井伊直虎の女性説は『井伊家のタブー』から生まれた!? 東大・本郷和人教授の歴史キュレーション

 

大河ドラマ『おんな城主 直虎』の放送を前にして、突如注目された井伊直虎の男性説。
当連載の東京大学・本郷和人教授は、歴史学の観点から「女性というより男性と考えるほうが自然だ」と、前回までの記事でご考察いただいた。
では、なぜ、女性説を唱えた『井伊家伝記』ではそのような主張をしたのか? あるいはせざるを得なかったのか?
今週は、直虎の出自について更に深掘り!
※以下はこれまでの記事です

【関連記事④】井伊直虎はやっぱり男!? シンプルに歴史資料を読むならば……
【関連記事③】直虎は生年も違う? 花押無き「次郎法師黒印状」の謎
【関連記事②】井伊直虎の男説を追う!そもそも女説の根拠は?
【関連記事①】「井伊直虎は男か女か?歴史学から考察してみようvol.1」

【登場人物】
本郷くん1
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)/イラスト・富永商太

himesama姫さまくらたに
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も/イラスト・くらたにゆきこ

「前回の内容を簡単にまとめてみましょう。古文書を読んでいくと、どうも『井伊家伝記』は信頼性の低い史料であると評価せざるを得ない。そうすると、直虎が女性であるという根拠は『井伊家伝記』しかないので、これがどこまで信用できるか分からない、ということね」
本郷「そうだね。歴史学のセオリーからするとそうなるね」
「でもね、仮にそこまでは認められるとしたらね、もう一つ、どうしても答えなければならない問題が出てくるでしょう。もし直虎が普通に男性だったとしたら、『井伊家伝記』はなぜそのようなウソをついたのか。この疑問に納得のいく説明をできないと、イヤやっぱり直虎は女性だったんじゃないのかな、ということになるわよ」
本郷「うーん。厳密にいうと、今のあなたの突っ込みは適切ではないと思う。それはね、そうだなー、上杉謙信は女性だという説を例にしてみよう。もしフィクションではなくて、本気で謙信は女性だといいたいのなら、そう主張する人こそが説明責任を果たすべきでしょう? 井伊直虎も同じだよ。直虎といえば男性の名前だし、井伊谷の領主として働くことも通常は男性の仕事だよね。他に女性の領主がそれなりにいたのなら別だけれど、文書に名前が記されている『おんな城主』は今のところ立花誾千代だけ。史実としてはそうなんだ。とすると、井伊直虎という人がいて、その人が女性であると解釈するのは『普通ではないこと』になるわけだから、その普通ではあり得ないことを納得してもらおうとする『井伊家伝記』こそが、もっと丁寧に、直虎=女性と捉える根拠を示さないといけないはずなんだ」
「『井伊家伝記』の記述は、歴史学的に信用されなくてもしかたがない、ということね。まあ、理屈からすればそういうことになるのかもしれないけれど、ほら世の中それじゃあ通らないのよ。もったいぶらずに、あなたの方から歩み寄って、『井伊家伝記』が直虎をむりやり女性にしなくてはならなかった理由を考えてよ」
本郷「はいはい。了解しました。うん、ぼくは直虎(男)の存在は『井伊家のタブー』にひっかかるため、ではないかと推測するんだ」
「『井伊家のタブー』? 初めて聞くわね。それはどういうこと?」
本郷「それを説明する前に、まずは年齢から確認しておこう。これまでは井伊直虎は天文5年、1536年ごろに生まれたと考えられてきた。だけど古文書を読んでみると、だいぶそれよりあと、天文22年、1553年ごろの誕生だろうと考えられるね。あるいはもう少し後の生まれであっても良い。一方で井伊直政は永禄4年・1561年生まれだ」
「ということになると、直虎が直政の養母になる、的な年齢差ではあり得ない、ということでOK?」
本郷「そうなんだ。直虎が男性にせよ、女性にせよ、直政を庇護する立場ではなかったはずだ」
「むしろ、兄あるいは姉かな。そんな存在よね」
本郷「それを前提に、直虎が男だとするとね、直虎と直政は井伊家の当主の座を争うライバルにならないかな」
「家督をめぐって兄弟で殺し合うとか、一族で血を流すとか、戦国時代にはしばしばある話よね」
本郷「それで、『井伊家のタブー』なんだけどね。関ヶ原の後、井伊直政は彦根18万石を与えられるでしょう?」
「うん。それは知ってる。石田三成の旧領を与えられるのよね。それで譜代大名№1の座をますます揺るぎないものにする。だけど、関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで、そのあとすぐに亡くなるのよね」
本郷「そう。それで跡を継いだのが長男の直継。この人は正妻の子だ。ところがね、若年の直継は井伊家中をまとめきれなかったんだ。すると、ここへ徳川家康が介入してくる」
「大坂に豊臣秀頼が健在なんだものね。西国に多い豊臣恩顧の大名の動向も気にかかるところだし、徳川の先鋒をつとめる井伊家に争いがあったら、家康としては困っちゃうわよね。それで積極的に口を挟んできたんじゃないの?」
本郷「うん。そうらしい。それでね、慶長15年、1610年に直継は『病弱』を理由に上野・安中3万石に左遷される。彦根の15万石(従来の彦根18万石から、安中3万石の分家を成立させた、という考え方)は弟の直孝が継いだ。そしてこの直孝が一代で15万石の加増を受けて、井伊家を大躍進させるんだ」
「へー。直孝はすごく優秀だったのね」
本郷「おもしろいことに、病弱なはずの直継は直孝より長生きした」
「あら、良かったじゃない。健康が一番よ。それで、その安中領はどうなったの?」
本郷「何度かの転封があって、最後は越後・与板2万石かな。とりあえず続いて、明治維新を迎えたんだ」
「うーん、それで、その何が『タブー』なのかな?」
本郷「どうもね、直継の左遷は、井伊家の根本に関わる大事件だったらしい。というのは、井伊谷からの井伊家の家臣たちは、直継につけられて、安中に移っているんだ」
「あらら! じゃあ、彦根の井伊家って、名前こそ井伊だけど、戦国時代の井伊家とはまるで違う存在ということなの?」
本郷「そうらしい。直継は名前も直勝と変えて、幕府政治に関わることもなく、ひっそりと生きていったわけだ。彦根の方では初代が直政、二代目は直孝という数え方をする」
「えええ。直継は存在自体を否定されちゃったわけ? しかも井伊谷の人たちは井伊家の栄進の喜びを分かち合えなかったの? なんだか、かわいそうね」
本郷「うん。直孝は側室の子で、お父さんである直政に冷遇されていた。『親子の対面』すらなく、子どもの頃は当時の本拠である高崎城にも入れなかったんだ」
「ずいぶん、差別されたのね。それはまたどうして?」
本郷「うん、ぼくには仮説があるけれど、それを話すとまた長くなるから、今は事実だけで勘弁ね。でも、こうした育ち方をした直孝が兄の存在を抹消したとなると、これはなんか怨念のようなものの存在を感じない? 自分に冷たかったお父さんの態度はトラウマになっただろうし、彼はお父さんの故郷である井伊谷自体が嫌いだった可能性もあるね」
「そういういきさつがあると、そう思えるわね」
本郷「そうするとね、彦根の井伊家って、兄を斥けて成立しているわけでしょう。それで気になるのが、直虎と直政の関係だ。血筋から言うと、嫡流は直虎だよね」
「ああ、そうか。嫡流の直虎を何らかの契機で排除して直政が当主になったとすると、それは直継と直孝の関係に重なるんだ。どこかの王朝の最高権力者がお兄さんを亡き者にして話題になってるけれど、そんな兄の廃立を想起させるわけね」
本郷「そうなんだ。直虎が男性だとして、どのように生きたかは資料は全く語らない。けれども、かりに直政が直虎に代わって当主になった、しかも、平和的ではなく、という事態があったとすると、これはまずいことになる」
「なるほどね。その辺りの微妙な関係に触れたくないもんだから、『井伊家伝記』は苦しまぎれに、『直虎は女性だったんですよ』と小説のようなことを言い出したんじゃないか。直虎から直政へ、というのは、スムースなバトンタッチだったんですよ、と言いたかった。そう考えるわけね」
本郷「あくまでも、可能性の一つだけれどね」
「ふーん。じゃあ、あなたは具体的には、直虎は幼くして家督を継いだ後、どういう人生を送ったと思う?」
本郷「うん。その問題を考察するポイントはね、『井伊谷三人衆』だと思っているんだけど、詳しくは次回にお話ししましょう」
「長くなったからね。はいはい、では次回もよろしくね」

 

 

 


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コメント

    • 名無し
    • 2017年 3月 15日

    通説とされる直虎女説にはやはり無理があると思います。
    本郷先生もおっしゃるとおり、ふつーに考えると男なんです。
    http://www.ii-museum.jp/blank-7

    • 次郎胞子
    • 2017年 3月 10日

    (連続投稿すみません~)

    ひらめきました!

    直虎は、性同一性障害を持つ、男子であった。女性の心を持つ男子、です。
    心の病ということで、表に出ることはあまりなく、「僧(尼)のような子なんですよ」といって、ひっそり奥で育てられました。
    直盛も妻も、この子はさておき、次の子の妊娠に希望を託しました。

    しかし、桶狭間で当主・直盛が亡くなり、子供はその子だけになってしまいました。
    直政もよちよち歩きでしたので、やれチャンス!と思った家臣の間で家督争いが起こり、直政の父が謀殺されました。小野や他の家臣に井伊を乗っ取られたくない家臣たちは、奥に隠していた子を嫡男・次郎法師として世にだし、この子が本筋だと主張しました。バックに井伊派の家臣がつき、摂政政治をしていきました。

    しかし、それは急場を凌いだにすぎず、結局、井伊は小野に乗っ取られてしまいました。
    井伊派の家臣たちは、好機が訪れるまで待ち、家康を後ろ盾にし、直政に引き継ぐ見通しが立ったところで、井伊家を奪い返しました。

    男子としての公のお役目が終了した直虎は、希望かなって尼の姿になりました。
    女子として名を改め、女子として戒名を残しました。そのため、家系図には女の名で載り、直政を正当化するために、直虎の名は消されました。

    突拍子もないですが、このような確率もあるはず?でしょうか。

    というのは冗談で。。。

    気になること。

    ・ヒトは生殖能力があれば、年齢を問わず子供が作れます。子供だと思う年齢でも、十分作れます。今昔を問わず、小学生でも高学年になれば経験がある子はいますから、保健体育で性教育を早めにするわけです。いわんや1500年代おや。ですから、直盛の年齢から逆算して直虎が子供だといい切るのは、ひじょうに難しいと思います。

    ・次郎法師が、一般的には幼名として用いられる、ということから子供だったのでは?と推測するのであれば、元服前の青春期だったと考えることもできると思います。もしくは、元服を待たされている状況であった、とも考えられると思います。子供とは言い切れないと思われます。

    ・井伊家伝記における「次郎法師」という人物は、男であれ女であれ、井伊の血を守り、直政を立派に育てあげた、いわば「徳川の恩人」である、ということ伝えたかったのですよね。よって、おっしゃるように、「彦根よりも、遠州の井伊谷を、幕府は大事にすべきである」ことをアピールし、巻き返しするのが目的であったのだろう、と考えられるわけですね。

    それをアピールするときに、「次郎法師」=「男」であると都合が悪いことは何か?。。というと、家督を相続できる人物になってしまう、ということでしょうか? 次郎法師が男だった場合、家督は順当に直政に渡りません。直政の前に、次郎法師が継ぐことになります。

    「男である次郎法師に、井伊の相続権を主張されると、井伊家はひじょうに厄介なことになる」という問題があり、策を練った末に、「次郎は女」としたのでしょうか。
    その場合、「次郎法師」は、今回の新説にでてきたような他家の従妹ではなく、直政よりも正当な血筋で、家督を主張できる立場にある必要があります。

    とすると、、やはり当主・直盛の子に男子がいた、と考えた方が素直ですが、でも、ちょっと待った。
    それもする必承がないのでは?

    直盛には男子はいたけれども(妻不明の男子)、「その子は次郎法師として名乗った時期はあるけれど、やがて仏門に入った」、もしくは「相続権を放棄した」として、直政にバトンを渡すために尽力した男であった、とすればいいのです。家系図にも、嫡男「次郎法師」の名を載せればいいのです。それでも、十分、遠州井伊家の重要性は伝わりますし、徳川家にアピールできます。

    それをしなかったのは、

    ・直盛には、「次郎法師」と呼ばれた嫡男はいなかった、と考える方がスムーズに思うのですが? 

    ・直盛のひとり娘を「次郎法師」とすることが、遠州・井伊家の復興の大きなポイントになる、ということでしょうか? 

    ・逆に、直盛のひとり娘以外の者が、「次郎法師」であることを否定したい、という理由も考えられるでしょうか? 
    その場合、その者が「次郎法師」であったら、彦根の井伊家が有利になり、遠江の井伊家は不利になることがある、と推測したいところです。

    しかし、ここに出てくる「次郎法師」は、そもそもたいした働きはしていません。それに、次郎法師が誰であれ、直政は遠江で家康の片腕になったことは事実で、遠江の井伊家が大事であることを、今いちど彦根に主張するには、十分だと思われます。

    それでも主張したいとすると、、、

    ・龍潭寺は「直盛」の菩提寺であるから、「直政」との関係は、ダイレクトにはありません。ですから、「直盛(龍潭寺)」と「直政」の絆を深めるエピソードが必要で、直盛の娘が、直政の父と許嫁になり、それが理由で尼僧となって龍潭寺で修業し、女であるが次郎法師と名乗って井伊の危機を救った。そして、直政を家康に引き合わせ、現在の井伊ができあがった、というストーリーを作った、ということでしょうか?

    たしかに、龍潭寺と井伊直政のつながりは、ぐっと深く、直盛の娘の立場も重要になります。

    しかし、、、そこまでする必要が、あまり感じられません。

    直政の父の墓は龍潭寺にありますから、あえて、直盛の娘を「次郎法師」とねつ造しなくても、龍潭寺は十分、直政のルーツにかかわる場所であるといえます。直政を家康のもとに送り出すのに、重要な役目を担った場所といえます。
    つまり、直盛の娘を「次郎法師」だとねつ造するような、面倒なことをしなくても、龍潭寺はいくらでも彦根にアピールできる題材があるということです。
    どうせねつ造するなら、龍潭寺の僧侶の活躍を大げさにからめるとか、寺の神仏が奇跡を起こした話でも書いておくとか、神社仏閣や英雄には、大変よくある嘘のようなエピソードをねつ造すればいいことです。

    もしも、この伝記がねつ造であるならば、「直盛の娘が次郎法師である、という、決定的な必然性」が、必要です。

    そして、次郎法師=直虎である、とは、龍潭寺の伝記はいっていません。
    「次郎法師が直虎」であるのなら、そこまでねつ造してもいいのでは?と思ってしまいます。なぜ。そうしないのでしょう?

    直虎は別にいるけれども、次郎法師こそは直盛の娘である、と言いたかったのでしょうか?

    それにしても、。、

    聖徳太子は教科書から消えるし、鎌倉幕府も「いいくに」じゃなかったし、鎖国表記はなくなるし、そもそも日本書紀は藤原氏の立場で捏造されたものであるという見方が強いし、それ以前の歴史は、どこに真実があるのか不透明極まりないし、なにより筆記できた人はひとにぎりで、昭和以降でも書くことは不得意な人は多くいたし、ついこないだの、慰安婦問題ひとつ片づけられないし、、、

    ということから思うのは、

    同時代に書かれたものに歴史の真実がある、とも言えない気がしてしまいます。

    むしろ、後世になったからこそ、真実を語れる、ということもありそうですし。

    これでは歴史学者は困ってしまうでしょうけれど、そこも、真実を追うためのお役目ゆえの課題の高さ、ということでしょうか。

    それにしても、こちらの推理は面白いです。

    次を待っております~!

    長文にて失礼いたしました。(文章も乱れていると思いますが、ご容赦を)

    • 次郎胞子
    • 2017年 3月 09日

    面白い~~!
    こっちの記事に続いていたのですね。商標問題の記事が挟まれていたので、うまくたどり着けなかったです。

    いやあ、私も、怪しいと思ってたんですよ~。(って根拠のないただの創作だけど)
    直盛の側室もしくは愛人(って側室?)、もしくは不倫相手(ごめんなさい)の子が直虎なんじゃないですか?
    あ、、、もしかして、龍潭寺とか、そのあたりの尼僧の子とか?(考えすぎか?)

    でありますから、女次郎法師の義弟ということで、一応、嫡男。
    ということで、次郎法師になったのでおじゃる。

    んが、
    「そんな表にだせない男子より、我が孫、直政の方が家督を継ぐにふさわしいのじゃ!」といって、奥山(直政のじいじ)に、その子供は殺されてしまう!

    直盛が死んだ後の、家督騒動に巻き込まれて、消されたわけであります。

    ん~~~~。

    でも、徳政令も直虎の名でちゃんと出てるわけだし、その意味で、世間さまに知られている存在なのだから、今さら消されたという事実を隠すこともないだろうし、むしろ、系譜に残すことで、直虎の存在はちゃんと残しておきたいと、井伊の直系の人たちは思うだろうから、なんで井伊家の系譜から消されたのか分からんのう。。

    井伊家の直系の人たちが、「直虎隠し」をしたい、と思う理由があるということですね。

    なんで?

    井伊家にとって、致命的に都合が悪い死に方をした(存在となった)ということですか?

    でもさ~、井伊家家伝が書かれたとき、直虎が生きていた時代よりも150年後なんでしたっけ?
    そのくらいの年数なら、口伝でなんとなくこういう人がいた、っていう名残は、殿様なんだから井伊谷にも残っているだろうし、伝わっていると思うんですよ。

    それなのに、あえて、そんな大嘘を書きますかねえ?
    それにしたって、そんな三文小説みたいな内容の物語を、龍潭寺の僧侶が記しますかねえ?

    嘘をつく目的が「直虎殺害の真実を消すこと」にあるなら、もっと上手に、だましやすいようにつきませんか?

    女が領主となり、井伊のピンチを切り抜けた、ということにして、いったい誰が得をするのでしょう?

    でもさ~~~、すっごい一言、いっていいですか?

    昔のおばあちゃんて、「とらさん」って名前の人、けっこういましたよね。

    「トラ」は女性の名前です!って言ってもいいくらいに、「とら」ってお名前はよくありましたよね。知り合いの大ばあばもトラです。「タツ」も女性名だし。「クマ」も多いし。

    だから、「虎は男」とは、とてもとても、言えないと思うのですが~~。

    ってことで、名前についての男女の論破はひじょうに難しくないですか? すっごく素朴な疑問なんですけど。

    さて、どうなることやら。

    次なる論破を期待いたしま~す。

    すごく面白いです!

    • 匿名
    • 2017年 3月 01日

    盛り上がってきました!

    • 匿名
    • 2017年 2月 28日

    それと、守安公書記の評価はどうなりますか。私は、井伊家伝記よりは信用できると思いますが。.

    • 匿名
    • 2017年 2月 28日

    かなり話が飛躍してきましたね。次回が楽しみです。

    • 名無し
    • 2017年 2月 28日

    直政と直虎(とされる人物)に跡目争いがあったとするなら、直親との間には? 本郷先生がおっしゃるように、次郎法師(または「次郎直虎」名で関口越中守氏経と連名で文書を発給した人物)は実際にはかなり遅くに生まれているから、直親家督相続時のライバルたり得なかったという理屈になるのでしょうか?

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