林秀貞

名古屋にある「林通勝邸跡」/wikipediaより引用

織田家

織田家の筆頭家老・林秀貞はなぜ信長に追放された?最期は消息不明

織田家には、綺羅星の如きスター武将が数多あまたおります。

明智光秀豊臣秀吉柴田勝家丹羽長秀……と数え始めたらキリがないほどで、例えば戦国ゲームだとしたら、彼らの各種パラメーターは軒並み90以上を叩き出しているでしょう。

しかしそんなスター軍団でも、なかなか勝てそうにない存在感のある“上役”が織田家中にはおりました。

林秀貞(はやしひでさだ)――。

秀吉や光秀などが立身出世する、はるか前から織田家に仕え、そして信長を支えた堅実の将。

されど最終的には追放され、一説には天正8年(1580年)10月15日に亡くなったとされる、林秀貞の生涯を振り返ります。

絵・小久ヒロ

 


林秀貞は信秀の代から仕えていた

林秀貞は永正十年(1513年)生まれとされています。

織田信長が天文三年(1534年)生まれですから、20歳以上も歳上ですね。

秀貞から見た信長は、主君・織田信秀の嫡子であるという以上に、我が子のように思えた時期があったことでしょう。

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信長がまだ少年の頃、那古野城(現名古屋城の場所にあった以前の城)を与えられたとき、秀貞は一番家老として信長付きになりました。

二番家老が、信長の爺やとして、また諫死したとして有名な平手政秀です。

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現代における知名度では政秀には一歩譲りますが、地位としては秀貞のほうが上でした。

林氏は、尾張春日井郡(北名古屋市)の土豪だったとされていますので、元の身分を重視したものでしょうか。

前田利家を排出した前田家も、元々は林氏の与力(部下)だったといわれています。

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秀貞と利家に関するエピソードは伝わっていませんが、何か語らうこともあったのかもしれませんね。

 


名実ともに一番の重臣だった

天文十五年(1546年)に古渡城で信長の元服が行われた際、介添え役を務めたのも秀貞でした。

名実ともに、信長にとって一番の重臣だったということです。

しかし、幼少~青年までの信長といえば「うつけ」騒動が最も激しかった時期です。

二番家老だった政秀だけでなく、一番家老の秀貞も、主の言動には頭を悩ませていました。

絵・富永商太

政秀は信長をひたすら諌め続けましたが、秀貞はだんだん嫌気が指していったようです。

そこで信長よりも、弟・織田信勝を擁立したほうが織田家のためになるのではないか? と考え、実行に移そうと考え始めます。

特に、二人の父である信秀が亡くなってからは、信行の家臣たちなどとこっそり手を組み、密かに動いていくのでした。

信長は、父が亡くなってから少しずつ変化して、弘治元年(1555年)には、織田信友から清州城を奪い取るなど徐々に頭角を現し始めます。

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が、信勝擁立派の勢いは衰えません。

それを知ってか知らずか、信長は清州城に移った後、那古野城の留守居役を秀貞に任せるのでした。

 


「卑怯なやり方で殺すわけにはいかない」

弘治2年(1556年)。

信行の家老だった柴田勝家、そして秀貞の弟・林通具みちとも(通称・美作)が、信長に対し反旗を翻して戦いました。

稲生の戦い】と呼ばれるもので、詳細は以下の記事をご覧ください。

稲生の戦いで信長一騎打ち!~戦国初心者にも超わかる信長公記19話

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この戦いは、信勝方の敗北に終わり、柴田勝家は敗走、通具は信長によって討たれ、首を取られました。

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秀貞本人はこの戦に参加していなかったようですが、関係していたのは紛れもない事実。当然何らかの罰が与えられてもおかしくありません。

なぜか信長はそうしませんでした。

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【稲生の戦い】の前に、信長が林兄弟の下を訪ねてきたときのことが影響しているともいわれています。

このとき、弟の通具は「信長がノコノコと単独で来たのだから、この際討ち取ってしまおう!」と言っていたそうです。

しかし秀貞は「信長様は確かに当主としてはいただけないが、先祖代々お仕えしてきた家の主を、卑怯なやり方で殺すわけにはいかない」と反対し、少し話をしただけで帰したのだとか。

信長がこの経緯をどこかから聞いて「俺は秀貞に命を助けられたのだから、秀貞の処分はしない」と決めた……というものです。

公平といっていいでしょうかね。

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