織田信長の肖像画/稲葉山城を攻略して美濃を制圧した信長が「井口」の地を「岐阜」と命名し、印文を「天下布武」に変えた理由

織田信長/wikipediaより引用

戦国FAQ

なぜ信長は美濃制圧後に「岐阜」と名付け「天下布武」の印文を用いたか

永禄十年(1567年)9月、かつての舅・斎藤道三が築いた稲葉山城と美濃を手に入れた織田信長

当時「井口(井ノ口)」と呼ばれていたこの地を本拠とする際、新たな名前をつけようとしました。

ご存知、“岐阜”ですね。

なぜ信長はこの名前をつけたのか?

「分岐点」とか「岐路」といった言葉から連想できるように、「岐」には「わかれる・ふたまた」といった意味があります。

一方、「阜」はあまり馴染みのない文字で、「丘」とか「大きい・豊か」などを示す。

しかし、なんだかわかりにくいなぁ……ということで「岐阜」命名の経緯と共に「天下布武」の由来も同時に辿ってみましょう!

織田信長の肖像画

織田信長/wikipediaより引用

 


沢彦宗恩の発案だった

織田信長が「岐阜」と名付ける時に相談役になったのが、幼い頃から教育係を務めていたとされる沢彦宗恩(たくげん そうおん)でした。

信長の傅役・平手政秀の依頼で織田家にやってきた人であり、自害した政秀供養のため信長が建てた政秀寺の開山にも携わっています。

今川義元にとっての太原雪斎(太原崇孚)。

あるいは武田信玄にとっての岐秀元伯(ぎしゅう げんぱく ※学問の師で“機山信玄”の法名も与えた僧侶)みたいなものですね。

実際、信長にとっての宗恩は、政秀以上に自分を理解してくれる存在だったでしょう。

絵・小久ヒロ

沢彦宗恩は新たな町の名前を相談するにはうってつけでした。

中国の古代王朝・周の文王(姫昌)が岐山(きざん)という山で天下への天下を望んだ――そんな故事から、”岐”の字を入れるのが験担ぎに良いと提案したのです。

具体的な候補は三つ。

・岐山(きざん)

・岐陽(きよう/ぎよう)

・岐阜(ぎふ)

このうち信長が語感を気に入って岐阜にした……とされています。

岐山だとそのまんますぎますし、岐陽だと中国文化の影響が強すぎる印象になりますね。「陽」の字を用いた日本の地名も少ないですし。

また、室町時代に岐陽という名前の僧侶がいましたので、人名とかぶるのを嫌った可能性も考えられそうです。

そして、同時期に信長が用いるようになった「天下布武」の印文も宗恩の発案と考えられています。

 


天下布武の範囲は畿内?

「天下布武」という言葉の真意については現代でも意見が分かれています。

天下布武の印

天下布武の印/wikipediaより引用

おおまかにわけて、従来の「天下を武力で支配する」説と、比較的最近出てきた「天下における武力を担当する」説があります。

また、「天下」の範囲も日本全国ではなく畿内ではないか、という見方が主流になりつつあります。

新たな記録や書状が出てこないと信長の意図は正確には捉えられませんが、宗恩に関する点でいえば、彼が「信長の好みに合う標語をいくつも進言できる」人だったのではないかと思われます。

なんせ当時の知識階級といえば僧侶です。

相談役として現在のチャットGPTのような役割を果たしていたでしょう。

宗恩は、妙心寺(京都市右京区)の住職を務めた後、美濃の瑞龍寺(岐阜市)に移りました。

岐阜市の瑞龍寺

岐阜市の瑞龍寺/wikipediaより引用

ここで信玄とも縁の深い快川紹喜と兄弟の契りを結んだともされますが、もしそれが事実ならば、その後の織田氏と武田氏の関係不和を考えるとなんともいえない気分になりますね……。

宗恩は、本能寺の変の後、天正十五年(1587年)10月2日に示寂したとされます。

つまり生前に信長が亡くなっているわけですが、宗恩が積極的に供養したという記録はないようで、両者の関わりの深さを考えると少々違和感が拭えません。

秀吉が京都で大々的な供養をしていることを受けて遠慮したのか。

それとも何か別の理由があったのか。

この辺りも新たな史料を待つしかなさそうですね。

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参考文献


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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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