まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ120話 往くも地獄 退くも地獄 大陸制圧の妄想始まる

文禄元年(1592年)4月。

天下人・豊臣秀吉は大きな決断を諸大名に下した。

朝鮮出兵(文禄の役)である。

本来、秀吉の目的はその先にある「明」だったが、途上にある朝鮮が明のもとで冊封体制(臣下の立ち位置)にあり、これを日本に従わせなければならないと考えた。

時折しも日本は戦乱に一旦の終止符を打ち、国が一つにまとまりかけていた頃。

戦国時代に培った巨大な軍事力を持て余し、外部へその目を向ける必要があったとの見方もある一方、秀吉の耄碌が「愚かな誇大妄想」へ駆り出させてしまったと指摘され……というわけでマンガ戦国ブギウギ120話スタート!

 

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出陣延期

◆商人の出から、秀吉に才を見出され、大名に出世した西行長さん。

元は宇喜多家のもとで頑張って、宣教師のルイス・フロイスには「水軍司令長官」とも称されておりました。

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商人から戦国武将へ なぜ小西行長は豊臣政権で大出世できたのか?

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実際商売と船は切っても切れない関係ですもんね。

それが縁で朝鮮出兵では第一線の最前線へ送り込まれることになりまして……。

 


補給路

◆朝鮮出兵に際し、豊臣政権が築いたのが肥前名護屋城です。

商売の玄関口として知られた博多ではなく、ここが選ばれたのは、直線距離で確実に兵や荷駄を送れるからこそという見方もあり、同城が補給元になっておりました。

しかし、進軍が速すぎて、肝心の補給が追いつかないという状況に……。

名護屋城
名護屋城から豊臣軍15万が朝鮮出兵~秀吉が九州に築いた超巨大城郭とは

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名護屋城-4

福岡ではなく、その西にある肥前がポイントに

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