本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれるや、電光石火のスピードで天下人に昇りつめた豊臣秀吉。
四国、九州、小田原を征し、残す敵は奥州の小勢力のみとなった。
最後まで粘りに粘った伊達政宗も死装束で秀吉に伏せており、あとは簡単な仕上げのみ。興味はむしろ東国の管理にあっただろう。
秀吉はいかにして東北地方を従わせようと画策したのか。
名づけて奥州仕置――スタート!
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俺の方が下剋上パネェからすげぇよ、フフン
◆小田原も、奥州最大の伊達政宗も征した秀吉さん。
奥州仕置に向かう前に、鎌倉の白旗神社で源頼朝像に触れ、「俺の方が下剋上パネェからすげぇ!」と、天下の地位を味わっておりました。
これ、なんてフラグなんでしょう。人間、えらくなったとき、成功したときが最も危険といいますが、このエピソードって象徴的ですよね……。
モブ氏政の小田原評定
◆宇都宮城に入った秀吉は、そこで東北諸勢力の処遇を決め、楔として蒲生氏郷を残しました。
石高は一気に91万石の大大名に!
伊達政宗の押さえとして配置されたのですが、氏郷さんは喜ぶどころか「都会(畿内)から離れてしまった」と嘆いたとされます。
そして氏郷と政宗は、この後、一揆騒動を巡って対立します。それはまた後日……。
大湿地帯をもらって虎視眈々の家康さん
◆江戸への配置換えを命じられた家康は、まず埋立事業から着手しました。
当時の海辺は現在の江戸城辺りまで海域が広がっていて、地ならしせねばどうにもならんかったと言います。
飲み水にしても井戸が不便だったため(塩水が出てしまったりして)、その対策にも奔走の日々。現代で言えば、超難解なシムシティでもやってる感じだったかもしれませんね。
江戸のブラック僧侶天海 まさかの光秀か!?
◆言ってません。ナゾ多き僧侶・南光坊天海が、実は明智光秀だったなんて、ありえないでしょう。
しかし、そうでないとも否定しきれないのが歴史の妙。
彼は一体誰なのか? なにやら面影を感じながら見てみたいのは、山崎の戦い。
以下はそのワンシーンです。
雌雄を決する山崎の戦い 秀吉に追い込まれた光秀はまさかの選択を……!? 【戦国boogie-woogie vol.76】
(来週へ続く)
漫画・アニィたかはし
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