サンドウィッチマン伊達さんのご先祖様

伊達家

サンドウィッチマン伊達さんのご先祖様はあの独眼竜政宗だったのか?

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秀吉から拝領した貴重な茶室が残っている

1616年、大條伊達家は仇敵・相馬氏との最前線である坂元の地「宮城県亘理郡山元町」を独眼竜政宗に与えられ、以降、幕末まで250年間ここを治めました。

※太平洋沿岸にある山元町は、2011年の東日本大震災で全壊2,217棟、死者635人という大変大きな被害を受けたところです

坂元城へ移り住んだ大枝氏は、その地の坂元城を居城とします。

今も大條家ゆかりの茶室が残っており、一族は節目節目にこの茶室に集まって結束を固めてきたとのこと。

この茶室がなかなかに興味深いのです。

というのも、元は伏見城にあったもので、伊達政宗豊臣秀吉から拝領し仙台に移築したのです。

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昭和17年に仙台から坂元城に移築されたおかげで、昭和20年の仙台大空襲の戦災から逃れることもできました。

伏見城は関ヶ原の前哨戦で炎上。

仙台も空襲により江戸時代の建造物のほとんどを焼失しておりますので、現存しているのは奇跡的なことだと思います。

 


高祖父の大條道徳が木戸孝允と交渉

伊達みきおさんの高祖父で、大條家の当主だった大條道徳(おおえだみちのり)は、幕末から明治維新にかけて仙台藩の家老職である奉行をつとめていました。

そこで戊辰戦争※1の戦後処理という大変重要な役目を担います。

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戊辰戦争に敗北した仙台藩はお取り潰しの危機に陥りましたが、大條道徳は新政府代表の木戸孝允と会談、交渉の末に伊達家と仙台藩の存続が認められました。

激動の時代、いかに伊達家の名誉と実益を守るか。

そんな困難を、交渉により見事成功させた條道徳は、その論功行賞のため、450年ぶりに大條の姓から伊達の姓に戻すよう命じられ、名を伊達宗亮と改めます。

大條宗行が初代大條伊達氏を興して600年が経過。

伊達宗亮さんの曾孫の伊達みきおさんも、ご先祖様の想いを受け継ぎ、東日本大震災の復興のため、様々な活動に取り組んでいます。

奥州に轟いた伊達の名は、今別のカタチで人々の心に勇気を与えてくれています。


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重久直子・記

【参考】
ファミリーヒストリー/NHK
サンドウィッチマン 伊達みきおさんオフィシャルブログ

【参考】
国史大辞典
大條氏/wikipedia 
伊達政宗 (大膳大夫)/wikipedia

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