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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

足利尊氏、征夷大将軍になる! 不安定な性格ながら気前の良い大将だった?

更新日:

 

室町幕府の初代将軍・足利尊氏

鎌倉幕府を作ったのは源頼朝。江戸幕府を開いたのは徳川家康。
では、室町幕府の初代将軍は?

と聞かれると、しどろもどろになる人もいるのでは。
「えーっと、高師直(こうのもろなお)だっけ?」
って、これはさすがにないっすな。
はい、正解は足利尊氏です。

1991年に主人公となった大河ドラマ「太平記」は最高傑作とまで一部で言われています。(ヤフー知恵袋

現在では足利尊氏ではなく、部下の「高師直では?」とされる騎馬武者像/wikipediaより引用

アラサーあるいはアラフォー以上の世代ですと、上記の騎馬武者像を真っ先に思い浮かべるかもしれませんね。

ただし、当時の歴史の授業だと
暦応元年(1338年)の8月11日に征夷大将軍となり、室町幕府をつくりましたよ。
以上!
と、教わったのはこれぐらいのもんでしょう。

むろん、それだけの人ではござーせん。
3代目で金閣寺をたてた足利義満さんに比べると、イマイチ影が薄くなってしまっていますが、いろいろとエピソードがあります。

 

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ご先祖様は源義家 頼朝と同じく源氏の名門

元々、足利家は源氏の名門。
源頼朝のご先祖・義家(八幡太郎)の子孫が下野国足利(今の栃木県足利市)に移り住んだため、その地名を名字にしたのです。
頼朝直系将軍は三代・実朝(さねとも)で絶えてしまっているのですが、血筋からすれば将軍職に就いてもおかしくないほどの家柄だったといえましょう。

それが執権北条氏によって「源氏をこれ以上は将軍にはさせまい!」と、そのポストを藤原氏や皇族などにあてがってしまったのです。
この頃から、北条氏との因縁はぐつぐつと煮えたっていたのですねぇ。

では、英雄としての尊氏がなぜあまり知られていないのか?
主な原因は二つ考えられます。

一つは、彼の行動方針がしょっちゅう変わっていてわかりづらいこと。
最初は北条氏の命令を聞いておきながら、途中で進む方向を変えてなんと幕府の機関・六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻めたりしています。さらには天皇の味方になったと思ったら、また裏切ったり……。

誰かに似ていると思いませんか?
そう、秀吉の援軍を信長に命じられていたのに、踵を返して本能寺を攻めた明智光秀のような行動なのです。
当時の情勢的には仕方ないのかもしれませんが、後世から見るとあまりいいイメージはわきませんよね。

 

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忠義を重んじる楠木正成に人気で完敗の尊氏

そして、同時代の武将・楠木正成(まさしげ)の人気っぷりも、尊氏の知名度を下げた原因でありましょう。

楠木正成/wikipediaより引用

正成は、その忠誠心と最期の潔さで非常に人気のある武将です。
鎌倉幕府が滅びてから室町幕府ができるまでの間に、政権を巡って後醍醐天皇と尊氏の間で戦が起こるのですが、このとき正成は天皇方につきました。

当初、正成は「もう武家を抑えるには武家に政治をやらせるしかないですよ、尊氏に新しい幕府を作らせたほうがうまくいきますよ」と天皇に勧めました。
しかし、後醍醐天皇も「わしだって政治やりたい!」と強く主張。その割にやってることがしっちゃかめっちゃかだったので、武士どころか貴族まで不満を言う始末です。

後醍醐とか後白河とか「後」がつく天皇は、なんだかハチャメチャな人が多いですね。
正成が譲歩して「仲直りできないなら、せめて京都から避難してもらえませんか。そこで尊氏を迎え撃ちますから」と言っても突っぱねられてしまいます。

こんな状態だと裏切りたくなりそうなものですが、それをやらないのがザ・正成!!
楠木家は元々いい家柄ではなく、後醍醐天皇に認めてもらって官位をもらっていたので裏切れませんでした。
なにより、「忠義」を突き通せる性格もあったのかもしれませんね。

結果、不利な状況で戦わざるを得なくなり、正成は一族揃って自害することになってしまいます。
最期までめちゃくちゃな主君に尽くしたのです。そのヒーロー正成と戦った尊氏のイメージがあまり良くなくなるのは、仕方のないことかもしれませんね。

 

本当は深イイ尊氏君

そんな尊氏ですが、良い話も伝わっています。
部下には特に「気前のいい大将」でいようとしていたらしく、戦の最中でも功績のあった人には直接「後で褒美やるからな!」という手紙をあげています。
戦の最中は味方同士の連絡も混乱しがちですし、誰でも手柄を欲しがりますから、公平に褒美をもらえないこともありました。

しかし、大将がお墨付きをくれれば間違いなく褒美がもらえます。しかも直筆で直接くれたとなれば、感激は倍増。時には自分の刀などもあげていたようです。
そのおかげか、不利な状況でも尊氏に逆らう者はあまりいませんでした。

また、尊氏は敵へも礼儀を尽くす人でした。
上記の楠木正成と戦って勝った後も、首を確認した後「家族が会いたがっているだろうから、返してやれ」と言って正成の首を送り届けています。正成の人柄を評価していたのではないか?とも言われていますが、真相はわかりません。
個人的に付き合いのあった夢窓疎石(むそうそせき)というお坊さんも、「尊氏は部下への気前が良い」「敵を憎むことがない」と評価しています。

一般的にイメージする「武将らしい武将」というよりは、周りに気を使いまくるような、人のいい町内会長さんって感じだったのかもしれませんね。
そういや、少なくとも天下をとるまでの秀吉や家康も「気配りの人」でしたし、やんちゃに見える伊達政宗も直筆の手紙を書きまくった筆まめでした。

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変化の激しい現代社会においては、見習うべきは、「トップがアホでも、どんなにブラックでも、一度入った会社には最後まで忠節を誓う」か、「メールやLINEで仲良しを作りまくって臨機応変に立ち回り、でっかい夢をかなえていく」か。
あなたは尊氏派? それとも楠木正成派?

 




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