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【氏真の蹴鞠】
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信長を尋ねた驚きの人物。
それは今川氏真でした。
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氏真が百端帆を献上
かつて【桶狭間の戦い】で織田信長が討ち取った、あの今川義元の息子。
16日、なんと氏真から信長を訪問したのです。
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身の処し方としては正解ですが、親の仇に挨拶しに行くのですから、感情的には非常に複雑ですよね。
もちろん、ただ来ただけではありませんでした。
【百端帆(ひゃくたんぽ)】を献上しています。
なんじゃそれ?
と、残念ながら、それがどんなものだったのかは不明。香炉か茶道具だろうと推測されておりますが、いずれにせよ氏真もまた、信長とまた違った意味で大物ですよね。
この直後に
【以前も「千鳥の香炉」と“飯尾宗祇(室町時代初期の連歌師)から伝えられた”という香炉を献上していた】
という話が出てきますので、百端帆も香炉の可能性が高いでしょうか。そのとき信長は千鳥の香炉だけを受け取って、後者は返していたようです。
ついに開かれた蹴鞠の会
他にもいくらか話をしたようで、「氏真が蹴鞠をする」という話に信長は興味を持ったのか「今度見せてもらいたい」と頼んでいます。
そして20日、相国寺で氏真と公家数名によって蹴鞠の会が開かれました。
参加した公家は以下のようなメンツ。
・三条西実枝父子
・高倉永相父子
・飛鳥井雅教父子
・広橋兼勝
・ruby>五辻為仲<いつつじためなか
・庭田重保
・烏丸光康
試合の内容については書かれていないのですが、蹴鞠を家業(お家芸)とする飛鳥井家の人が入っているあたり、結構ガチな会だった可能性もありますね。
信長は参加はせず、見物だけしています。
氏真に対しても高圧的に「蹴鞠を披露せよ」とかそんなんではなく、軽いお願いだったような雰囲気がありますよね。
合戦は戦国武家の日常。親を殺された恨みは忘れられないでしょうが、その上で織田信長と今川氏真の間に新たな関係が築かれたような気もします。
と、穏やかな話題で開始した天正三年ですが、当然そればかりではありません。
次回からは、東の大敵に関する話が顔をのぞかせます。
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信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
『戦国武将合戦事典』(→amazon)