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その日、歴史が動いた

にゃんにゃんにゃん2月22日は猫の日 人より家や物の相棒?だった猫の歴史【その日、歴史が動いた】

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他人の好みや性格を知りたいなあ、と思ったときに「犬と猫」の例えはよく使われます。
ワガママとか気まぐれだと「あの人は猫型だ」とか、「この人は犬好きだから、真面目なタイプが好きなんだろうな」とか。
実際にはのんびり屋の犬もいますし、従順な猫もいますので当人(犬・猫)からしたら迷惑な話かもしれませんね。

2月22日は「猫の日」ということで、本日は猫にまつわる歴史と各時代ごとの愛猫家達についてまとめてみました。

必ず教科書に出てくるようなエライ人から「誰それ」といいたくなるような人まで、昔からぬk……もとい猫の虜になった人は世界中にいたようです。

ルーブル美術館にあるエジプトのネコ像(Wikipediaより)

 

猫の原産地はエジプト周辺といわれているのですが、現在見つかっている最古の飼育例らしきものはギリシャ・キプロス島にあります。
9500年ほど前の要人のものとと思しき立派な墓の中に、猫の骨が見つかったのです。
生贄なら家畜、死後のお供なら人間でしょうから、恐らくは可愛がっていた猫を一緒に埋めてあげたんだろうということになっています。
……そのとき猫は生きていたのか、殺して無理やりお供をさせたのか、あるいは猫が死んだ悲しみのあまりに主が自害したのかが気になりますが、そこまでは研究されていないようです。

北欧神話の女神フレイヤの車を引っ張るネコ

一方、原産地の古代エジプトではバステトという猫の顔をした女神がいますので、犬と同様に珍重されていた様子が窺えます。
このため、楯に猫の絵を描いて敵を追い払ったこともあるとか。ネコミミ・猫しっぽに萌えていたわけではないでしょう。多分。

バステト神

ところかわって中国やヨーロッパでは、猫は稲や麦の精霊と考えられ、同じくありがたい動物と受け取られていたとか。ネズミを追い払う(食べる)からですかね?

日本に渡来したのは弥生時代ころらしいのですが、はっきり文献に出てくるのは飛鳥時代。
奈良時代には仏典をネズミから守るため、中国から一緒に運んできたことが記録されています。
平安時代あたりからは誰それがぬこに萌えていた……もとい、愛猫家であったという記述がたびたび出てきます。
いよいよ怒涛の愛猫家ラッシュに入ります。調べててドン引きした人も何人かゲフンゲフン。

愛猫家の自分もどん引き?! 日本史の愛猫家列伝

上記の通り猫は渡来した生き物ですから、当初はとても珍しく、高貴な人物しか飼うことができませんでした。
日本で高貴な方というと当然皇室です。
そのため、日本の愛猫家は当初天皇家の方々だけでした。

記録に残っている中では、宇多天皇の日記「寛平御記」(かんぴょうぎょき)が日本における最古の飼育例とされています。
「父上から黒猫をもらったよ。他の猫は薄墨色みたいな感じだけど、この子は墨みたいな真っ黒でめちゃくちゃ可愛いよ!(中略)座ってると黒い宝石みたいに綺麗だよ!それからそれから(中略)ある日話しかけてみたけど、やっぱり言葉はわからないみたいだったよ」(気持ち悪くない程度の意訳)
「寛平御記」は一部しか残っていないこともあってこのくだりは有名なのですが、よりによってここが残るとは宇多天皇も思っていなかったでしょう。
まさか愛猫の可愛さを伝えるために霊になって守ったとかそんなバカな。

宇多天皇(Wikipedia)

皇室には珍しいほどの仲良し夫婦・一条天皇と中宮定子も愛猫家でした。
「命婦のおとど」という枕草子にも記載された猫です。命婦とは女官の官名ですので、おそらく雌猫だったのでしょうね。
この猫がある日犬にいじめられたのを見て一条天皇がブチ切れ、その犬を折檻した上島流しにしたといいますから、いかに猫バカだったかが窺えます。
その犬はボロボロになっても宮中へ戻ってきたそうで、「女官も天皇も哀れに思った」と記録されているのですが、その後どうなったのやら。

一条天皇(Wikipedia)

 

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江戸城はネコがつくった!????

太田道灌(Wikipedia)

時代が飛びまして、最初の江戸城を作った太田道灌(どうかん)には猫に助けられたという逸話が伝わっています。
あるとき、道灌は敗戦からの帰還中道に迷ってしまいました。モタモタしていると追手に見つかるか農民達の落ち武者狩りに遭いますので、悠長なことは言っていられません。しかし戦の後の疲労で右も左もわからず、途方に暮れていたそうです。
そこへ現れたのが一匹の黒猫。彼(?)はまるで「おいでおいで」というように招くしぐさをしたので、道灌は不思議に思ってついていったそうです。

猫の行く先には「自性院」というお寺があり、道灌はしばらくの間身を隠すことができました。
そして無事帰還した後「あの猫がいなかったらワシは今ここにおらん。礼をしなくては!」ということで、自性院にその黒猫を祀る「猫地蔵」を建てたというお話です。
自性院も猫地蔵も新宿区西落合に現存していますので、周辺に御用の際は立ち寄ってみるのもいいでしょう。

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鬼島津もネコ萌え じゃなく鬼だった

島津義弘(Wikipedia)

意外ですが、豪傑のイメージが強い「鬼島津」こと島津義弘も愛猫家だったようです。とはいえ萌えたためではなく、いかにも武将らしい理由がありました。
猫の目は時間によって大きさが変わることに着目し、時間を計るため朝鮮の役の際、7匹の猫を連れて行ったそうです。
渡海先では嫡男が病死、兵の多くも寒さや兵糧不足に苦しめられたため、猫たちも全頭揃っての帰国はできませんでしたが、生還した2匹は今も猫神として祭られています。
ただの道具と思ってたらそんなことしなかったでしょうから、少なからず猫に感謝していたんでしょうね。
猫の目の大きさが変わるのは明るさによるものなので、時間を正確に計れたのかどうかは疑問もありますが、当時は蛍光灯とかないですから多分大丈夫のではないかと。

篤姫も!宮崎あおいも?

天璋正院篤姫(Wikipedia)

江戸時代の猫好きとしては篤姫が有名でしょうか。
独身時代には犬(狆)を飼っていたそうですが、江戸城に入った後、夫・家定が犬嫌いということを知り、それならということで「ミチ姫」と「サト姫」という名の猫を飼っていたとか。
ミチ姫はすぐ死んでしまったそうですが、サト姫は16年も生きたといいますから、幕末の激動を生き抜いた篤姫にとって数少ない癒しになっていたのでしょう。

明治の文豪・夏目漱石は「吾輩は猫である」の主人公のモデルとなった黒猫を飼っていたそうです。(参考 夏目漱石の全小説を1行で言い切ってみせます!名言&トリビア付き)
作中の苦沙弥先生とは異なり、かなり可愛がっていたようで、知人に猫の死亡通知を出したり、墓を作るほどだったとか。

昨年末ご紹介した奇抜な天才(イケメン)・南方熊楠も愛猫家でした。
ロンドン留学時から猫を抱いて寝ており、帰国後は後々奥さんになる女性を口説くため、わざわざ汚い猫を探しては「洗ってやってくれ」という口実を作って会いにいっていたそうです。奥さんはなぜ自分で洗わないのかツッコまなかったんでしょうか。
飼い猫には代々「チョボ六」というユニークな名前をつけていたとか。さすが天才のネーミングセンスは常人とは違います。チョボはともかく、なぜそこに漢数字をつけたのか全くわかりません。
自宅に「武相荘」と名付けた白洲次郎とぜひ対決してほしいものです。

既に国内だけで8人いますが、世界の愛猫家達も負けず劣らずドンb……熱心な方が多いので、続けてご紹介しましょう。

世界の愛猫家たちも負けず劣らず

後世に与えた影響が一番デカイ愛猫家は、ダントツでムハンマドでしょう。
正式な記録ではなくあくまで逸話レベルなのですが、「飼い猫が服の袖の上で寝ていたので、袖を切り落として着た」という話が伝わっており、溺愛ぶりが窺えます。
アラビア半島で袖のない服なんぞ着たら皮膚の死亡フラグがビンビンに立ちそうなものですが、当時は紫外線が弱かったんでしょうか。
その他猫に関するエピソードが多いため、多くのイスラム教徒が猫を大切にしているそうですよ。

時代はぐっと下りまして、17世紀のフランスにも愛猫家がいました。
「三銃士」の悪役として有名な宰相兼枢機卿のリシュリューです。
この人の場合は逸話より何より、猫と一緒に描かれた肖像画の多さが猫好きっぷりを表しているでしょう。
肖像画は権力の象徴ですから、そこに猫も描かれているということは、本当に猫がその場にいた・もしくはわざわざ猫を一緒に描かせたことになりますからね。
14匹の愛猫にはきちんと名前もついていましたが、中には「ルシフェル」というソレ聖職者的にいいのかとツッコみたくなるような子もいたとか。

cardinalderichelieu.forumactif.comより

さらに時代を飛ばして、首相というよりは「ドン」と言ったほうが似つかわしい風貌のウィンストン・チャーチルも、顔に似合わず大の猫好きだったことが知られています。
イギリス紳士らしく皮肉めいた言葉も残していますが、代々「ジョック」と名付けた猫を飼っていたこと、遺言の中に「私の死後も、ジョックが何不自由なく暮らせるようにしてくれ」という一言があるだけでも可愛がりようがわかるというものです。
ちなみに皮肉のほうはこんな感じです↓
"I like pigs.
Dogs look up to us.
Cats look down on us.
Pigs treat us as equals. "
(適当訳)「私は豚が好きだ。犬は我々を見上げるし、猫は見下す。豚だけは対等でいてくれるからだ」
チャーチルは代々貴族の家柄ですから、見下されるのはもちろん改まって見上げられるのもイヤだったんですかね。
もっとも、彼は猫や犬、豚に限らず基本的に動物が好きだったようですので、これはイギリス紳士の嗜み・ブラックジョークというものでしょう。

このように古今東西ありとあらゆるところで猫は愛されてきたわけですが、犬と比べると活躍の場は限られていました。
ねずみを追い払うことから、お経や本などの書物やお酒を守るための番犬ならぬ番猫として働いていたケースが多いようです。
こうしたものを保管するのは暗い倉庫が多いため、ねずみが出やすいので猫の仕事場になったのでしょう。
代表的な例としては、スコットランドのウイスキーキャットが有名ですね。
ドイツワインのラベルにはよく黒猫が描かれていますが、その理由は「黒猫が飛び乗った樽のワインがおいしい」「黒猫という名前の村で造られたワインが始まり」などなど、これが定説!というのは決まっていないようです。

「犬は人につき、猫は家につく」と言われるたのも、もしかしたらこうした仕事場の違いからきたのかもしれませんね。
意味としては「引越しなどの際、犬は置いていっても(人に懐いているので)ついてくるが、猫は家が気に入っているので人のことは忘れて昔の家で暮らす」というものですが、普段人と一緒に行動することの多い犬と、外出もするものの仕事場は屋内の猫を比べれば、慣れ親しむ対象が変わるのも自然な話です。
現代の猫はより性格の個体差も大きく、人につく子もいれば家につく子もいますので、一概にこうとはいえないようですね。縄張り意識の強さにもよるとか。

以上、猫に膝の上を占領された長月がお送りしました。ぬくいけど重い。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org
http://ja.wikipedia.org/
http://www.necozanmai.com/zatsugaku/meigen.html




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