は、直秀に重傷を与えていないか悩んでいましたが、『鎌倉殿の13人』の坂東武者なら「一矢で殺せねえなんて恥ずかしいぜ!」と悩んだかもしれません。
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定子の入内
一条天皇の元服20日後、藤原定子が入内しました。
中関白家(なかのかんぱくけ)、絶頂時代の始まりです。
まだ幼い一条天皇は緊張しているものの、定子が扇から顔を覗かせて笑わせると、それにつられて一条天皇にも笑みが溢れます。
定子が帝の好きなものを訪ねました。
母上、椿餅、松虫……。
ちなみに平安時代の鈴虫と松虫は、今とは逆。定子はここで、虫だけは苦手なのとはにかんでいる。
椿餅は最古の和菓子ともいえるほどのものです。
当時は餡子はなく、甘味はせいぜい甘葛程度だとか。蜂蜜は実に珍しい強烈な甘味であったため、藤原実資が日記にわざわざ書くほど貴重なものでした。
それにしても、なんて素晴らしい定子でしょうか。
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定子を崇拝するききょう(清少納言)を先行して出し、期待感を高めておき、ついに本役として出てきました。
春の女神というか、花の精霊というか。微笑むだけで周りが明るくなるよう。
幼い頃から、こんな素晴らしい女性と出会っていたら、一条天皇にとってはずっと輝き続ける存在になるでしょう。
定子は日本史における最大の美女だと個人的に思います。そしてそれは清少納言プロデュースのおかげでもある。
生涯をたどるだけでも十分美女であることは伝わってきます。それだけでなく、清少納言がその機転や明るい性格、そして優しさを残しました。
戦国時代の美女となると、お市の方などは男性の願望や目線を通しての像となり、江戸時代の遊女もそうです。
しかし定子は違う。同性である清少納言の賛美があるから、彼女の素晴らしさが伝わってくる!
定子の背後にチラチラと「ほら、私の書いた通りでしょ!」と微笑む清少納言の顔が見えてきそうですね。
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そのころ、道兼はまだ7歳の藤原尊子(たかこ)に、いずれ入内するようにと告げています。
母である藤原繁子は、栄達も大事だけれども、尊子のことも考えて欲しいと告げるのでした。
尊子は怯えていて、前途多難に思えます。
まひろは困った人を見逃せない
被衣姿のまひろが街を歩いています。
針を買おうとするものの、お代に出された野菜に相手は困惑。
同じく被衣姿のさわはまひろをフォローするように、鮎が美味しそうだとはしゃいでいます。しかし、まひろは買えないものは目に入れないようにしているとか……。
さわが家から食料を差し入れるというものの、父と母に叱られるからやめるように断っています。
二人がそんな話をしていると、周囲から怒声が聞こえてきました。
いったい何のトラブル?
と、まひろとさわが駆けつけると、悪徳人買い商人が、貧しい女から子どもを買い取っていました。
母は染物師に預ける証文ではないかと書付を持ち抵抗するも、相手は布一反で売る手筈だと強硬な姿勢で、貧しい母を邪険に扱っている。
そして悪びれることなく言い放つ。
ゴロゴロ生まれる子なんて、いらねえ子もいる、子を売らねば食っていけない奴らもいる。そんな連中を救ってやっているんだ。
まひろはいてもたまらず、証文を読もうとしますが、悪党にあしらわれてしまいます。乙丸も助けようとして呆気なく返り討ちにある。まぁ、かなうわけがありません。
まひろは転んで怪我までして、結局、助けられません。子どもは売られてゆきました。
あの母と子は果たして再会できたのか?
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日本中世の説話は人が簡単に死にます。身分の低い売られた子の命なんて、それこそ塵芥のようなものではないか――それを感じさせる辛い場面でした。
家に戻ったまひろは、さわから手当を受けつつ、あの子は売られたのかとつぶやきます。忘れるように促すさわ。
しかし、まひろはそうはできない。
文字さえ知っていれば、あんなことにはならなかった。一人でも二人でも民を救いたい。まひろはそう願います。あの庚申待の夜、道長に誓いました。
かくしてまひろは文字を教えることにして、往来に出て、乙丸が自分の名前の書き方を教えてもらうというクサい芝居をするのでした。
「おとまるだー! 俺の名だー!」
そんな風にはしゃいでいると、一人の少女が習いたいとやってきます。
すかさずまひろが枝で地面に文字を書き、少女に教え始めました。いささか、かな文字がハッキリしすぎている感はありますが、地面に枝で書くからには仕方ないのでしょう。
例えば「あ」と習っても、当時は変体かなもあるしややこしい。日本人の識字率向上への道は、まだまだ続きます。
これに困っていたのが“いと”です。彼女は藤原為時に、生活が困窮しているのに収入を得ることにはならないことをしていてどうなのかと問題提起します。
為時も為時で、漢籍を読んでいるだけ。
四年間ほぼほぼ無収入なのに呑気なものですが……文人が自分の技芸で収入を得られるようになるには、社会の発展が必要です。
2025年大河『べらぼう』の時代ともなれば、為時のような人物はもっと仕事にも恵まれたことでしょう。
寺寺子屋の師匠にもなれるし、儒学者ならば弟子はとれる。戯作者になってもいい。字がうまければ書道の先生にもなれる。戦国時代後期の明智光秀ですら、『麒麟がくる』では学問を教えることで少しは家計の足しが得られたものです。
そんな時代はまだまだ先のことです。
にしても、まひろと為時は似ていますね。
本当に似たもの親子というか、まひろが執筆で名をあげることは、父を超え、文人の夢を叶えることでもありました。
兼家、正気を失う
そして政治の場面へ。
国司の横暴に耐えかねた民が訴状を送ってきたそうです。悪どいことをして私腹を肥やす者がいるのだとか。
しかし道隆は、民に対して辛辣な姿勢です。
彼らの言うことを一々聞き入れたら、どんな小さなことでもすぐに訴えてくることになる。よって、帝には上奏せず、握りつぶすと言い出します。
これに対し、弟の道長が反論します。
訴えてくるとはよほどのこと、訴状は吟味すべきだ。今回から髭を伸ばした藤原実資が、道長に感心している様子で頷いています。
「民なくば、我々の暮らしもありません」
道長がこう言うと、無言なのにイキイキとする実資の顔がいい。理想が高い人物ですね。
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すると兼家が、道兼に橋の修繕を行えと指示します。そのあと、こうきました。
「わしは何か今申したか?」
ボケてしまったかのような兼家の発言に、周囲は困惑するばかり。
その後、道兼は廊下で道隆の足を止め、父が正気を失う前に後継者を指名してもらうべきだと迫ります。
「そのようなことは申すでない、父上にはまだまだ働いていただかねばならぬ」とたしなめる道隆。
綺麗事ではなく本心を言うように迫る道兼。
道隆は「わしはお前とは違う。口を慎め」と返していますが、もうちょっと綺麗事を言ってもよさそうなものです。
孫の一条天皇が即位したとか、元服して孫・定子が入内したとか、満貫成就となったばかりなのに死ぬなんて虚しいとか。その程度のことすら思いつかないのか。
そんな兄二人の様子を道長は離れたところから眺めていると、実資が「精進、精進」とつぶやきながら前を通り過ぎていゆく。
帰宅した道隆は、妻の貴子には本音を明かします。
「父上はもう今年の夏は越えられまい、今日は内裏で正気を失った」
そして、何かあれば私が摂政になるといい、貴子にも忙しくなると心づもりをしておけと伝えると、彼女は、心づもりは昔からできている、明日そうなっても心配はいらないと語ります。
野心を隠さない愛妻に満足げな道隆。
当時はまだまだ儒教思想が根付いていないことがわかります。親の死を前提として子が前途を語るってどういうことなのか。道徳心の形成はまだまだ先のようです。
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兼家の息子たちは
藤原道兼は納得できない様子。
俺がおらねば父の今日はないと毒付いています。
酒を飲む相手の藤原公任は、兄に出世を抜かれた道兼を慰める。亡き父・藤原頼忠から聞いたことをそのまま、摂政が一番頼りにしているのは道兼であり、後継者もそうなると持ち上げています。
そう言われた道兼も嬉しいようで、自身が摂政、関白になれば公任を取り立てるとほくそ笑んでいます。
さらには、後ろ盾がないから俺を頼れと請け負うと、それをありがたがる公任。蔵人頭であり帝にも父にも近い公任から、父の様子を逐一伝えるさせるのも目的のようです。
「尽くせよ、俺に」
そう言われて賛同する公任……ここまで堕ちてしまいました。後ろ盾をなくすだけでこうなってしまう。父を早くに亡くし、幼少期から後ろ盾がない藤原行成よりも酷いものです。
あの自信に溢れていた頃の表情はもう戻ってこないのでしょうか。
公任の悲しいところは、聡明で本来いろいろと考えることができるはずなのに、父を愛しすぎて、その言葉を疑えなかったことでしょう。
持ち前の観察眼からすれば道兼には未来がないと冷静に判断できたかもしれない。愛に縛られ堕ちてゆくところが本当に悲しい。
なぜ、これほどまでに身も心も美しい人が、こうも酷い目に遭うのか。自分自身でもおかしいと薄々感じてはいないのだろうか。
本来、花鳥風月に心を動かし、歌や詩を読む方が向いているのに、なぜ合わないことをする運命に陥ってしまうのか。まるで籠の中に閉じ込められた鳥のようです。
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源倫子には一の姫、藤原彰子が生まれていました。
母の藤原穆子と娘の顔を覗き込みながら、彰子は言葉が遅いとか、道長もぼんやりしていたから似たのだろうかと話していると、「倫子を笑わせるためでは?」と穆子が返す。あんな凛々しい方がぼんやりしていたはずがない、と。
そこへ藤原道長が帰ってきました。穆子は娘夫妻のために席を外します。
浮かぬ顔で父の異常を訴える道長。もののけにでも取り憑かれたのではないか、話の最中にわけのわからないことを言うと表情を曇らせると、倫子が「摂政様も人の子、老いたのではないか」とフォローします。なんでも彼女の父・源雅信もすっかり老いたのだとか。
それでも倫子はそんな父が労わしい。ここまで一生懸命働いていたと言います。
道長も、父はこれまで戦ってきた、帝が即位し、定子が入内し、気が抜けたのかもしれぬと納得しています。
倫子に優しくするように言われ、同意する道長です。
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藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
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この時代は隠居という概念がないようなもの。元気ならばどんな老体でも働き続けます。年老いたから引退しろと言えないとは、大変なものです。
『源氏物語』では光源氏の死が描かれません。亡くなる巻は「雲隠」という名前だけ伝わっています。
兼家も複数いる光源氏のモデルとされることがありますが、この姿を見ていると、光源氏の死が描かれない意味がわかった気がしますね。
ついでに小麻呂のことでも。
4年間経過した間に世を去ったと思われます。平安時代後期の藤原頼長は、猫が10歳まで生き延びるよう願ったところ、その歳に死んだと日記『台記』記しています。
当時としては相当の長寿猫であるからこそ記録したのでしょう。小麻呂はそこまで長生きしていないのではないかと思います。
宣孝、独特のファッションセンスを見せる
随分と変な服装で一体何事か?
と思えば、なんでもこの格好で御嶽詣をしてきたのだとか。参拝客が多いから目立とうとしたとか。これで加護があればいいとかわすまひろに、そうなったら祝ってくれと笑っています。
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藤原宣孝は妻の紫式部とどんな関係を築いていたか|大弐三位は実の娘?
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宣孝が、相変わらずまひろの結婚話に触れると、彼女は困った人を救うために文字を教えていると答える。楽しいしやりがいもある。
実入りもないのに楽しいのか?と宣孝はまひろを面白がっています。
すると為時が、宣孝のご子息を婿にできないか?と提案。
即座に「駄目ダメダメ!」と全否定する宣孝。
なんでも賢いまひろに太刀打ちできないとかで、話をそらすように、摂政(藤原兼家)の先が短いことを告げてきます。
目の色の黒いうちは為時を仕えさせぬといっていたものの、その死によって風向きが変わるだろう。
まひろが、父は人の死を願わないと言うと、宣孝は「すまぬ」と謝りながら、去ってゆくのでした。為時はしつこく宣孝の子息のことを聞こうとしていましたが……。
それにしても、まひろはなんと真面目で堅苦しいことでしょう。
実子の道隆ですら兼家の死を待ち望んでいる。道兼との違いは、表に出すか出さないか程度。それなのに、まひろは政敵の死すら望まないと言いきりました。
そしてこの場面はなかなか笑えます。
御嶽詣でTPOを無視して無茶苦茶派手な服装で参拝した宣孝父子は、清少納言が『枕草子』で酷評したため記録に残りました。
紫式部が清少納言を嫌っているのは、夫のファッションセンスをダメ出ししたためともされます。
実際、その程度の話なのかどうか、そこは意見が分かれるところ。どうやら本作はもっと深い意味が出てきそうですが、どうなるでしょう。
為時はそんなまひろに、夫を持たぬ気持ちの真意を聞いてきます。
言いたくなければ言わなくてもよいとしながら、自身の将来を前もって決めつけすぎないほうがよいとも。
まひろが、誰か良い人が現れるかもしれないということかと聞き返すと、それを認める父。
すると彼女は、どこかお屋敷に働きに出たいと訴えます。為時はそれを許しますが、五位の受領くらいの娘でないと就職は難しいと言います。無官の貴族の娘では雇ってもらえるかわからない。
やるだけやってみると答えるまひろです。
笑わぬ美女が微笑むとき
藤原道長と横になっていた源明子が、懐妊を告げてきました。
それを聞きながら、こんな時でも笑わない妻に不信感を抱く道長。
明子はそれを侘びつつも、微笑むことすらなく生きてきたため、こういう顔になってしまったと答えます。それでも道長の子を宿したことは嬉しいのだと。
微笑ませることはできないが、立派な子を産んでくれと道長が告げると、明子が、藤原兼家の見舞いに行かせて欲しいと頼み込んでいます。
そして二人で兼家の前へ。
「お前は誰だ」
少し気の抜けた様子で、明子が誰だかわからない兼家に、道長が妻だと紹介すると、明子に父上はご息災かと訪ねます。
「父は太宰府から帰ったあと、身罷りました」
そう告げ、にっと微笑む明子。兼家が「ああ、それは気の毒であったのぉ」と返すと、道長はいてもたってもいられぬ様子で立ち上がり、部屋を出ていきます。
明子は笑みを浮かべつつ、兼家の扇が欲しいと訴えます。
兼家が「これでいいか、持ってけ」と無造作に扇を投げ渡す。
「ふふふふふ、ありがとうございます」
心の底からの笑みを浮かべる明子。
この場面は、兼家の背景が唐物(からもの)尽くしで、どれほど金持ちかよくわかります。
扇子も当時は高級品として贈答されたものですが、扇子は正真正銘日本人の発明品で、海を超えた宋でも珍重されました。
それにしても、この一連の場面は不吉でしたね。
明子が呪う気まんまんであることがわかりますが、それだけでもありません。
為時やまひろなら「褒姒(ほうじ)だ!」と驚いたことでしょう。
褒姒とは、殷・紂王の寵姫であった妲己(だっき)と並び称された亡国の美女。
周の幽王に愛された褒姒は笑うことがない美女でした。
それがあるとき、幽王が間違って諸侯の動員を促す烽火をあげました。諸侯はあわてて駆けつけたものの、間違いだとわかって帰ってゆきます。
これを見た褒姒は笑いました。
その笑顔があまりに美しく魅力的であったため、幽王は何度も烽火をあげ、諸侯は呆れ、ついには応じなくなります。
そして、いざ犬戎が攻めてきたとき、幽王はあわてて烽火をあげるも、諸侯は救出に駆けつけることなく、周は滅んでしまったのでした。
笑わない美女である明子の微笑み――それには家を滅ぼしかねない危険なものが潜んでいるようです。
道長は明子を微笑ませるために工夫をするつもりはない。明子が笑う気配があるとその場を立ち去ってしまう。本能で明子の笑みを危険だと理解しているような動きを示します。
そんな凄艶な笑みを見せる瀧内公美さんが大変素晴らしい。
瀧内さんは声も素晴らしく、NHKラジオで『平安ガールフレンズ』の朗読をしておりました。NHKらじる(→link)で配信中ですので、皆様もぜひお聞きください。
Amazonで配信中の『ほんとはヤバい平安ワールド』(→amazon)もおすすめです。本郷和人先生たちが大河をより楽しめる知識を配信しています。
兼家の扇を手にした明子が邸に戻り、今度こそ息の根を止めてやると兄・源俊賢に誓っています。
腹に子がいるのに呪詛はやめておけ。摂政は呪わずとも長くはないと俊賢が諌めると、兄上はいつからそのような腰抜けになったのかと返す明子。
父が亡くなった時、震えるほど怒っていた。それを指摘されると、月日は流れたと答え、自ら命を絶てぬならば、生きてゆくほかないと力なく返す俊賢。生きてゆくならば力のあるものに逆らうべきではないと学んだとのことです。
明子は諦めたように兄の生き方と処世術を認めつつ、私は必ずやり遂げると誓うのでした。
そんな明子の呪詛が効いたのか。
兼家はうなされて起き上がり、あの世なのかと廊下をふらふらと歩いています。そして使用人に、安倍晴明を呼んでこいと告げます。
夜勤から朝一番でやってきた晴明は、兼家から寿命を見ろと言われても、朝は力が衰えていてできないと返す。
ならば後継者は誰にすればよいか?と尋ねられ、その答えは兼家の心の中にある、それが正しいと告げる晴明。
そして晴明が帰ってゆくと、一人啜り泣く兼家です。
結局、この人の人生は何だったのかと思えてくる。
政治闘争で勝ち抜いた果てがこれではあまりに虚しい。
晴明も、素晴らしい心理操作を発揮していました。
宿直明けだともっともらしいことを言い、寿命を見ようとはしない。そして継者を指名しない。
晴明は賢い男です。寿命が尽きることは誰の目から見ても明らかである。権力者でも死にゆくのであれば、ぞんざいな対応でもよい。
そして後継者は、誰も指名しない。まだ不透明な状態です。
下手に指定をすれば、指定されなかった相手から恨まれてろくなことになりません。うまくスルリと躱している。
それにしても、結局のところ兼家は人格でも道徳心でもなく、権力だけを愛されてきた。我が子からすら突き放されている。
実に虚しい人生ではありませんか。
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一条天皇は定子にあこがれる
帝が、乳母の橘徳子と定子と共にかくれんぼをしています。
定子の衣の中に隠れる帝。かわいらしい場面ですね。
このころの貴人は衣装に香を焚きしめています。その香と体温を暗い中で味わい、帝は定子にたまらないほどの魅力を覚えたことでしょう。
彼女がどれほど愛されるか、今からもう伝わってきます。
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するとそこへ藤原詮子がしずしずとやってきて、帝は隠れていることをやめました。帝は母もかくれんぼに誘うものの「今度またね」とかわされてしまいます。
今度はいつかと食い下がる帝にそっけない詮子。手習の時間だと言います。帝が嫌だと騒ぐものの、定子が手習のあとまた遊ぶと約束しました。
定子に用件を尋ねられ、忘れてしまったと返す詮子。思い出したらまた参るとか。
詮子は、大人の中で育って遊び相手がいない帝は定子が来てから顔つきが明るくなった、せいぜい遊んであげておくれと言います。
今までは母が好きだった帝も、定子に愛情の上書きはされるとわかる場面ですね。
定子が春に咲く花のように明るく華やかであるのに対し、詮子は御影石のような冷たさがあります。
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兼家が道長を呼び出しています。
寒くないかと尋ねる道長に対し、兼家はしっかりしています。
どうやら道長が民に気配りしたことが気に入らないらしい。断片的にあのやりとりの記憶があるようです。
民に阿っているわけではない。民を虫ケラのように扱えない。道隆のような政治はおかしいと道長が訴えると、兼家が激しい口調で応じます。
「お前が守るべきは民ではない!」
ならば真の政とは何かと道長が尋ねると、兼家は返します。
「政、それは家だ! 家の存続だ!」
人は皆いずれ死ぬ。腐り土に還る。それでも家は残る。栄光も誉も死ぬが、家は生き続ける。家のためにはすことが政であり、その考えを引き継げるものこそ後継者だと。
道長は父に賛同するしかありません。父の言葉は子を縛ります。前回の藤原頼忠と藤原公任もそうでした。
道長の文箱に残された文
まひろはどの家からも働き口を断られてしまいます。
女房は難しいが下女ならよいとまで言われてしまう。
そのころ源倫子は姫君サロンでまひろを話題にしていました。
しをりも茅子も、まひろの仕事探しのことを語ると、そんなに困っているのかと当惑している倫子。彼女はまひろに文を送りました。
まひろが倫子に会いにきました。胸が熱くなったとお礼を言うと、倫子が婿を取ってから学びの会も少なくなり、会えなくて寂しかったと伝えます。会えて嬉しいのだとか。
しかし、まひろは雇いいただく話をありがたいとしながら、他に決まっているとして断ってしまいます。
残念がる倫子。たまにはここへ来て欲しいと告げ、内裏から戻った殿にも会って欲しいのだとか。
まひろが権中納言にまで出世した道長のことを祝うと、倫子が、道長の文箱から見つけてしまった文を差し出してきました。
かつてまひろが道長に贈った漢詩でした。
伊周と定子の喧嘩が伏線だったわけですね。『蜻蛉日記』でも、藤原寧子(藤原道綱母)が兼家の文箱から別の女の文を見つけた怒りの記述が出てきます。
『源氏物語』でも文は重要です。
光源氏が女三の宮と柏木の密通を確信できたのは、文を見つけたから。自分の若い頃は読まれてわかるように書かなかったと光源氏は、この二人に呆れ果てています。
そんな光源氏は、紫の上の死後、彼女の残した文を焼いてしまいます。
現代人ならばむしろ思い出として大切にしそうなところを焼き捨ててしまうのです。証拠隠滅でもあるし、亡くなった人のもとに文を送る意味合いもあるのでしょう。
しかし倫子が出してきたのはまひろが送った文です。倫子は漢詩だから男からかと思ったけれども、女文字だと見抜いていた。
まひろが素知らぬ顔をしていると、倫子は「あの方が送ったのか?」と言い出します。
高松殿の源明子のことでした。
なんでも明子は盛明(もりあきら)親王に育てられたから、漢詩も書けるのだろうと。
まひろが陶淵明の『帰去来辞』だと解説すると、倫子は「もういい」と止めます。穏やかな倫子には不満があるようです。
それは明子とは文のやり取りがあったということ。倫子は道長から文をもらったことがないのだとか。
いきなり庚申待の夜にやってきたそうで、まひろの記憶も蘇ってきます。
それにしても、あの当日の夜は嬉しくて気にならなかったことが、じわじわと倫子の心を蝕んでいます。小さな傷がどんどん深くなる。
これまたイレギュラーな経緯で光源氏の妻にされた紫の上を思い出します。
倫子はここで吹っ切るように、漢詩だから殿御からのものだと思うことにしたと言い切りました。
ただし、文を捨てずに持ってきているのはどうかと引っ掛かるでしょう。
すると娘の藤原彰子が顔を出し、母の後ろに隠れてしまいました。
父に似て人見知りが激しいのだとか。
この時点で彰子の大変な一生が見えてきます。いくら彰子が帝に愛されようとしても、明るく軽やかな定子の面影を上書きすることはできず、苦労するのでしょう。
倫子は、働くのは無理でも会いにきて欲しいと言い、まひろは去ってゆく。
そしてまひろは廊下で道長とバッタリ再会してしまうのでした。
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MVP:明子と兼家
源明子は美しい。
彼女は、子を宿したことを腹の子の父に告げる時ですら、微笑みません。
そんな人生の喜びを味わっても笑わない美女は、一体、どうすれば笑うのか。
道長はそこを追い求めないだけの鋭さがあります。もしそこを求め出したら大変なことになるのでしょう。
そして明子は、復讐の機会を見出して笑いました。その呪いのせいか、兼家は啜り泣き、困惑してしまいます。
明子と兼家は人生の虚しさを知らしめてくれました。
両者ともに最高の地位を得たように思えます。
出世目覚ましい貴公子の妻として、腹に新たな命を宿す。
兼家は言うまでもなく、位人臣を極めた。
それなのに幸せには思えない。
心に穴が空いていて、何かを満たしても漏れてゆく。
人のために尽くそうとか、満たそうとか、そんなことに目を向けずに己の願望ばかりを見ているせいで、結局幸せになれないのです。
なんとも業が深いではないですか。
文が焼かれるとき
まひろの文は、いつか焼かれる運命にあると思えます。
現時点での道長は、道隆に反発し、民を思う心がある。志高い政治に嗅覚が働く実資はそれを察知し、道長に感心している。
藤原実資は、麒麟のように善政を察すると反応するようです。
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まひろは民を救いたい惻隠之心(そくいんのこころ)がある。困った民がいれば考える前に体が動く。
漢籍を読みこなした結果、道徳心が極めて高いところにあるのでしょう。彼女の正義感の強さは今後も変わらず出てくることでしょう。
そんなまひろを忘れないからこそ、道長は無神経ながらも文を保管している。
道長にとってまひろとは、善政へと導く女神像でもあるはず。
しかし、道長は父の言葉に逆らえない。
いずれ民よりも家のことを考えるようになる。実資は、そんな道長の姿を淡々と『小右記』に記す。娘の藤原彰子ですら父には従わなくなる。そんな彰子の横にはまひろがいる。
もう道が異なった――そう悟ったときに道長は文を焼くのではないでしょうか。
まひろだって筆の力で道長に抗います。
『源氏物語』の最後を飾る「宇治十帖」で、薫と匂宮は浮舟を翻弄します。
苦しんだ浮舟が入水自殺を遂げたと知らされ、二人は一通り悲しみました。それが過ぎれば別の女を挟んでまたも二人は恋の駆け引きをします。
浮舟が生きていると知らされた薫は、性懲りもなく浮舟に会おうとします。拒まれるとこう邪推しました。
「別の男でもいるのだろうな」
あの物語には毒が仕込まれているようです。
貴公子は身分の低い相手を虫けら扱いするわ。一通りメソメソしてもすぐケロッとするわ。ろくでもないと訴えかけてくるようです。
紫式部は決して当時の貴族社会を礼賛しているわけではなく、むしろ不満がある。
こんな政でいいわけないでしょう――そう毒を吐いているような批判性がある。
まひろと道長の道は別れます。
それでもまひろは当初の生真面目さ、正義を求める心を捨てない。その伏線が丁寧に仕込まれていると思えます。
日本のテレビ局は大丈夫なのだろうか?
こんなニュースがありました。
◆中国 北周の皇帝「武帝」 顔の再現図や民族的ルーツが明らかに(→link)
今は記事タイトルが修正されていますが、実は当初「漢の武帝」とされていました。
これが『光る君へ』と何の関係が?
そう思われるかもしれませんが、実はあります。
漢武帝と日本文学には深い関係があります。
寵姫に夢中になって政治を疎かにした皇帝代表格として、唐玄宗と並んで挙げられるのが武帝。寵姫の親族を取り立てたことが批判されます。
武帝の寵姫である李夫人は「傾城傾国」という言葉の由来とされる。
寵愛する李夫人の死後、武帝は道士にその魂を呼ばせたとされています。これを「反魂」の術と呼びます。
そんな武帝の姿は白居易『長恨歌』はじめ多くの漢詩に引かれ、紫式部も熟知していました。最愛の紫の上を失った光源氏は、反魂の術でも用いたいと思うほどでした。
そんなわけで、日本文学においても大変重要な人物が漢武帝なのです。
もしそういう知識があれば、こんなミスはしなかっただろうに。私はかなり不安になってしまったのでした。
『光る君へ』はそういうことがないのでストレスがたまりません、ありがたい。
歴史を学ぶ意義
このドラマが始まったころから薄々感じていましたが、まひろは嫌われると思います。
同系統のヒロインとして『麒麟がくる』の駒があげられます。
まひろは字の読み書き。駒は医学。自分のスキルを世の中に広めることで、少しでもよくなればよいと考えています。
理不尽な駒叩きの数年後に、まひろのようなヒロインが出てくることに救いを感じます。
駒叩きは理解できません。
誰の愛人にもならないくせに希望を通したがるなんてえらそうだとかなんとか言われました。
別に駒は贅沢な暮らしをしたいわけでなく、民の救済を望んでいただけなのですが、そのささやかな願いすら「わがままw」と叩かれる。
一体何事かと考えていたのですが、腑に落ちてきた気がします。
逆張り冷笑ですね。
綺麗事を言っているヤツだって実はきたねーんだよw
そんな風に言い募りたい心性がこの国の、特に中年層にあるように感じます。
野口英世の話となると、ニヤニヤしながら「でもさあ、借金酷かったよねw」とネットで聞き齧ったトリビアを語りだすタイプ。
野口英世のやんちゃには厳しいわりに、渋沢栄一には甘いところまでがお約束です。
彼らに何か信念があるかというと、そうとも思えません。
サブカル。冷笑。逆張り。イジり。若い頃そういう文化に使った手癖を振り回しているだけで、アップデートできていない。
駒やまひろのように世の中を良くしようとする人が理解できない。したくもない。「偽善でしょw」と嘲笑ってしまいたい。そういう手癖で反射してしまう。
青春時代、スクールカースト上位にいられたわけでもない。そういうどこか空虚な自分を埋めてくれた存在に今も縋り付いてしまう。小憎らしい冷笑を言えば、同意してくれる人がいた。
そんな理由で繰り返しているんだろうと思います。
議論もできない。するつもりもない。やることはマウンティングだけ。漫画のコマをSNSで貼り付けて勝利した気になる。歴史的な先例とはいえ現代にそぐわない事例を持ち出すなどなど。
そういうことをあげて自分の知識でマウントを取り、優越感に浸る。そんな傾向も感じられます。
私も人をどうこう言えない。すぐに漢籍引用をして嫌味だと思います。先日は相手に「豎子ともに謀るに足らず」と送って揉めに揉めたから、自省すべきだとは思います。
歴史を学ぶ意義はマウンティングのためでしょうか?
教科書で出てくる偉人や戦国武将がワルいことをしたとか。
伊達政宗がネズミ入りの味噌汁を飲んで腹を壊した話を何度も繰り返してくるような感覚はなんなのでしょうか。
自分が若い頃見て感動した数十年前の大河ドラマのことをしつこく語り、この名作を見ていないくせに大河を語るべきではないととマウントしてくるとか。
歴史を学ぶ意義とはなかなか深いものでして、それこそ西洋からの目線ならばE・H・カーは押さえておきたい。ジャレッド・ダイヤモンドやユヴァル・ノア・ハラリも興味深いものです。
東洋からの目線ならば、古典的ですが「殷鑑遠からず」でしょう。
歴史を学ぶことで人類の陥りがちな失敗を学ぶ。先人が努力したからこそ今の世があると学ぶ。点と点をつなげて線を引き、線と線をつなげて面にしていく。
そういう思考が重要ではないでしょうか。
お城の名前。戦国武将の逸話。思い出の大河ドラマ。
そういうものをツラツラ並べて「歴史得意なんだもん!」と主張できるのは、せいぜいが十代まででしょう。
歴史からの教訓や傾向を筋道立てて組み立てないと、それは歴史学を修めるとは言えない。
もちろん歴史好きがトリビアを並べて楽しむのは悪くありません。
とはいえ最低限、世の中を変えようとした先人がいたことを把握すると同時に敬意を持たないと、今年の大河は楽しめないのではないでしょうか。
今は歴史総合の時代です。詰め込み暗記型ではなく、思考力を求められる。
今後、歴史総合を経た層からすれば、日本史偏重、詰め込み自慢をする歴史好きは古臭く見えるはずです。
常に更新し続けねば、前に進まなければ、押し流されるだけ。
そのくせ年長者であることで若い人にマウントを取る、つまらない人間になってしまいます。
義を見てせざるは勇無きなり
その点、昨年は、逆張り冷笑大好き層に媚びた作風でした。
「あの徳川家康だって嫌なことがあれば逃げるし、エロい女がいたらデレデレするw」
そんな主張が堂々と描かれ、ヒロインの瀬名にしても偽善者でした。
まひろや駒と違い、あの瀬名は思慮が浅く愚かで技能もないため、子どもじみた「慈愛の国構想」は崩壊しました。
史実との整合性はあったのかもしれませんが、ドラマの中で、あんな愚鈍な人物が身の丈に合わないことをすれば破綻は必至です。
そしてドラマそのもの、その周辺に漂う空気が澱んでいました。
つくづくNHKが、あの大河、および被害者を無視して芸能界礼賛をした朝ドラ『ブギウギ』を打ち切りにしなかったことは痛恨の失態だと思います。
もしも潔く異例の打ち切りにでもしたら、BBCはじめ海外メディアも覚悟は感じ取ったことでしょう。
それをNHKの慣習なり、甘っちょろい日本の空気を読んで放送したことで禍根を残しました。
BBCの報道後、うだうだしていた結果、またもBBC取材による番組が放映されました。なぜ日本のテレビ番組はそれができないのでしょうか。
この問題無反省の証として『どうする家康』は響き続けるのではないでしょうか。NHKはジャニーズ事務所が所有していた一等地のビルを賃貸契約していたことも明るみに出つつあります。
もしも昨年、断固たる対応をしていたら結果は違っただろうに……てなことを、あと何度思わされるのか。
どうしてこんなことになったのでしょう。
と考えると、結局、自分の欲求を通すことしか頭にないことが原因ではありませんか。
まひろや駒のように、世の中をよりよくしたいと思うなら、性犯罪被害者にもっと誠意ある対応をしたと思います。性犯罪加害者を免罪しかねないドラマを堂々と放映することもなかった。
ジャニーズ被害者の中には自ら命を絶った方もおられます。彼はSNSで誹謗中傷されて深く傷ついていました。
にもかかわず誹謗中傷者側を勇気づけるものとして大河ドラマがあったとすれば、これほどおぞましいことはありません。
こんなことをつらつらと書けば、どうせまた私が誹謗中傷されることもわかります。
極論や詭弁を弄してでも相手を貶めたい人はいる。今週もまたやられるかもしれません。
意地を張り、開き直り、ワルを気取ることはままあることです。しかしそれが許されるのは而立前までだと私は思います。
今回のまひろを突き動かした思いは、漢籍にあると思います。
義を見てせざるは勇無きなり。『論語』「為政」
正義を発揮すべきときにそうしないのは、勇気がないから。臆病だから。
まひろは勇敢なので、人買いを止めようとしました。
そうありたい、手本にしたいと思える素晴らしい人物です。
彼女が勇気を持って生きているのだから、そうするしかない!
そう思える今年は、大河ドラマからたくさんの勇気と力をもらえます。
それに人に尽くす意義だって理解できます。
日本史知識でマウントを取る現象に、私はもう懲り懲りで、人と大河ドラマや歴史の話はしていません。何も知らないフリをしてやり過ごしています。
人前では「一」すら書かなかった紫式部の気持ちは理解できます。
それでもSNSで出会った海外の方に、日本史のことをがんばって説明するととても楽しいと思えました。
そういう善意の持つ喜びを求めていかなければ、兼家になってしまう。
世俗のチヤホヤを得たところで何なのか。死を目前にした兼家はどれだけ虚しい人生か。ドラマを見ていると痛感できます。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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【参考】
光る君へ/公式サイト

















