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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第13回「進むべき道」】
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道長の文箱に残された文
まひろはどの家からも働き口を断られてしまいます。
女房は難しいが下女ならよいとまで言われてしまう。
そのころ源倫子は姫君サロンでまひろを話題にしていました。
しをりも茅子も、まひろの仕事探しのことを語ると、そんなに困っているのかと当惑している倫子。彼女はまひろに文を送りました。
まひろが倫子に会いにきました。胸が熱くなったとお礼を言うと、倫子が婿を取ってから学びの会も少なくなり、会えなくて寂しかったと伝えます。会えて嬉しいのだとか。
しかし、まひろは雇いいただく話をありがたいとしながら、他に決まっているとして断ってしまいます。
残念がる倫子。たまにはここへ来て欲しいと告げ、内裏から戻った殿にも会って欲しいのだとか。
まひろが権中納言にまで出世した道長のことを祝うと、倫子が、道長の文箱から見つけてしまった文を差し出してきました。
かつてまひろが道長に贈った漢詩でした。
伊周と定子の喧嘩が伏線だったわけですね。『蜻蛉日記』でも、藤原寧子(藤原道綱母)が兼家の文箱から別の女の文を見つけた怒りの記述が出てきます。
『源氏物語』でも文は重要です。
光源氏が女三の宮と柏木の密通を確信できたのは、文を見つけたから。自分の若い頃は読まれてわかるように書かなかったと光源氏は、この二人に呆れ果てています。
そんな光源氏は、紫の上の死後、彼女の残した文を焼いてしまいます。
現代人ならばむしろ思い出として大切にしそうなところを焼き捨ててしまうのです。証拠隠滅でもあるし、亡くなった人のもとに文を送る意味合いもあるのでしょう。
しかし倫子が出してきたのはまひろが送った文です。倫子は漢詩だから男からかと思ったけれども、女文字だと見抜いていた。
まひろが素知らぬ顔をしていると、倫子は「あの方が送ったのか?」と言い出します。
高松殿の源明子のことでした。
なんでも明子は盛明(もりあきら)親王に育てられたから、漢詩も書けるのだろうと。
まひろが陶淵明の『帰去来辞』だと解説すると、倫子は「もういい」と止めます。穏やかな倫子には不満があるようです。
それは明子とは文のやり取りがあったということ。倫子は道長から文をもらったことがないのだとか。
いきなり庚申待の夜にやってきたそうで、まひろの記憶も蘇ってきます。
それにしても、あの当日の夜は嬉しくて気にならなかったことが、じわじわと倫子の心を蝕んでいます。小さな傷がどんどん深くなる。
これまたイレギュラーな経緯で光源氏の妻にされた紫の上を思い出します。
倫子はここで吹っ切るように、漢詩だから殿御からのものだと思うことにしたと言い切りました。
ただし、文を捨てずに持ってきているのはどうかと引っ掛かるでしょう。
すると娘の藤原彰子が顔を出し、母の後ろに隠れてしまいました。
父に似て人見知りが激しいのだとか。
この時点で彰子の大変な一生が見えてきます。いくら彰子が帝に愛されようとしても、明るく軽やかな定子の面影を上書きすることはできず、苦労するのでしょう。
倫子は、働くのは無理でも会いにきて欲しいと言い、まひろは去ってゆく。
そしてまひろは廊下で道長とバッタリ再会してしまうのでした。
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MVP:明子と兼家
源明子は美しい。
彼女は、子を宿したことを腹の子の父に告げる時ですら、微笑みません。
そんな人生の喜びを味わっても笑わない美女は、一体、どうすれば笑うのか。
道長はそこを追い求めないだけの鋭さがあります。もしそこを求め出したら大変なことになるのでしょう。
そして明子は、復讐の機会を見出して笑いました。その呪いのせいか、兼家は啜り泣き、困惑してしまいます。
明子と兼家は人生の虚しさを知らしめてくれました。
両者ともに最高の地位を得たように思えます。
出世目覚ましい貴公子の妻として、腹に新たな命を宿す。
兼家は言うまでもなく、位人臣を極めた。
それなのに幸せには思えない。
心に穴が空いていて、何かを満たしても漏れてゆく。
人のために尽くそうとか、満たそうとか、そんなことに目を向けずに己の願望ばかりを見ているせいで、結局幸せになれないのです。
なんとも業が深いではないですか。
文が焼かれるとき
まひろの文は、いつか焼かれる運命にあると思えます。
現時点での道長は、道隆に反発し、民を思う心がある。志高い政治に嗅覚が働く実資はそれを察知し、道長に感心している。
藤原実資は、麒麟のように善政を察すると反応するようです。
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まひろは民を救いたい惻隠之心(そくいんのこころ)がある。困った民がいれば考える前に体が動く。
漢籍を読みこなした結果、道徳心が極めて高いところにあるのでしょう。彼女の正義感の強さは今後も変わらず出てくることでしょう。
そんなまひろを忘れないからこそ、道長は無神経ながらも文を保管している。
道長にとってまひろとは、善政へと導く女神像でもあるはず。
しかし、道長は父の言葉に逆らえない。
いずれ民よりも家のことを考えるようになる。実資は、そんな道長の姿を淡々と『小右記』に記す。娘の藤原彰子ですら父には従わなくなる。そんな彰子の横にはまひろがいる。
もう道が異なった――そう悟ったときに道長は文を焼くのではないでしょうか。
まひろだって筆の力で道長に抗います。
『源氏物語』の最後を飾る「宇治十帖」で、薫と匂宮は浮舟を翻弄します。
苦しんだ浮舟が入水自殺を遂げたと知らされ、二人は一通り悲しみました。それが過ぎれば別の女を挟んでまたも二人は恋の駆け引きをします。
浮舟が生きていると知らされた薫は、性懲りもなく浮舟に会おうとします。拒まれるとこう邪推しました。
「別の男でもいるのだろうな」
あの物語には毒が仕込まれているようです。
貴公子は身分の低い相手を虫けら扱いするわ。一通りメソメソしてもすぐケロッとするわ。ろくでもないと訴えかけてくるようです。
紫式部は決して当時の貴族社会を礼賛しているわけではなく、むしろ不満がある。
こんな政でいいわけないでしょう――そう毒を吐いているような批判性がある。
まひろと道長の道は別れます。
それでもまひろは当初の生真面目さ、正義を求める心を捨てない。その伏線が丁寧に仕込まれていると思えます。
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