「口は災いの元」と言いますように、人間社会では誰しも発言に注意を払う必要があります。
SNS全盛の現代ではネット上でも状況は同じですが、今より約330年前にも「ペンが災いの元」となって数々のトラブルが降りかかってきた人物がいます。
1694年11月21日に誕生した、フランスの啓蒙思想家・作家のヴォルテールです。
本名は「フランソワ=マリー・アルエ」という実に可愛らしい感じながら、彼がヴォルテールと呼ばれているのは、深そうで深くないちょっとした事情がありました。
順を追って彼の生涯を追いかけていきましょう。
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父に逆らって
ヴォルテールは、パリのブルジョワの家庭に生まれました。
父方も母方も法律関係の仕事をしており、両親は息子にも同じ道を歩ませるべく学校へ入れます。
そこはヴォルテールの他にも貴族やブルジョワの子供が多く通っており、ここで彼は宮廷へのパイプを掴むことになります。
しかし、ヴォルテールは行政や政治の世界に入るよりも、文学に強い興味を示していました。
そして1717年にときの摂政であるオルレアン公フィリップ2世をディスる詩を書いたため、当局に見つかってバスティーユ牢獄に収監されてしまいます。
小野篁みたいな話ですが、こういう人ってどこでもいるもんなんですねえ。
ヴォルテールは獄中で、今度は悲劇の台本を書きました。
ギリシア神話のオイディプスをモデルにしたもので、まんま『オイディプス王』という作品です。
オイディプスはいわゆる英雄譚の主人公ですが、以下の通り悲劇てんこ盛りな人。
不吉な予言によって幼いうちに両親の元から離され、成長後に実の父をそれと知らず殺し、さらに実の母と知らずに結婚して子供をもうけ、それが全部終わってから真実を知って苦悩する
神話には教訓や事実の装飾が多分に含まれると思われますが、何もここまで詰め込まなくても……とツッコミたくなりますね。
ちなみに、オイディプスの名は人間の成長過程における「母に執着し、父に敵愾心を抱く」という現象の名前にもなっています。
読みが変わっていますが、「エディプスコンプレックス」というやつです。
凝りずにもう一度バスティーユ牢獄へ
オイディプスの話は古い時代からたびたび戯曲化されており、ヴォルテールの台本も出所後に上演され、大好評を博しました。
後日、ヴォルテールはこの作品で得た名声によってオルレアン公に招かれると、こんなことを言ったようです。
「私の住居についてはもうお世話いただかなくても結構です」
"住居"とはバスティーユの皮肉ですね。
こんな事を言われたら、むしろ世話してやりたくなりそうで……。
その後もアンリ4世(ユグノー戦争を終わらせた王様・ブルボン朝初代)の詩を書いて、これまた好評を得ました。
この時点でまだ20代前半であり、投獄の件を除けば極めて順調な文化人街道といえます。
しかし、パトロンがいなければ長生きできないのが芸術家。
生活に困窮するようなことになれば、両親がお硬い仕事へ引き戻そうとするのも予想がついていたでしょう。
それは御免だと考えたヴォルテールは、オルレアン公や国王夫妻から年金を受けて、実家からの独立を保ちました。
さらに投資で儲けて大成功し、実家に戻らなくても生活していくだけの財力を蓄えたのです。
実にうらやましい話ですね……いや、その後、また貴族と一悶着起こしてバスティーユ牢獄に入れられてしまっているんですけれども……。
最初の投獄から10年も経っていなかったので、さぞかし看守に苦笑いされたことでしょう。
しかし、このときは相手の貴族のほうがいろいろアレな感じだったこともあり、世論がヴォルテールに味方してくれたおかげですぐに釈放されました。
イギリスを絶賛して逮捕されかける
再び自由の身になった彼は、海を超えてイギリスに向かいます。
そして約2年半滞在し、イギリスの社会をつぶさに観察しました。
ときにはシェイクスピアの劇を見物し、残酷さや卑猥さには眉をしかめつつも、それ以外の点には感銘を受けています。
当時のイギリスはガンガン植民地を広げ、イケイケドンドン(死語)だった頃。
それでいて立憲君主制が成立しており、確実に近代国家へ進んでいました。
まだ絶対王政を是としていたフランスから来たヴォルテールにとって、イギリス社会のありようは大きな衝撃だったことでしょう。
ジョン・ロック(社会契約説&立憲君主制賛成の人)やニュートンといった当時の最先端の学問にも触れ、多大に影響を受けていきます。
そして『哲学書簡』という本を書くのですが、
「イギリスの制度スゲーよ。フランスも見習うべきじゃね?」(超訳)
という内容だったため、フランス人を怒らせて逮捕状が出されてしまいました。
気持ちはわからんでもないですが怒りすぎ。
帰国してまた捕まりかける
ヴォルテールは、愛人シャトレ夫人のシレー城に逃げ込み、二人でここにこもって文学や学問に熱中しました。
シャトレ夫人も相当に頭のいい人で、語学や科学を解する知性的な女性でした。
ヴォルテールにとって得難い人物だったといえるでしょう。
シャトレ夫人に英語や哲学などを教えながら、ヴォルテールは10年近くシレー城を中心に過ごします。
『哲学書簡』でのお咎めは早いうちに解けていましたが、やはりシャトレ夫人との時間が有意義だったからでしょう。
その間ニュートンの入門書や劇の台本、そして詩をいくつか書いていました。
特筆すべきは『この世の人』という詩でしょう。
「アダムとイヴは文明のない自然の中で過ごしていたはずだから、爪が伸びて垢が溜まったような不潔さだったに違いない。
それに比べて今は美食や芸術を楽しむことができる時代であり、こちらのほうが地上の楽園と呼ぶにふさわしい」
ロマンも何もないというか……。
詩だというのに極めて現実感がありますね。
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