桂昌院

桂昌院(お玉)/wikipediaより引用

江戸時代

五代将軍綱吉の母・桂昌院の生涯「八百屋の娘だった」という噂は本当か?

2025/08/10

“犬公方”という悪意ある異名を残された徳川綱吉。

実はその生母も、存命当時から出自ゆえに貶められてきました。

徳川家光の側室であり、将軍の母として脚光を浴びるはずのシンデレラガールでありながら、

「犬公方のおふくろなんざ、しょせんは八百屋の娘だろ」

と、さんざん悪く言われてきたのです。

彼女はしばしば“八百屋の娘”として罵詈雑言が浴びせられ、綱吉悪政の責任者として扱われます。

一体この話はどこまで真実なのか?

桂昌院/wikipediaより引用

1705年8月11日(宝永2年6月22日)が命日である、桂昌院の生涯を振り返ってみましょう。

 


尾張の姫が おらばなるまい

徳川綱吉の生母である桂昌院。

彼女は、いつ何処で、誰の子として生まれたのか?

その出自にはいくつかの説があり、まず幕府の公式史書である『徳川実紀』では

関白・二条光平の家司である「北小路(本庄)太郎兵衛宗正の娘」

とされています。

表向きは、一定の家柄に仕えていた人物となっているんですね。

しかし、こうした記述は、例えば養女にするなどの後付けでどうにでもなるものです。

それゆえ当時から「もっと卑しい身分であろう」という噂が囁かれ、後に桂昌院が「従一位」という、女性にとって最高の位階を得ると、こんな落首が流れされました。

西陣の 折屋の女 一位職 尾張の姫が おらばなるまい

尾張の姫とは、徳川家光の長女で尾張藩主・徳川光友の御簾中(ごれんちゅう)となった千代姫のことです。

徳川光友/wikipediaより引用

もしも千代姫が存命だったら、お玉のような身分の低い女に高い位は巡ってこないだろう――そう皮肉った歌でした。

 


大奥はコネがなければ入れない

桂昌院の出自をめぐる噂は、他にもいくつか流されました。

母が高麗人だとか。

御湯殿女中の出身だとか。

大根売りの娘だとか。

あるいは、かつて豊臣 秀保(秀吉の甥)に仕え、その後は食い詰めた浪人になっていた樫田太郎兵衛の娘とか。

その中でまことしやかに流されていたのが“八百屋の娘”であり、国史大辞典でも「実父は京都堀川通西藪屋町の八百屋仁左衛門」と記される程ですが、一つ考えたいことがあります。

「大奥へ入る条件」です。

大奥といえば、いかにも世間で噂になるような美女が集うイメージもおありかもしれません。

実は、そこで最も重視されたのは人脈、要はコネです。

たとえどれだけ美人でも、得体の知れない人物を大奥の中に招き入れるのは危険極まりない行為。

それよりも身元のしっかりした女性を選び、然るべき保証人のいる人物を対象としたほうがいい。

つまり出自が低いと噂されるお玉にしたって、相応のツテがあるのです。

なお、お金持ちの家に女性が嫁ぐことを俗に「玉の輿」と言い、語源はこの「お玉」とする指摘もありますが、確たる根拠はなく俗説のようです。

ともかく次に、徳川家光と桂昌院、そして息子・徳川綱吉の関わりを見て参りましょう。

徳川家光/wikipediaより引用

当たり前のことですが、徳川綱吉の父は家光なんですね。

 

お万の方に仕え 家光の四男を産む

大奥のシステムは、男児に恵まれなかった家光時代に始まったとされます。

乳母である春日局は、その状況にほとほと困り果て、

春日局/wikipediaより引用

「世継ぎができぬとなれば、権現様にどう申し開きをなされるのですか!」

と強く迫り、お振の方を側室に迎え、寛永14年(1637年)、ようやく子供に恵まれます。

しかし生まれてきたのは女児の千代姫でした。

家光は、幼い娘をあやすため大奥へ足を運びはするものの、お振の方にはそっけない態度のまま。

そんな家光の心を開き、女性への愛に目覚めさせたのがお万の方(永光院)です。

寛永16年(1639年)、家光は二十歳年下のうら若い尼僧であった彼女に目を留め、側室としましたが、残念ながら子宝には恵まれませんでした。

お万の方(栄光院)
家光の心を掴んだお万の方(栄光院)ついに子を産まなかったゾッとする理由

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お万の方が上級公卿の出身であり、彼女が将軍の母になると外戚に権勢を振るわれて困るため、堕胎させられたという説もあります。

ともかく子は生まれていません。

お玉(桂昌院)は、そんなお万の方が側室となった寛永16年(1639年)に部屋子として仕えるようになりました。

そして「秋野」という名を与えられると春日局の指導を受け、将軍付き御中臈にまでのぼりつめるのです。

正保3年(1646年)1月8日、彼女は家光の四男・徳松を産みました。

将軍の子の幼名は、嫡男ですと家康由来の「竹千代」がつけられ、それ以下は「松」の字がつきます。

家光の側室には、お玉の他にも似た境遇の女性が複数いて、男児を産んだ者はざっとこれだけいます。

◆竹千代(のちの徳川家綱)の母:お楽

◆長松(のちの徳川綱重)の母:お夏

◆徳松(のちの徳川綱吉)の母:お玉

元々の身分では、そう大差が無かったであろう彼女らにとって、立身出世は我が子の成長にかかっています。

一歩先んじたのが「竹千代」を産んだお楽。

家光の死後、四代将軍は竹千代が徳川家綱として就任します。

徳川家綱/wikipediaより引用

お玉は、夫の死を機に、落飾して桂昌院となりました。彼女の人生は、ここからが真の表舞台とも言えましょう。

 


四男の綱吉が将軍に

徳川家光の死により、四代将軍となった徳川家綱。

しかし家綱もまた子供には恵まれない将軍でした。

跡継ぎが続かなければ、その弟たちである徳川綱重と徳川綱吉に将軍の座が回ってくる可能性は高まります。

実際、この二人は、年齢が一歳半しか離れておらず、生まれた時からライバルのような存在でした。

徳川綱重/wikipediaより引用

◆綱重と綱吉の生誕

徳川綱重:正保元年(1644年)5月24日

徳川綱吉:正保3年(1646年)1月8日

徳川家綱は寛永18年(1641年)8月3日

綱重は、家光が41歳の時に生まれた子であり、不吉とされていました。

その影響ではないでしょうが、綱重は延宝6年(1678年)に35歳という若さで亡くなってしまいます。

さらに2年後の延宝8年(1680年)になると、結局、家綱は子を残さぬまま没し、かくして家光の四男だった徳川綱吉に将軍の座がめぐってくるのです。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

もともと身分は高くなく、側室の中の一人に過ぎなかった桂昌院。

その息子である綱吉は、兄二人が亡くなり、将軍の家綱には子がなく、将軍職が転がり込んできた。

そんな偶然が重なって将軍の生母になったため、桂昌院は、嫉妬や憎悪の目を向けられ「大根売りの娘のくせに」と噂されてしまったのでしょう。

前述の通り、彼女は最終的に女性として最高位の従一位となり、宝永2年(1705年)に79歳で天寿を全うします。

経歴だけ見ればまばゆいのに、その評価は低い。

大奥作品においても、お玉(桂昌院)は大事に扱われません。

家光の心を開く運命のヒロインは、彼女が仕えていたお万の方(永光院)が務めます。

桂昌院の描かれ方は、綱吉を溺愛して堕落させ、身分が低く教養がない、迷信深い愚かな母――そんな悪役としてドラマに登場することすらありました。

 

綱吉悪政の原因だったのか?

徳川幕府の将軍は、家康の子が多かったから保たれた一面があります。

二代・徳川秀忠以降は決して子宝に恵まれたとは言えません。

例外は、あまりの子沢山ぶりに“オットセイ”とささやかれた徳川家斉ぐらいであり、家光の代で既に存続の危険性すら見えていました。

徳川家斉/wikipediaより引用

なんせ家綱に続いて、綱吉も世継ぎができないのです。

そんな中、桂昌院についてはまたしてもゴシップが囁かれるようになりました。

信心深く、仏教に帰依する桂昌院は、僧・隆光を紹介され、こう言われたとされます。

「お世継ぎに恵まれないのは、前世に殺生をした報いです。殺生を禁じなさい。御上は丙戌(ひのえいぬ)の生まれです。とりわけ犬を大事になされますよう」

この言葉を信じた桂昌院が息子をせっつき、【生類憐れみの令】を出させたとまで言われます。

しかし近年の研究では、この迷信話は否定されています。

生類憐れみの令は、そんな単純な思いつきではなく、武断政治から文治政治への転換を図った一環であると評価されているのです。

生類憐れみの令
生類憐れみの令は日本人に必要だった?倫理観を正した“悪法”に新たな評価

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変わりつつある桂昌院の評価

桂昌院は、綱吉の悪評に大きな影響を与えています。

無知で身分の低い八百屋の娘が、迷信に惑わされて将軍を動かした――そんな評価を押し付けられてしまった。

確かに彼女は信心深く、寺社仏閣の復興に尽力しました。

しかし、それを悪く言うのは、さすがに無理なこじつけでしょう。

男女逆転版『大奥』では、万里小路有功の部屋子・玉栄(演:奥智哉さん)として登場します。

彼は幼い頃、物乞いをしていました。そのとき、通りすがりの僧から「将軍の父となる」と予言され、玉栄がこのことを語ると家光は笑い飛ばします。

しかし、有功との間に子ができぬ家光は、玉栄を含めた他の男に身を委ねることになるのでした。

家光の死後、玉栄は出家し、桂昌院(演:竜雷太さん)となります。

この桂昌院は、彼が若い頃に薫陶を受けた春日局が再来したように、我が子・綱吉に子を産むよう迫る。

それが綱吉を追い詰め、そして子を産むだけが人生ではないと喝破する右衛門佐に惹かれることとなります。

綱吉の評価の見直しと共に、母として再評価される桂昌院。

2022年には藤村真里さんの漫画『めでたく候』において彼女の人生が描かれました。

そのあらすじは次の通り。

◆あらすじ

野菜売りを営む親の元に生まれた娘は、様々な出会いと別れを経験し、ついに大奥のトップへ昇り詰める。

三代将軍徳川家光の側室にして五代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の生涯を描く、日本一のシンデレラストーリー!!

ついに彼女は、その人生の波乱と栄光が肯定的に語られるようになったのです。

八百屋の娘という出自も、きらびやかな人生を強調するものとして扱われ、生き方だけでなく、評価からも目を離せない。

そんな魅力のある女性に生まれ変わりつつあるのではないでしょうか。


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【参考文献】
塚本学『徳川綱吉 (人物叢書)』(→amazon
山本博文『将軍と大奥 -江戸城の「事件と暮らし」』(→amazon
別冊歴史読本『徳川家歴史大事典』(→amazon
歴史群像シリーズ『大奥のすべて』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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