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【真柄直隆】
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徳川四天王として知られる本多忠勝が、自ら単騎駆けを行って味方を鼓舞します。
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大軍を前にして慌て果てた徳川軍は、彼らの働きがあり、徐々に士気と平静さを取り戻します。
すかさず家康を守るため、文字通り必死に奮戦。
そこに朝倉軍の剛の者が襲いかかりました。
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怪力無双の愛刀は「太郎太刀」
剛の者――その名は真柄直隆(まがらなおたか)。
越前の国人で、朝倉軍の客将のような形で参加していました。
日頃から怪力で知られており、姉川の戦いにおいても「太郎太刀」という大太刀を用いて奮戦していたようです。
※太郎太刀……『明智軍記』に「長さ七尺八寸(236cm)」と記された大太刀
これに対するは、徳川一、いや全国最強とも讃えられる本多忠勝。
名槍「蜻蛉切」を愛用する、当代きっての剛の者です。
彼ら二人の間で、まるで軍記物語のような一騎打ちが行われたのです。
漫画かっ!とツッコミたくなるような、戦国ファン垂涎のシチュエーションで、にわかには信じ難いのですが、いつの世も常人離れした人は確かにいます。
ともかく激突した両者は、一歩も譲らない激しい戦いを演じていたところ、気がつけば浅井・朝倉の両軍は撤退を始めました。
敵の隊列が伸び切っている――。
そう気づいた家康が、徳川四天王の一人・榊原康政に側面から攻撃させ、ついに敵を退かせたのです。
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すると真柄直隆は思わぬ行動に出ます。
今度は徳川の匂坂三兄弟と死闘
周囲の様子から敗勢を悟った直隆は、忠勝との決着を諦め、自ら殿(しんがり)を買って出ました。
殿とは、撤退する軍の最後尾で支えること。
危険かつ手練でなければ難しいとされる戦いです。
その途中、直隆は、徳川家の匂坂(さきさか)三兄弟とも再度死闘を演じたといわれています。
怪力ももちろんですが、スタミナがすごいですね。
※『明智軍記』では「身長196cm・体重252kg」という記述(ただし書物そのものの信ぴょう性が低いです)
とはいえ、やはり直隆も人間。
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