伊達秀宗

伊達政宗(左)と伊達忠宗/wikipediaより引用

伊達家

政宗長男・伊達秀宗の切なくてイイ話~もう一つの伊達家が四国に誕生

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伊達秀宗
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その後スッキリした秀宗は藩政に力を注ぎ、名君と称えられるようになりました。

幕末の宇和島藩主(伊達宗城・むねなり)がより有能だったため、どうしてもそっちの方が目立ってしまいますが、政宗譲りの肝の据わりようや、年貢制度の整備などの働き振りが伝えられています。

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父との手紙で和歌の相談

ともかく話し合いがよかったのでしょう。

政宗とは、以前よりも率直な手紙をやり取りできるようになったようです。

特に和歌に関するものが多く、「和歌はある程度早く詠めないと、人前で恥をかくぞ」とか「この前の歌は良かった。ここをこうしたらもっと良くなるぞ」とか、和やかな雰囲気が漂っています。

とはいえやはり支藩・分家扱いは本意ではなかったようで。

政宗の死後・二代目・伊達忠宗の代には「家光の御前に出るとき、忠宗の上座に座った」なんてエピソードも残ってたりするんですが。

これが原因でトラブルになった記録もないので、おそらく忠宗も「兄上はいろいろあったから仕方ない」と思っていたんでしょうね。

伊達秀宗

絵・小久ヒロ

忠宗は忠宗で、父親が隠居しないまま危篤になっちゃってハラハラしたり、凄まじく苦労してますが。こちらもエエ人や。

伊達忠宗
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愛媛の郷土料理「じゃこ天」に秘められた親子の思い

ところで愛媛県には「じゃこ天」という郷土料理があります。

魚の頭と内臓を取り、皮・骨ごとすり潰して形を整え、油で揚げたものです。

日本各地にもありますが、愛媛のそれは「初代藩主・秀宗が仙台を偲んで作らせた」といわれています。

上記の通り秀宗の前半生はほとんど人質でしたし、それが終わって間もなく宇和島に来ていますので、仙台に行ったことがあるかどうかはアヤシイ=こじつけの予感大ですが。

でも、そういうこじつけができるということは、秀宗が父親に似て料理好きだったか(政宗は家臣に料理をふるまったことでも知られます)、食にある程度うるさかったかのどっちか、あるいは両方だった可能性がありますよね。

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そして少なくとも、存命中は領民から慕われていたのではないでしょうか。

宇和島城

上記の上座云々の件といい、この辺を見ると「やっぱり似たもの親子じゃんw」と微笑ましい気分になります。

もっと早く腹を割って話せていれば、また違った関係になっていたんでしょうねぇ。

じゃこ天は、地元以外でも、新橋にある愛媛・香川のアンテナショップで食べられるそうなので、お近くの方はお試しになるのもいいかもしれません。

私もそのうち行ってみたいと思います。

あー、でも、鯛めし(こっちも宇和島名物)と迷いますね、じゅるるるるる。

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長月七紀・記

【参考】
佐藤憲一『素顔の伊達政宗~「筆まめ」戦国大名の生き様 (歴史新書)』(→amazon
小和田哲男『戦国武将の手紙を読む―浮かびあがる人間模様 (中公新書)』(→amazon
伊達秀宗/wikipedia
じゃこ天/wikipedia
せとうち旬彩館(→link

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