平為賢

画像はイメージです/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平為賢(光る君へ・双寿丸の殿)は実在した?平安武士は当時どんな存在だった?

大河ドラマ『光る君へ』で伊藤健太郎さんが演じて話題になっている双寿丸。

第41回放送で「武家の一員」であると正体が明かされると、さらには「殿(との)」と呼ばれる「武家集団の長」がいることも説明されました。

それが為賢(たいらのためかた)です。

劇中では、眼光鋭い神尾佑さんが演じ、登場直後からただならぬ殺気を漂わせていましたのを覚えていらっしゃる方も多いでしょうか。

果たして彼は実在の人物だったのか。

史実であるなら一体どんな武士だったのか。

平安時代にジワジワと台頭し始めた武士の存在と共に、平為賢の事績を振り返ってみましょう。

 

平為賢とは何者なのか?

平為賢とはいったい何者なのか?

そのことを振り返ろうにも、実に曖昧模糊とした記録しか残されておりません。

平為賢は平維仲の四男にあたり、出身は常陸国伊佐郡。

この伊佐平氏が九州の肥前にまで流れつきました。

船を操り、滅法強い平氏がいたと記録されています。

そして【刀伊の入寇】で目覚ましい功績をたて、肥前国を賜ったとされる――これが平為賢です。

刀伊の入寇

馬に乗る女真族を描いた一枚/wikipediaより引用

当時の九州には他にも武士がいて、混沌としていましたが、目覚ましい活躍と朝廷のお墨付きにより頭ひとつ抜け出した為賢。

子孫が薩摩平氏となったため、その祖ともされます。

大河ドラマといえば、戦国武将や幕末の志士など、武士を主役とした物語が定番ですが、貴族を描く『光る君へ』でも、武士たちのエピソードゼロにスポットが当てられるわけです。

実に意欲的な取組と言えましょう。

 

『今昔物語』の「伊佐ノ新発意能観」

【刀伊の入寇】で活躍した平為賢は、その後どうなったのか?

『今昔物語集』巻二十五の十五に、豪胆な老僧の話が出てきます。

豊後国に“豊後講師”という老僧がいました。

任務を終えた彼は財宝を船に積み込み、都まで海路で戻ろうとします。

すると皆心配しました。

「このあたりは海賊が多いのです。どうか護衛の者をお連れになってください」

「いやなに、私が相手のものを取ることはあっても、逆はありえんわい」

老僧はそう笑い飛ばし、都を目指します。

すると案の定あやしげな船が近づいてきました。船に乗った人々が恐れ慄く中、老僧は相手に要件を尋ねます。

「ちっとばかし食い物でもねえかと思ってよォ〜」

「そうかそうか。拙僧も齢八十。これも宿命かのう。しかし筑紫のものがこれを聞けば、あの“伊佐ノ平新発意能観”も海賊に遭ってしまったと語り継ぐのであろうのぉ」

老僧の話を聞いた途端、急に顔色を変える海賊たち。

何事かと思っていたら「ヤベェ、逃げろ!」と慌てて逃げ出すではありませんか。一体どうしたのでしょう。

かくして老僧が都にたどり着くと、人々はその口のうまさに感心しました。

「なんて口がうまいんだ。本物の“伊佐ノ新発”に勝るとも劣らない英傑ぶりだな」

こう語り伝えられたのでした。

さて、この“伊佐ノ新発”とは何者なのか?

というと、これが「平為賢ではないか?」とされているのです。

画像はイメージです/wikipediaより引用

平為賢は、前述の通り、常陸国伊佐郡の出身です。しばしば「伊佐出身」を称しており“能観”は平為賢が出家した後の名乗りとされています。

「新発」とは出家したばかりという意味。

つまり、“伊佐ノ新発”とは、

“伊佐出身の平為賢が出家して(=新発)能観となった“

という意味になります。

そんな人物に手出ししたとなれば、ただでは済まないと海賊は怯え、相手の正体を確認もせず逃げ出した。

泣く子も黙るどころか、海賊すら逃げ出す――いったい平為賢はどれだけ強かったのか? そんな印象となるでしょう。

都の人からすれば、得体の知れぬ地方の強者・平為賢。

実は、彼に似た人物が『源氏物語』にも登場します。

 

『源氏物語』に出てくる武士

華麗なる貴族社会を描いた『源氏物語』にも、荒くれた武士は登場します。

では物語の中で、どのようなポジションにいるのか?

というと存在感は非常に薄い。まるで背景の一つかのようで、こんな風に登場します。

「この若君の愛くるしさにはむさくるしい武士までも微笑んでしまう」

むさくるしく、美的感覚が劣る武士ですら褒めてしまう若君はどんだけ可愛いのか――と、まるで武士はダシに使われるような描写であり、美しさを際立たせるために出演させられたようなものです。

画像はイメージです/wikipediaより引用

また『源氏物語』を読み進めると、当時の官位の捉え方も見えてきます。

光源氏は嫡男の夕霧の元服時に、自らの権威を用いればもっと上であってもおかしくはないのに、あえて「六位」としました。

六位を示す浅葱色の服が恥ずかしくてならず、周囲からも侮られてしまいます。

想いを寄せる雲居雁の女房たちが「六位風情では、うちの姫君にふさわしくない」と語り合うところを耳にして、傷つくこともありました。

『光る君へ』では、紫式部の父や弟がこの浅葱色の服を身に纏っておりましたね。

五位の赤い服となると一段上のステージとなり皆喜んだもので、これまた弟の惟規がいとと抱き合って喜びを噛み締めていましたね。

このことを念頭に置きながら、武士について考えてみますと……。

『源氏物語』の舞台は、光源氏が流刑にあう須磨・明石を除けば、地方は出てきません。

その例外が、メインヒロインである紫の上の動向から逸れた「玉鬘十帖」の序盤となります。

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