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【若狭戦国譚】武田義統と若狭武田氏『麒麟がくる』では光秀母の実家で登場

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『信長の野望』には【立地】という要素があります。

人物、家、能力値は悪くない。
それでもプレイの難しい、上級者向けとされてしまう武将がいるのですが、大抵の場合、その【立地】が悪すぎるのです。

これはゲームのみならず、史実も同じことでしょう。

歴史とは、人物の器量のみならず、天・地・人のタイミングが重要。
史実の戦国時代にも、各種の能力は揃っていながら、【厳しい立地】ゆえにベリーハードモードな局面を迎え、そして滅びゆく勢力がおりました。

若狭武田氏もその一つでしょう。

戦国史においてはほとんど注目されることのない一族ですが、大河ドラマ『麒麟がくる』のお陰で2020年はいささか光が当てられる可能性もあります。
というのも光秀の生母として登場する牧の方、その実家が若狭武田氏なのです。

本稿では滅亡直前に同家を衰退させてしまった武田義統――ドラマでは光秀の伯父と共に見ていきたいと思います。

 

武田義統の祖先は甲斐武田氏

若狭武田氏とは、名字から察するように武田信玄の武田氏と関係があります。

順を追って説明しますと……。

まず、甲斐武田氏の5代・武田信光の時代に承久の乱(1221年)が勃発。
このときの戦功によって安芸の守護に任じられました。

当初は守護代を送っていたのですが、7代武田信時のときに元寇があったのを機に安芸へ下向し、武田氏信の時代に初代・安芸武田氏となります。

さらに、この安芸武田氏から分流していったのが若狭武田氏です。

若狭武田氏の興りは、室町時代中期でした。

永享12年(1440年)頃、安芸守護だった武田信栄(のぶひで)が、足利義教の命令を受けて丹波若狭守護の一色義貫(いっしきよしつら)を暗殺。
一色義貫を大和の陣中で敗死させました。この功により、若狭守護を命じられたのです。

この初代武田信栄が若くしてなくなると、弟の武田信賢が跡を継承。
信賢は若狭国の土一揆を治め、支配の礎を固めました。

ここで歴代当主を確認してみましょう。

初代 武田信栄
2代 武田信賢
3代 武田国信
4代 武田信親
5代 武田元信
6代 武田元光
7代 武田信豊
8代 武田義統(本稿)
9代 武田元明

5代・元信は、足利義材(よしき)の近江遠征に参加する等して、存在感を示しております。
信豊の家督相続に対して、弟・信孝との後継者とするべく家臣団が躍動するような波乱はありした。

本格的に乱世と直面するのは、第8代・義統になってからのことです。
三好長慶が力を伸ばしパワーバランスが崩れる中、苦しい命運に直面するのです。

 

分裂し滅亡へと向かう若狭武田氏

本稿では、改名が複数回あるため「義統」と表記します。

武田義統は大永6年(1526年)、武田信豊の長男として生を受けました。
嫡男である義統は、天文17年(1548年)には足利義輝義昭の妹を正室に迎え、御曹司としての道を歩んでいるかのように思えました。

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しかし、それも父と家臣が弟擁立を企んだことから暗雲が立ち込め始めます。

弟の武田信方を擁立しようとする粟田勝久を追放し、さらには父の武田信豊も別の弟・武田元康擁立を企てたため追放します。

なんとか義統が当主となったあとも武田氏は分裂。
もはや決壊は止めようがありませんでした。

永禄元年(1558年)に前述の粟田勝久や、三方郡の家臣が反乱を起こしたかと思ったら、永禄4年(1561年)には家臣・逸見昌経が丹羽勢と手を組み、ここは浅倉氏の援軍を受けてどうにか撃退に成功します。

しかし、さらに三方郡の家臣が離反し朝倉氏と戦うようになると、永禄6年(1563年)、弟の武田信方まで離反。
心身ともに堪えたのか。同年、武田義統は没してしまうのです。

後は息子の武田元明にバトンタッチというところですが、すでに内部分裂で崩壊していた家内を立て直すことは能わず、永禄11年(1568年)に朝倉氏に攻められ、武田氏による若狭支配は終了しました。

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これで一旦落ち着け、態勢を立て直すことができれば、まだ大名としての復帰はあったかもしれません。

しかし、そうは甘くはありませんでした。

天正元年(1573年)に行われた織田信長の越前攻めにより、大名としての若狭武田氏は滅亡。
以降、織田家臣の丹羽長秀に預けられ、再起のときを待っていたところで【本能寺の変】が起き、明智光秀を支持した元明は豊臣秀吉に誅殺されてその生涯を終えました。

 

麒麟がくる光秀 母から継がれる若狭武田氏の血

大河ドラマ『麒麟がくる』に登場する明智光秀の母・お牧の方は、武田義統の妹とされています。

母の実家を容赦なく滅ぼされ、残された母方のイトコらを見て、光秀がどんな感情を抱くのか?
そこが見どころとなるのでしょう。

光秀の周辺には謎が多く、出自や父の名すら確定しておりません。
母ともなればさらにわかりにくいものです。

しかし、ドラマにおいて主人公の母をぼんやりした像のままにするわけにもいきません。
そこで、若狭武田氏の出自がどう影響するのか、考えてみたいと思います。

それは教養と文才ではないでしょうか。

若狭武田氏当主の情報は限られておりますが、それでも武将としての器量があったとは考えにくい要素が見られます。
早い話、合戦や調略などが弱い。

高いセンスがあると思われるのは教養と文才です。

その文才を足利将軍家から愛でられ、連歌においても才知を見せたという若狭武田氏の面々。

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母の血と薫陶を通し、光秀が受け継いだ才知を見せるとすれば、それはドラマとして大きな見どころになるかと思われます。

牧の方は美声で知られる演歌歌手・石川さゆりさんがキャスティングされています。

その美しい声で歌を詠み、光秀がそれを引き継ぐとすれば、視聴者にとっても心慰められることとなるでしょう。
光秀の中にある、若狭武田氏の血脈にも注目です。

文・小檜山青

【参考文献】
『国別守護・戦国大名事典』
『ここまでわかった 本能寺の変都明智光秀』
『明智光秀 浪人出身の外様大名の実像』谷口研語
国史大辞典

 



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