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【『麒麟がくる』と鉄砲】
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光秀は「新しい武士」だった
なお、当時の鉄砲は、剣術とは違い、武士の表芸ではありません。
今川義元や武田信玄が鉄砲を撃つことはなかったし、信長も撃っていたかどうかは定かではありません。
光秀が鉄砲を習得したのは階層が低い武士だったからです。
しかし、ただの鉄砲足軽ではなく、前線の指揮官としてこの技術を自らのものとしました。その意味でも、光秀は、鉄砲の存在によって頭角をあらわした「新しい武士」だったともいえるでしょう。
つまり『麒麟がくる』では、光秀を時代を変えた鉄砲と重ね合わせていくことで、新しい時代をつくる存在として描こうとしているのではないでしょうか。
では、その新しい時代とは何か。
それは、戦のない時代ということなのかもしれません。いみじくも鉄砲について松永久秀は光秀に「戦は減る」と語っています。
そして、それが本作のタイトル『麒麟がくる』につながっていくのでしょう。
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文:窪寺伸浩
※編集部注:本記事は『明智光秀の原像~史論としての「明智軍記」(あさ出版)』の著者・窪寺伸浩氏に寄稿してもらったものです。
『明智軍記』についての詳細をさらにお知りになりたい方は、こちらのリンクより同書をご覧ください。
【参考】
『明智光秀の原像~史論としての「明智軍記」』窪寺伸浩(→amazon)
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