片倉小十郎景綱

片倉小十郎景綱/wikipediaより引用

伊達家

政宗の参謀・片倉小十郎景綱は冷徹苛烈な武将?59年の生涯まとめ

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
片倉小十郎景綱
をクリックお願いします。

 


殿より先に授かるわけにはいかない 殺せ

ある時は、景綱に息子が生まれました。

後の2代目・片倉小十郎重長(片倉重長)です。

片倉重長(重綱)
幸村の娘・阿梅を救った片倉重長~大坂の陣100年後に仙台真田氏復活

続きを見る

しかしどういうわけか、せっかく生まれた長男をあの世に送り返せと言う景綱。

そのことを漏れ聞いた政宗は筆まめなので慌てて手紙を送ります。

「私の心に免じて助けてやってくれ。

おまえの言い分もあるだろうが、ただただ私に任せてくれないか。

これほど言っても助けなかったらおまえのことを許さないぞ。

どうか、どうか助けてやってくれ」(※手紙は現存)

政宗の手紙
「読んだらスグに燃やせよ!」政宗の手紙が本人に気の毒なほど面白い

続きを見る

怒っているんだか、なだめているんだかわからない手紙ですよね。政宗の焦りっぷりが伝わってきます。

政宗には、なぜ小十郎がそんなことをしようとしたのか分かっていたのです。

政宗にまだ子どもがいなかったからです。

主君より先に子宝に恵まれては申し訳ないと思ったそうです。

 


東北の関ヶ原で上杉と激突

二人がいい大人になった【関ヶ原の戦い】においても、政宗に遠慮のない景綱の暴走は止まりません。

伊達家をはじめとした東北諸将は直で関ヶ原には行っていません。

しかし東北でそれに近い戦いが行われました。

【慶長出羽合戦】です。「北の関ヶ原」なんて言われたりしますね。

慶長出羽合戦
北の関ヶ原こと慶長出羽合戦で上杉・最上・伊達が激突!その結果は?

続きを見る

関ヶ原+東北といえば、上杉家との戦い。

家柄的にも勢力的にも同等だった伊達家が対峙させられるのはごく自然な流れでした。

政宗は、徳川家康から「上杉の今の領地(会津・米沢その他)は故郷と旧領だろ? うまくやったら丸ごとあげる」(超訳)という口約束を取り付けていたので、非常に魅力的な提案です。

徳川家康
史実の徳川家康は三度の絶体絶命をどう乗り越えた?天下人の生涯75年

続きを見る

しかし、そうは甘くはありません。

いくら家康から「切り取り次第(好きなだけ領地にしてエエよ)」と言われても、相手は謙信以来の精兵が揃った上杉家です。

敗北だって十分に考えられるところで、時系列的には次のような運びになりました。

家康、上杉征伐に出てくる

三成挙兵に驚いて戻る

上杉家、家康を追わずに山形の最上家を攻める

伊達家が最上家の助太刀という形で上杉家と戦う

ここでポイントになるのが最上家。

政宗の母・義姫(よしひめ)の実家です。彼女は、最上義光の妹としても知られますね。

義姫
政宗の母で義光の妹「義姫」は優秀なネゴシエーター 毒殺話はウソ

続きを見る

最上義光
最上義光(政宗の伯父)は東北随一の名将!誤解されがちな鮭様の実力

続きを見る

いろいろあって義姫は随分前から実家に戻っていたので、最上家を助けることは政宗にとって母親を助けるも同然でした。

別にこれは内々の話でもなんでもなく、伊達家の人間であれば誰でも知っていたであろうことです。

ここで景綱が、とんでもない献策をしています。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-伊達家
-

×