伊勢貞興

伊勢貞興/wikipediaより引用

明智家

光秀に重宝された伊勢貞興~なぜエリート幕臣が明智家に従軍したか

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教養の高さは折り紙付きだった貞興

信長の家臣となった貞興は、やがて明智光秀の支配下に置かれました。

貞興は新参者ながら光秀には可愛がられていたようで、天正7年(1579年)には光秀のそばで活動している貞興の様子が史料で確認できます。

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当時、光秀はすでに老齢に差し掛かっていたはずで、貞興は、小姓に近い形で傍仕えをしていたのではないでしょうか。

貞興が光秀に気に入られた理由は「出自」や「教養」でしょう。

実は貞興は、伊勢氏に伝わる武具や装束の故実をまとめた『伊勢貞興返答書』の著者としても知られており、教養の高さは折り紙付き。

一方、光秀も旧幕臣であり、同時に教養人としても有名で、細川藤孝や吉田兼見といった稀代の教養人とも厚く交流しておりましたから、貞興のそうした一面に惹かれて厚遇するのは自然なことでしょう。

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また、貞興の厚遇ぶりを象徴する証拠として、光秀の娘を妻としたという記録も残されています。

光秀関係の系図類は多数存在し、信ぴょう性も低いので断言はできませんが、光秀が家臣団との結びつきを強めるために重臣たちを娘婿としていたことは確かなこと。

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貞興が光秀の信任を得ていれば十分にあり得る話だと思います。

病弱だった兄の貞為は伊勢家の家督を貞興に譲ると、京都で養生生活を送りました。

家督の継承は天正9年(1581年)の2月以降に行われたと考えられており、貞興は20歳になると、正式に伊勢家の当主に就任したことになります。

 

光秀の配下となり厚遇されるも、本能寺……

貞興の軍事的功績はハッキリとは残されていません。

ただしこのころ、主君の光秀が丹波攻略に成功し、領土を拡張しつつ信長配下でも屈指の存在に成長しており、貞興も共に活躍していたことは想像できます。

織田政権のもとではありながら、室町幕府の名門が生き残る道は見えておりました。

しかし、です。
天正10年(1582年)――。

皆さんもご存じのように、【本能寺の変】が勃発。

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伊勢貞興も参加したとされ、軍記物などによれば彼も戦果を挙げていたと伝わります。

ひとまずクーデターを成功させた光秀は、自身の政権を盤石にするべく来るべき羽柴秀吉ら織田遺臣との対決に備えます。

ところが、細川藤孝や筒井順慶といった盟友たちから援軍の誘いを断られてしまい、開戦前から不利な状況で【山崎の戦い】に挑みました。

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戦に際して、貞興は光秀軍の右備えとして部隊の大将に任じられます。果敢な攻撃を見せたとされますが、やがて戦局は秀吉軍優勢に傾いていきました。

乱戦の中でも気を吐いたと伝わりますが、最終的に陣中で討死。

まだ21歳という若さでした。

なお、兄の貞為は本能寺の変や山崎の戦いに参加しなかったため、戦後も生き残ります。

彼は一時、豊臣秀吉にも仕えたと伝わりますが、やはり病のためこれを辞退。

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晩年は伊勢氏に伝わる有職故実に関する執筆に専念する静かな余生を送ったと考えられ、慶長14年(1609年)に51歳で亡くなりました。

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文:とーじん

【参考文献】
朝日新聞社『朝日日本歴史人物辞典』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名事典(吉川弘文館)』(→amazon
谷口克広『信長と将軍義昭(中央公論新社)』(→amazon
谷口研語『明智光秀:浪人出身の外様大名の実像』(→amazon
渡邊大門『明智光秀と本能寺の変(筑摩書房)』(→amazon
洋泉社編集部『ここまでわかった 本能寺の変と明智光秀(洋泉社)』(→amazon
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