天下人の冠を賭して家康と戦った秀吉は、巧みな交渉術で織田信雄(のぶかつ)を籠絡。
後世に【小牧・長久手の戦い】と称される合戦で圧倒的な軍事勝利は得られなかったが、政治力で味方を勝利に導いた。
織田信雄(信長の次男)は本当に愚将だったのか?信長の血筋を現代へ繋げる
続きを見る
秀吉vs家康の総力戦となった「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
畳み掛けるようにして秀吉は、実妹の朝日姫を家康の後妻に送り込み、後は臣下の礼を世間に知らしめれば全国の武将を統べる地位に躍り出ることが確実視されていた……否、これを認めない諸勢力は、まだ全国には残っていた。
北の独眼竜に東の北条。
そして九州では、鎌倉以来の名門武家にして九州覇者となった島津が、今まさに中央へ牙を向けるべく立ち上がったところであった――。
島津義久は大友や龍造寺を相手にどうやって戦国九州を統一した?
続きを見る
島津義弘(島津四兄弟の次男)が鬼島津と呼ばれる由縁~功績凄まじい85年の生涯
続きを見る
島津家久は四兄弟で最強なり! 次々に大軍を撃ち破った軍神 41年の生涯とは
続きを見る
763
◆大軍を率いて北上する島津に対し、病によって立花道雪を失い、岩屋城に籠もった高橋紹運の命運はまさしく風前の灯でした。
部下の萩尾大学は高橋家の食客にして、息子・立花宗茂の剣の師でもある剣豪。
鬼道雪と呼ばれ大友家を躍進させた立花道雪は何が凄い?勇将の下に弱卒無し!
続きを見る
西の戦国最強武将・立花宗茂~関ヶ原で浪人となるも諸大名の嘆願で復活した生涯76年
続きを見る
合戦でも常に最前線で活躍するようなガチ武士であります。
九州侍って他とは一味違うなぁ、というのを実感させる親子と愉快な仲間たちは、如何にして島津に立ち向かうのか。
降伏勧告
◆敵の島津からも、味方の息子たちからも、
「いいから降伏して逃げれ!」
と再三に渡り降伏をすすめられた高橋紹運さん。
その回数、都合8度にも及ぶと言われており、島津の将も兵も、その姿に感涙したと言います。
失礼を承知で申し上げますと、紹運さんってその割に注目度がイマイチじゃありません?
九州を舞台にした大河ドラマが放映されれば、確実にスターキャラになれそうなのに、残念でなりません。
※続きは【次のページへ】をclick!