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明智家

『麒麟がくる』で“鉄砲”が重視される背景~光秀は「新しい武士」だった?

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『麒麟がくる』と鉄砲
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光秀は「新しい武士」だった

なお、当時の鉄砲は、剣術とは違い、武士の表芸ではありません。

今川義元や武田信玄が鉄砲を撃つことはなかったし、信長も撃っていたかどうかは定かではありません。

光秀が鉄砲を習得したのは階層が低い武士だったからです。

しかし、ただの鉄砲足軽ではなく、前線の指揮官としてこの技術を自らのものとしました。その意味でも、光秀は、鉄砲の存在によって頭角をあらわした「新しい武士」だったともいえるでしょう。

つまり『麒麟がくる』では、光秀を時代を変えた鉄砲と重ね合わせていくことで、新しい時代をつくる存在として描こうとしているのではないでしょうか。

では、その新しい時代とは何か。

それは、戦のない時代ということなのかもしれません。いみじくも鉄砲について松永久秀は光秀に「戦は減る」と語っています。

そして、それが本作のタイトル『麒麟がくる』につながっていくのでしょう。

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文:窪寺伸浩

※編集部注:本記事は『明智光秀の原像~史論としての「明智軍記」(あさ出版)』の著者・窪寺伸浩氏に寄稿してもらったものです。

『明智軍記』についての詳細をさらにお知りになりたい方は、こちらのリンクより同書をご覧ください。

【参考】
『明智光秀の原像~史論としての「明智軍記」』窪寺伸浩(→amazon

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BUSHOO!JAPAN(五十嵐利休)

武将ジャパン編集長・管理人。 1998年に大学卒業後、都内出版社に入社し、書籍・雑誌編集者として20年以上活動。歴史関連書籍からビジネス書まで幅広いジャンルの編集経験を持つ。 2013年、新聞記者の友人とともに歴史系ウェブメディア「武将ジャパン」を立ち上げ、以来、累計4,000本以上の全記事の編集・監修を担当。月間最高960万PVを記録するなど、日本史メディアとして長期的な実績を築いてきた。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001159873

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