戦国大名にとって何より大切なのが「血縁」。
今日の味方は明日の敵――コロコロと情勢が変わる仲で信じられそうな仲間と言えば自分の血を分けた子や孫でした。
ゆえに武田信玄は娘を北条氏政に、北条氏康は娘を今川氏真に、今川義元は娘を武田義信に嫁がせ、強固な【甲相駿三国同盟】を構築しておりましたね(後に崩壊するけど)。
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では、織田家の場合はどうだったか?
もちろん織田信長も、自身の血縁を主に国衆に嫁がせるだけでなく、家臣同士の結びつきを強化するため家内での婚姻も積極的に推し進めております。
それは信長自身を滅ぼした明智光秀も例外ではなく……戦国ブギウギ53話、スタート!
初孫
◆こちらのお孫さんは「三法師」で知られる織田秀信さんですね。
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【清州会議】で豊臣秀吉に担がれ、織田家の跡取りとされた人物ですね。
父は、信長の正式な後継者・織田信忠さんでした。
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なお、その母は信忠の正室ではありません。
一説には武田信玄の娘・松姫との婚約(後に破棄)から、純愛を突き通した――なんて見方もされたりしますね。
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千世
◆伊達の久保姫は伊達晴宗との間に11人(六男五女)に恵まれました。政宗の祖母です。
伊達家は非常に多産で、曾祖父にあたる伊達稙宗も「14男7女」という大所帯。ほとんど子宝に恵まれなかった豊臣秀吉あたりからすれば非常に羨ましい状況ですが、伊達家は伊達家で東北中が親戚となり、その中で政宗がトンガリ過ぎて色々と大変なことになります。
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なお、前田利家の妻まつも12歳(しかも数え)で結婚して11人の子を産んでます。
利家の「野望」かなって戦国多産レコードタイですね。
ただし、性別で見ると男子は2人だけで、あとはなぜか女ばかり。そのうちの一人が秀吉の養女となり、イケメン代表・宇喜多秀家さんに嫁いでいった豪姫ですね。
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ちなみに利家は、側室との間にも男児を残しております。
例えば加賀藩二代藩主となった前田利常の母は側室・福寿院。まつの侍女という中々のシチュエーションです。
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