外国人が選んだ忍者の伝説10選

剣豪・忍者

外国人が選ぶ「忍者(NINJA)の伝説10選」が日本人も知らないマニアックさよ

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
外国人が選んだ忍者の伝説10選
をクリックお願いします。

 


風魔小太郎(ふうま こたろう)

風魔一党は小田原の北条氏に仕え、伊賀と甲賀から独立して発展したユニークなニンジャ。

上忍の風魔小太郎は、第五代目頭領が最も有名でした。

当時の風魔は、北条の支配下で山賊や海賊、盗賊などとして働く200人の乱波(らっぱ:野武士や野盗上がりの間者)を束ねていたと伝わります。

武田との戦で、武田勝頼の陣営に侵入して現場を混乱させ、同士討ちを引き起こした――という活躍がありますね。

武田勝頼
武田勝頼は最初から詰んでいた?不遇な状況で武田家を継いだ生涯37年

続きを見る

しかし1590年に北条が豊臣秀吉に滅ぼされると風魔一党は普通の盗賊に落ちぶれてしまいました。

小田原征伐で秀吉相手に退かず!北条家の小田原城はどんだけ強いのか

続きを見る

小太郎に関する人気エピソードは、「服部半蔵を暗殺したけれど、元武田のニンジャ・高坂甚内の裏切りで徳川に捕えられ処刑された」というのがありますね。

ちなみに風魔小太郎というのは個人名ではなく、代々の頭領の名前です。

 


加藤段蔵(かとう だんぞう)

加藤段蔵は「ニンジャが超自然的な力を持っている」という概念を広めたニンジャの代表かもしれません。

多くの人々が魔法使いだと思っていたほどの奇術師でした。

段蔵の奇術は、大衆の前で牛を飲み込み、種から芽を出しそれを投げた瞬間花を咲かせるというもの。

そして、その飛翔術から“飛び(鳶)加藤”というあだ名が付けられました。

段蔵は、上杉謙信からの忍術試験で直江兼続から長刀を盗むことに成功し、謙信に仕えるようになります。

直江兼続
戦国武将・直江兼続の真価は「義と愛」に非ず~史実に見る60年の生涯

続きを見る

が、あまりに技術が優れていたので謙信に警戒されたため、武田信玄に仕えるようになります。

しかし、信玄にも二重スパイの疑いをかけられ暗殺されました。有能過ぎたニンジャの少し寂しい末路です。

 


服部半蔵(はっとり はんぞう)

服部半蔵は恐らく最も有名なニンジャでしょう。

徳川家康の家臣兼サムライで、家康統治の推進力になりました。

半蔵は、織田信長明智光秀に討たれた本能寺の変のとき、危険に陥った家康を護衛しながら【神君伊賀越え】を果たし、無事に地元まで送り届けております。

その後、槍使いの師範代、そして戦術家として徳川家に忠義を尽くしました。

半蔵の指揮下で伊賀ニンジャは江戸城の護衛となり、お庭番衆の名で将軍の隠密機関にもなっています。

そして半蔵が亡くなった後、服部半蔵が永久不滅だという神話を永続させるために、後継者は伊賀ニンジャの頭領の伝統にのっとって「服部半蔵」と名乗りました。

なお、一般的に最も知られている「服部半蔵」は二代目の服部半蔵正成です。

服部半蔵正成
忍者ではなく武士だった服部半蔵正成の生涯55年 伊賀越え後はどんな立場だった?

続きを見る

そもそも表沙汰にはできない忍者のお仕事。

戦国時代当時にも記録が残されることは少なく、日本人にとってもナゾだらけなのが忍者です。

海外の方にとってはさらに神秘的で、魅力的に感じるのでしょう。

今後も気力に余裕があれば、こうした海外の話題も紹介したいと思います。


あわせて読みたい関連記事

外国人が選んだ好きな武将ランキング
外国人が選んだ魅力的なサムライ(武将)TOP10には誰が入っているのか

続きを見る

Ninja
Ninja(忍者)が世界中に普及したキッカケは1964年に開催の東京五輪だった?

続きを見る

忍者の忍術(知恵)は科学的にも認められる?『麒麟がくる』の菊丸も実践

続きを見る

コメントはFacebookへ

志能備(忍)の誕生~伊賀と甲賀の忍者はいかにして誕生し 消えていったのか?

続きを見る

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

続きを見る

杉谷善住坊、火縄銃で信長を狙撃!超わかる信長公記69話

続きを見る

文:オギヤスエ

【参考】
◆10 Amazing Legends Of Ninjas From History(→link

TOPページへ


 



-剣豪・忍者

×