ここ数年で最も売れた歴史本と言えば、呉座勇一氏の『応仁の乱』。
あの一冊は出版業界、特に歴史分野においては“事件”でした。
戦国時代以外をテーマにしていて、著者の知名度も一般的には高くない。そんな若手研究者の本が、40万部も売れるなんて一体どういうこと?
出版業界では、ザワめきが起きると同時に、歴史新書という鉱脈を見出した一冊にもなりました。
同時に、呉座氏の知名度も飛躍的に上昇し、テレビにも出るようになり、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証というところまでのぼりつめた。
しかし、そんな矢先に発覚したのがTwitter上での不適切発言です。
紆余曲折を経て呉座氏は大河ドラマの考証担当を自主降板することになり、以降、表舞台に目立って出ることはありません。
そして2021年11月17日に出されたのが、以下の新書です。
『頼朝と義時 武家政権の誕生』(→amazon)
考証を外れた気鋭の研究者は、ドラマ放送を前にして、頼朝と義時をどのように捉えているのか、見ているのか?
本書は作品を楽しむ上で役立つのか?
その辺を考慮しながら書評とさせていただきます。
大河ドラマ関連書籍とは?
本題に入る前に、大河ドラマと出版事情について私の知り得る範囲で振り返ってみます。
大河ドラマの関連書籍は、大型店舗だけでなく、中小書店にも置かれます。
図書館では過去の書籍も見つかりますが、実はこうした関連書籍の傾向から、ドラマの出来もある程度推し量ることができます。
三谷幸喜さんが過去に手掛けた二作については、関連書籍が充実しており、かつ極めて深い知識まで網羅されていました。
逆に、あえて作品名は出しませんが、その作品の時代やテーマなら確実に上位に入るであろう研究者が、大河の批判をしていたり、言葉を濁している大河ドラマは一般的に出来がよろしくありません。
ダメ大河の関連書籍については、肩書きだけが立派で専門とテーマがあまり一致していない執筆者が並ぶこともしばしばあります。
では『鎌倉殿の13人』はどうか?
本来であれば、関連書籍には呉座氏の名前と原稿も多数掲載され、気鋭の研究者として輝いていたのでしょう。
講演会や時代祭りへの参加もあったはず。
しかし前述の通り不適切発言から降板。
残念だなぁ……とは考えたって仕方ないですが、どうしたってそんな思いに駆られてしまいます。
大河の場合、歴史雑誌系の別冊やムック本で、思わぬ良質な一冊が発売されることもありますが、確実にそのラインより一歩踏み込んだものが歴史系新書です。
手に取りやすく、それでいて内容は専門性が高い。
大河ファンとして一段上に登るためにはぜひともおさえておきたい。
それが大河はじめドラマ関連の歴史系新書の姿。
呉座氏を著名にした舞台でもあります。
歴史系新書のセオリーとルール
新書の欠点は「表紙がシンプル過ぎる」ことでしょうか。
文中でカラー図版を使えず、レーベルごとの様式もあって表現の自由度が著しく低い。
こうした欠点を補うため最近は帯で個性を出す傾向がありますが、呉座氏の『頼朝と義時』は、淡いカーキ色でとにかくシンプルにまとまっています。
もしもこの本が、大河ドラマと無関係な時期に出ていれば、さして気に留めることはなかったことでしょう。
だからこそ、どうしても私は考えてしまいます。
なぜ、この一冊を出したのか?
NHKドラマ関連商品は、許可を得ることが必要であり面倒です。
それでも売上アップが見込めるならば、NHKに写真の提供を求める本は多い。
少しジャンルは異なりますが、華流人気ドラマ『陳情令』と『三国志 Secret of Three Kingdoms』を用いた新書として佐藤信弥著『戦乱中国の英雄たち』があります。
あれは目を引き、かつどの層が手に取るべきかわかる秀逸なものでした。
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かように画像やロゴの使用許諾には手間がかかりますが、一方で、ドラマタイトルを帯や表紙にテキストで盛り込むだけならばそれほど大変ではありません。
たとえば辻田真佐憲著『古関裕而の昭和史』の帯にはこう書かれています。
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となれば呉座氏の本著にも、本来なら「2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をより深く楽しむ」等の文字が記され、史跡の写真やイラストが使われたことでしょう。
しかし、そういった文言は一切ありません。
地味過ぎる帯だけではなく、本書は妙な点があります。
系図が冒頭にしかありません。
それ以外にも、地図、図版、写真、年表がない。
フォントや見出しも特に工夫がない。
新書ならそんなものだろうとお思いかもしれませんが、最近はフォントやレイアウトで個性を出すものも出てきています。
星海社新書がこの点では巧みなデザインを施しています。
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また、呉座氏の『頼朝と義時』の巻末には「参考文献」しかありません。
親切な新書では「さらに深く知りたい人のために」という書籍一覧が付いていることもあります。
要は、本には個性があるのです。
そういった視点から見ると、呉座氏の新刊『頼朝と義時』はかなり無愛想というか、必要最低限の要素だけで作られたように見えます。
この本を読んでさらに深く学びたいとか。
手元に置いて参考書籍として使いたいとか。
そういうアピールがない。
新書だから……とも思えません。
確かに図版は基本的にモノクロのみとなりますし、家系図ならばムックや別冊の方が大きく掲載されているだろうから、それを入手すればよいとは思えます。
それにしたって、いくらなんでも今回の『頼朝と義時』は無愛想が過ぎないか?
味はよいけれども、接客態度がまったくなっていない飲食店に入ったような、そんな奇妙な戸惑いがつきまとう一冊ではあります。
本書を手にして違和感を覚え、手元の歴史系新書とさらに比較してみました。
そうすると、やはりおかしな点が見えてきます。
本書には際立った誤字脱字や変換ミスはありません。校閲はしっかりされている模様。
しかし、編集なり修正なりは、それ以外にもなすべきことはあると思えます。
本書は、例えば引用のレイアウトが妙です。
文献から文章を引用する場合、前後各一行は開けて、上側を全角2字分字下げします。そうすることで、引用であることがわかる。本によっては、フォントを少し小さくしたり、変えることもあります。
要するに、引用はパッとページを開いたらわかるようにするのがルールです。
本書は文献引用が短いためか、こんな書き方が多い。
『◯◯』では「こうなってああなった」とある。
具体的に原文はどうなっているのか?
そこ省略されていて、どうしても気になるのです。
ゆえに、こういう書き方がルールとしてあります。
『◯◯』にはこう書かれている。
今回の新書は、何か不具合があったのではないか?
そんな意見が出ていたとされる。
まとめるにせよ、現代語訳にせよ、どうしても筆者のバイアスが入ります。
バイアス抜きのソースが欲しいと思った際に、この書き方では使えないのではないか。そんな懸念が募ってしまう。
それでも文章として読んでいておもしろければ、それはそれで結構なことなのですが……。
要求されるレベルは高い
本書は、選考研究者の見解に対する呉座氏の批評や意見が掲載されています。
それそのものはまったく問題がありません。ただし、かなりの知識が必要となります。
呉座氏のような研究者ならば「ああ、あの先生はこの事件についてこう論文で書いていたっけ」となる。
しかし、そうでなければそもそも「あの先生」が誰かすらわからない。
また、呉座氏がご自身の著書で述べたと書いている箇所もあります。
呉座氏の著書を全部読み、内容を把握していることも前提とされているようで、その前提条件ではさすがに読者にとって厳しいのではないか?と思えてきます。
文体そのものも固く、要するに、こなれていません。
専門誌に掲載されるのであれば、まったく問題はありませんし、呉座氏は実力のある執筆者であります。
それでも文章にも装いはあります。
新書の場合、もっとわかりやすく、噛み砕いているほうがよいのではないか?と思いました。
新書を初めて出したころは固かった文章が、出すごとにやわらかく、読みやすくなっていく研究者の方がおられます。
そうした文章と比較すると、本書はどうしても固く、読みやすさには疑念を感じてしまう一冊なのです。
本書はなぜ書かれたのか?
本書はなぜ書かれたのか?
発行元である講談社サイドの動機を推理することは難しくはありません。
ベストセラーで顔も売れている研究者が、大河ドラマ時代考証を務める(予定だった)。テレビに露出するため読者層の間口は広がり、売上的に外すことのない新書を書けるはずだと依頼をする。
極めて合理的な判断でしょう。
一方、執筆者である呉座氏の動機はどうなのか?
あとがきに書かれております。
『鎌倉殿の13人』は、呉座氏の専門とは時代がずれていて、彼自身、十分に把握できているとは言えない源頼朝と北条義時について学び直し、その成果発表として執筆し、講談社の依頼に答えたとあります。
実際その通りなのでしょうし、そこを疑う理由は一片たりともありません。
ただ、本書を仕上げる過程に問題があったのでは?
そこをどうしても考えてしまいます。
ここまであげてきた難点は、呉座氏に責任があるとは思えません。
文書の体裁を整える。
系図、写真、図版の選定。
帯のデザインやレイアウト。
こうした作業は、編集側のものです。
あるいは、
「先生、ここはちょっと読者にはわかりにくいです」
「大河ドラマのファンが手に取りますから、もっとこう、くだけた書き方はどうでしょう?」
「素人向けの文章にするのって、不本意かもしれませんけど……」
といった提案をするとか、校正なり、加筆修正の手筈は、著者のみでなく、周囲が為すものです。
そうしたブラッシュアップの不足をどうしても感じてしまう一冊なのです……。
呉座氏があとがきで書いたことに、偽りがあるとは思えません。
彼なりに知識をまとめ、見つめ直す。その過程を書いたのだとすれば、本書の欠点も納得ができます。
彼は自著にせよ、他の研究者の主張にせよ、あげた範囲のことならばすべて把握していることでしょう。
年表や図版は、彼自身が保持していることでしょう。
文体にせよ、この程度のものこそがむしろ自分の守備範囲。素人に向けてやわらかくする必要は、彼にあるはずもない。
内容としては極めて立派なものであるとも思います。呉座氏が研究熱心で、すばらしい知識と才能の持ち主であることもわかります。
ただ、それだけでは足りないものもあるかもしれない。
本書を読み、確かにタイトルの二人(頼朝と義時)に対する理解は深まりました。
俗説めいた誤解や誘導にも、ひっかからくなったと思えます。自分の中にあったうろ覚えの知識を修正することもできました。
本書を読んだことに後悔はありません。読んでよかったと思えます。
ただ、読んだ後に浮かぶ思いは、充実感だけではないことも確か。何かザラついたものが、どうしてもひっかかる。
Twitter騒動などが起きず、本来あるべき姿で本書が世に出ていたら、どうなっていただろう?
彼の姿を大河関連のイベントで見ることができていたら?
まだ見ぬ『鎌倉殿の13人』のスタッフロールに、彼の名前があったとしたら?
そう惜しむ気持ちこそが、そのザラついたものの正体なのかもしれません。
彼の決意に、江湖はどう応じるのか?
本書のあとがきには、呉座氏が大河降板に至った経緯と本書の執筆について簡潔に述べられています。
敢えて断念をせず、日本史の研究と普及というかたちで、社会に貢献したいという決意がそこにはある。
そして本書を通し、江湖(こうこ・世の中とか世間の意)に己について問いかけたいと真摯に書かれてもおります。
江湖の客(世の中にいる人)――いわば読者の一人として、その問いかけに応えたのが本稿といえましょう。
己に確固たる意見があるにせよ、江湖と向き合わねばならないことを、私たちはさまざまな敬意を通して学んでいて、それは終わることはありません。
本書で扱っているのは歴史です。
のみならず、私たちが江湖を生きているこの日々もまた歴史にいつか刻まれます。
後世、呉座氏や大河ドラマについて誰かが検証したとき、本書は史料として残ることでしょう。
そのときに、なぜこの一冊が世に出たのか、筆者はなぜ、何を江湖に問いかけたのか、またも検証されるのでしょう。
後世の人間に苦笑されぬよう、悔いなき生き方をしたい。
本書を読み終え私が感じたのは、歴史に対する問いかけそのものでした。
呉座勇一氏を応援し、今後も彼の研究を手に取りたいのであれば、本書は買うべきです。
読み、広め、彼の誠意を江湖に知らしめましょう。
なお、本書は「はじめに」が公開されております。参考までに。
◆武家政治の開拓者、源頼朝と北条義時の実像に迫る(→link)
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文:小檜山青
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