天文10年(1541年)、父の武田信虎を駿河へ追放し、甲斐武田の家督を継いだ若き日の信玄。
その後、信濃へ攻め込み、当初は味方だった妹の夫・諏訪頼重を天文11年(1542年)に自害へ追い込むと、天文14年(1545年)には高遠頼継を滅ぼします。
快進撃は一体どこまで続くのか――と、信濃へさらに攻め込んだ、その矢先のことでした。
天文17年(1548年)上田原の戦いで村上義清と激突。
板垣信方や甘利虎泰という重臣を一挙に失うなどの惨敗を喫し、リベンジに立ち向かった天文19年(1550年)、今度は村上義清の支城で【砥石崩れ】で連敗という辛酸を舐めさせられます。
同じ相手に二度までも手痛い敗戦を食らった、若き日の信玄は如何にして立ち上がるのか。
戦国ブギウギ武田三代記のvol.21、スタート!
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一度ならず二度までも義清に敗北の若き信玄~マンガ武田三代記第20話
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御覧あれ
◆甲斐源氏の祖である源義光(新羅三郎義光)より伝えられし楯無。
心の傷を癒やすには、いつの時代も神アイテムが一番ですな。
なお、名前の由来は「楯が必要ないほど丈夫な鎧」というところから来ているそうです。
※以下は源義光の関連記事となります
武田氏 佐竹氏 小笠原氏らを輩出した甲斐源氏の祖・源義光はどんな武士だった?
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甲冑師
◆甲斐武田氏に保護されてきた山梨県甲州市の菅田天神社。
楯無も、この神社で保管されていますので、機会に恵まれたら是非とも観に行きたいですね!
◆山梨)武田家の家宝、国宝の鎧を公開(→link)
正式には「小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい)」と言います。
総髪兜
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