まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ74話 勝家で始まり“お市”で終わるキヨスカイーギ!

2020/05/27

天正10年(1582年)6月。

【本能寺の変】で、織田信長とその跡継ぎ・織田信忠の命を奪った明智光秀。

そのころ織田家の方面軍は、北の柴田、東の滝川、南の丹羽がいずれも動けず、光秀が畿内を制圧!というところで、西から羽柴秀吉が【中国大返し】を敢行させる。

そして、山崎の戦いで明智軍を撃破。

山崎の戦い
山崎の戦い|秀吉と光秀が正面から激突!勝敗のポイントは本当に天王山だった?

続きを見る

戦いはいったん終息したが、織田家の混乱はまだまだ収まらず、次なる戦いが始まった。

波乱含みの「清州会議」スタート!

 

会議

◆信長の仇討ちを秀吉に先越されてしまった柴田勝家さん。

柴田勝家
柴田勝家の生涯|織田家を支えた猛将「鬼柴田」はなぜ秀吉に敗れたか

続きを見る

織田家の筆頭家臣として、信長を愛する武将として、その苦しさたるや言葉では表しきれないほどだったでしょう。

それだけに【清州会議】に賭ける思いは、並々ならぬものがあったハズ……。

 


秀吉の対策

◆清州会議を迎えるにあたり、豊臣秀吉最大の難関が後継者でした。

豊臣秀吉
豊臣秀吉の生涯|足軽から天下人へ驚愕の出世 62年の事績を史実で辿る

続きを見る

たしかに山崎の戦いでは光秀を討った。しかし、それまでの織田家中のランクからして、いきなり柴田勝家を上回る存在になれるワケではない。

しかも、勝家は織田家三男・織田信孝の烏帽子親でもあり、実質の後見人だったため、圧倒的不利は動かしようがありません。次男・織田信雄は最初から……。

織田信孝
織田信孝(信長三男)の生涯|秀吉に敗れて無念の切腹それは“十字腹”だった?

続きを見る

そこでプッシュしたのが織田信忠の嫡子・三法師(後に織田秀信)だったというわけですね。すると……。
※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

-まんが戦国ブギウギ

目次