水戸黄門に暴れん坊将軍、NHK大河ドラマに七人の侍、座頭市――。
日本人は時代劇が大好きです。
我々の血に侍のDNAが流れているとまでは申し上げませんが、幼少の頃からお祖母ちゃんと一緒に黄門様を見たり、日曜夜の落ち着いた時間に家族で眺めた軍師官兵衛などは、人々の原体験となって終生、体内に息づいていくのでしょう。
しかし!
そんな我々日本人よりも、時代劇が好きな外国があると言ったら信じられるでしょうか?
いや、正確に申しますと、その国の人々は映画『座頭市』が好き過ぎて、仮装パーティーで勝新太郎さんの格好をするほどだというのです。
それは、他でもありません。
キューバです。

英雄チェ・ゲバラが革命を起こした国で、いったい勝新太郎は何を巻き起こしていたのか……/Wikipediaより引用
もくじ
もくじ
盲目で抜刀術の達人 アクの強すぎる主人公
まずは『座頭市』を知らない若い世代へ簡単にご説明申し上げますと、この映画の主人公・市は目が見えません。
完全な盲目でありながら、抜刀術の達人。
悪人を倒し、そしてキレイ事だけじゃない業のようなものを背負ったままに旅を続ける――。
普通のヒーロー像とはまるで違う、アクの強い主人公であり、もしかしたら現代の日本社会ではほとんど馴染みのないキャラかもしれません。
ただし、1962年に一作目が封切られてから、26作品も世に送り続けられてきたということを知れば、それが単なるキワモノ作品の類ではないことは、若い世代の皆さまにもご理解いただけるでしょう。
当時、日本の映画界では、高倉健さんや菅原文太さんがヤクザ映画でトップを走り続ける一方、時代劇の世界で勝新太郎さんもまた圧倒的な存在だったのです。いわゆる昭和の大スターという立ち位置であります。
薬物がバレて「もうパンツはなかない」
本題に入る前に、もう一つ。
勝新太郎さんの人となりを知る上で絶対に欠かせないエピソードがあります。
それは勝さんが麻薬所持で捕まったときのことでした。
1990年、米国でコカインとマリファナを下着の中に所持して逮捕された後、記者会見でこう言い放ったのです。
「もうパンツをはかないようにする」
普通なら神妙な顔持ちでひたすら謝罪せねばならない場面。
それを、たった一言の言葉と笑顔で乗り切ってしまいました。
もし、その出来事が現代のことだったとしても、おそらくやネット上では「さすが勝新www」という声があがったのではないでしょうか。
さほどにぶっ飛んだ性格でいながら、それでいてお茶目で優しく、また多くの人々から愛された俳優。座頭市の主人公・勝新太郎さんとは、素人の私から見ていても、そんな風に思わせるクセのある方です。
カストロ議長やチェ・ゲバラの国で『座頭市』が愛されているというのは、感覚的に理解ができるかもしれません。
ハバナ大学の教授が明大で『座頭市』論を講演していた!?
ではなぜ『座頭市』がキューバで絶大なる人気を誇るのか?
具体的にどのように人気があるのか?
過去にテレビでそんなエピソードを聞いた私が、キューバ関連のニュースを調べていたところ、2012年11月に明治大学で行われた【講演】がヒットしました(こちらに全文がございます)。
講演主はハバナ大学のマリオ・ピエドラ教授。
それは非常に興味深い内容で、また、感慨深い話でありましたので、今回、当原稿で感想を入れつつ、本文を引用させていただきます。
お時間のあります方は、ぜひとも講演内容の全文を読まれることをオススメした上で、先へ進ませていただきます。
マリオ・ピエドラ教授によると、映画好きな国民であるキューバでは、かつてはハリウッド映画が街中に溢れていたそうです。
しかし、1959年に革命が起き、アメリカとの国交が断絶されると自然と米映画は駆逐され、代わりにソ連(ロシア)の作品が入ってくるようになりました。
いわば社会主義バリバリな作品で、一言でいうと「クソつまらん!」という内容だったようで。正確なところはよくわからんですが、某将軍様の国のように指導者マンセー映画ってことでしょうか。
当然ながら、そんな映画がウケるワケありません。
このような状況の下、どうやって日本映画が好まれるようになったのか。
まずは両国の関係から確認してみましょう。
日本は米帝国主義の犠牲者 にもかかわらず国を再建できた
アメリカに占領され、そのまま西側についた島国の日本。
米国の近隣にありながら大国ソ連の傘の下に入った、これまた島国のキューバ。
人種も気候もまるで違う両国の共通点と言えば国土が小さいぐらいのことかもしれませんが、実は革命後も日本とキューバは通商関係を維持しており、メイドインジャパンのクオリティやデザイン性の高さなどはキューバ人を驚かせたといいます。
教授によると、今でも日本製のラジオを自慢する人がいるとか。
いったいキューバ人は我々日本人をどう見ていたのか。
教授の講義文から引用させていただきますと。
キューバの詩人で批評家のエミリオ・ガルシア=モンティエルの言葉を紹介します。
「現代の日本に対して我々が抱いているイメージは、おおかた教訓的なものである。すなわち、日本は米帝国主義の犠牲者であり、原子爆弾を 2 回も投下されたうえに、第二次大戦後に米国に占領され、それにもかかわらず国を再建することができたというイメージだ」
戦中の日本に対してはアメリカの犠牲者という見方であり、それでいながら戦後の驚異的な復興を評価されていたようです。反米意識というのも働いたのですね。
10年間でシリーズ16作品を放映
こうした良好な関係を背景に1967年、キューバの映画協会・ICAICが来日。
その際、「サムライ映画」として買い付けていった中に勝新太郎さんの『座頭市』があり、それを放映するやいなや同国で爆発的な人気となりました。
初めて公開されたのは『座頭市地獄旅』で、上映館数は7館だったそうです。
えっ、7館?
少ね(゚⊿゚) と思うなかれ。
キューバの劇場は総じて規模が大きく、7館でなんと9815 席もあるそうです……って、ちょっとデカすぎw
そんな映画LOVEな国で、座頭市シリーズは1967年から77年までの10年間で16作品を放映。
年に1本以上が放映されている計算であり、同作品は、主人公・市(いち)から取って、キューバでは「イチの映画」として広く知られるようになります。
キューバのある高名な映画批評家が次のような思い出を語ってくれました。
「ある日、気がつくと私は日本語を話していた。もしくは話しているかのごとく見せかけた。70 年代当時、まだ幼かった息子を喜ばせようとしたからだ。
息子は「サムライ映画」の大ファンだった。息子にとって「サムライ映画」は、アメリカ西部の伝統ある叙事詩、すなわち西部劇(ウエスタン)に取って代わる存在だった。
私は息子に木で刀をつくってやった。息子はおでこに武士が締める鉢巻の代わりに古いネクタイを巻くと、勢いよく刀で斬りかかってきた。何やら日本語らしき言葉を発しながら」
ちょっと、ちょっと、頭にネクタイを巻くのはサムライではなく、昭和のサラリーマンですよ。と突っ込みたくなるのを押さえてもう一度よく読んでみてください。
そこにはアメリカ(西部劇)に取って代わって日本が浸透していく様子が象徴的に語られております。まるで日本の男児たちが子供のころにやるチャンバラをキューバの親子が楽しんでいるではないですか。
また、「息子に木で刀をつくってやった」というのもすごいですよね。
日本でしたら普通にプラスチック製の刀が売っておりますので、ビジネスマンはすぐにでもキューバへチャンバラセットを輸出すべきかもしれません。
キューバ人の気質を表す「パケーテ!」
それにしても、文化も言葉もまるで違う遠い南国でなぜ『座頭市』が流行ったのでしょうか。
単にサムライ映画が好きでしたら他にも数多くあります。
実際、三船敏郎さんも勝新太郎さんに続く人気を誇ったそうで、仲代達矢さんは、2人から離れた次点ぐらいとのこと(いずれも黒澤作品で知られております)。
しかも、主人公の市は外見的には全然イケてません。
子供たちにとってヒーロは見た目のカッコ良さも重要です。
7割ぐらいは外見で人気を左右するかもしれません。
それでも勝新太郎さんが強烈に受け入れられているとしたら、背景にどんな理由があるのでしょうか。
その疑問を教授は「パケーテ」という言葉をもって説明しております。
いったい何のことか?
※続きは次ページへ