外国人が選んだ忍者の伝説10選

剣豪・忍者

外国人が選ぶ「忍者(NINJA)の伝説10選」が日本人も知らないマニアックさよ

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外国人が選んだ忍者の伝説10選
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石川五右衛門(いしかわ ごえもん)

伊賀も甲賀も認めないかもしれませんが、石川五右衛門を除いて実在したニンジャリストは完成しません。

金持ちから盗み貧しい人々に与える無法者、ロビン・フッドの日本版。

確認はできませんが、抜け忍になる前は伊賀の下忍である百地(原文はMochizukiとなっていますが恐らく誤記)三太夫の弟子だったとも言われています。

五右衛門は関西で盗賊団のリーダーとなり、豊かな大名や神官、商人から奪って圧迫されている農民などに分け与えました。

豊臣秀吉の暗殺に失敗して捕えられ、釜茹での刑になりましたが、伝説では釜茹でにされた時に死ぬ間際まで息子を頭上に持ち上げていたと伝えられています。

子供と一緒に釜茹でにされる石川五右衛門/wikipediaより引用

海外で有名な義賊と言えばロビン・フッドなんですね。

 


百地三太夫(ももち さんだゆう)

石川五右衛門の記事でもあったように、五右衛門は抜け忍になる前は百地三太夫の弟子だったと言われています。

伊賀流忍術の創始者の1人で、服部半蔵、藤林長門と共に伊賀三大上忍の一人。

三太夫の本名は百地丹波泰光(ももちたんばやすみつ)といいますが、一説では三太夫と丹波は別人だとされ、また別の説では三太夫と藤林長門が同一人物ではないかとも言われています。

まぁ、誰が三太夫であれ、織田信長が伊賀を侵略した【天正伊賀の乱】で殺害されたと考えられており、この戦いで伊賀と甲賀のニンジャは一掃されてしまいました。

彼の働きぶりの1つに「異なる妻や家族と共に3軒の家を維持する」なんてものもありました。ある家で彼の身が危うくなった時、別の家へ移ってそこで別人になりきるのです。

いかにもニンジャらしい謎めいた人物です。

 


風魔小太郎(ふうま こたろう)

風魔一党は小田原の北条氏に仕え、伊賀と甲賀から独立して発展したユニークなニンジャ。

上忍の風魔小太郎は、第五代目頭領が最も有名でした。

当時の風魔は、北条の支配下で山賊や海賊、盗賊などとして働く200人の乱波(らっぱ:野武士や野盗上がりの間者)を束ねていたと伝わります。

北条氏直の時代に、武田との戦で、武田勝頼の陣営に侵入して現場を混乱させ、同士討ちを引き起こした――という活躍がありますね。

北条氏直/wikipediaより引用

しかし1590年に北条が豊臣秀吉に滅ぼされると風魔一党は普通の盗賊に落ちぶれてしまいました。

小太郎に関する人気エピソードは、「服部半蔵を暗殺したけれど、元武田のニンジャ・高坂甚内の裏切りで徳川に捕えられ処刑された」というのがありますね。

ちなみに風魔小太郎というのは個人名ではなく、代々の頭領の名前です。

 

加藤段蔵(かとう だんぞう)

加藤段蔵は「ニンジャが超自然的な力を持っている」という概念を広めたニンジャの代表かもしれません。

多くの人々が魔法使いだと思っていたほどの奇術師でした。

段蔵の奇術は、大衆の前で牛を飲み込み、種から芽を出しそれを投げた瞬間花を咲かせるというもの。

そして、その飛翔術から“飛び(鳶)加藤”というあだ名が付けられました。

段蔵は、上杉謙信からの忍術試験で直江兼続から長刀を盗むことに成功し、謙信に仕えるようになります。

『芳年武者旡類:弾正少弼上杉謙信入道輝虎』(月岡芳年作)/wikipediaより引用

ところが、です。

あまりに技術が優れていたので謙信に警戒されたため、武田信玄に仕えるようになります。

そして信玄からも二重スパイの疑いをかけられ暗殺されました。有能過ぎたニンジャの少し寂しい末路です。

 


服部半蔵(はっとり はんぞう)

服部半蔵は恐らく最も有名なニンジャでしょう。

徳川家康の家臣兼サムライで、家康統治の推進力になりました。

服部半蔵正成/wikipediaより引用

半蔵は、織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変のとき、危険に陥った家康を護衛しながら【神君伊賀越え】を果たし、無事に地元まで送り届けております。

その後、槍使いの師範代、そして戦術家として徳川家に忠義を尽くしました。

半蔵の指揮下で伊賀ニンジャは江戸城の護衛となり、お庭番衆の名で将軍の隠密機関にもなっています。

そして半蔵が亡くなった後、服部半蔵が永久不滅だという神話を永続させるために、後継者は伊賀ニンジャの頭領の伝統にのっとって「服部半蔵」と名乗りました。

なお、一般的に最も知られている「服部半蔵」は二代目の服部半蔵正成です。

服部半蔵正成
忍者ではなく武士だった服部半蔵正成の生涯55年 伊賀越え後はどんな立場だった?

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そもそも表沙汰にはできない忍者のお仕事。

戦国時代当時にも記録が残されることは少なく、日本人にとってもナゾだらけなのが忍者です。

海外の方にとってはさらに神秘的で、魅力的に感じるのでしょう。

今後も気力に余裕があれば、こうした海外の話題も紹介したいと思います。


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文:オギヤスエ

【参考】
◆10 Amazing Legends Of Ninjas From History(→link

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