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【京都御馬揃え】
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信長が譲位を迫る理由はなく
式年遷宮や儀式など。信長はそれまでにも正親町天皇はじめ朝廷に対し、財政面で支援をしておりました。
天皇としても織田家の武力は重々承知していたはずですから、今さら脅す必要がありません。
譲位の件についても信長が迫ったという確実な記録はなく、正親町天皇が高齢や病気を理由に申し出たものの、他ならぬ信長が反対した――という説もあります。
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世の中には「難しく考えすぎて迷宮入り」になっちゃう事柄は案外多いもの。
もしかすると信長は「あっちこっちにウチの兵力を見せ付けてやったし、天皇も喜んでるし一石二鳥!」とご満悦で、正親町天皇は「これなら心強い!信長に任せておけば次代も安心じゃ!」と大喜び……なんて単純な話だった可能性も大いにアリでしょう。
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こればっかりは当時にタイムスリップして二人の頭の中を覗かない限りはっきりしませんから、なんとも言いがたい話です。もうちょっとアテになる史料が出てきたらいいんですけどねえ。
ということで、最後に京都馬揃えのメンバー(並び)を列挙して本稿の終わりとさせていただきます。
京都馬揃えの陣容
一番部隊
丹羽長秀・摂津衆・若狭衆・革島一宣
二番部隊
蜂屋頼隆・河内衆・和泉衆・根来寺大ガ塚・佐野衆
三番部隊
明智光秀・大和衆・上山城衆
四番部隊
村井貞成・根来衆・上山城衆
公家衆
近衛前久・正親町季秀・烏丸光宣・日野輝資
旧幕臣衆
細川昭元・細川藤賢(ふじかた)・伊勢貞景・一色満信・小笠原長時
九番部隊
お馬廻り衆・お小姓衆
十一番部隊
お弓衆百人(平井久右衛門と中野一安が先導)
まだまだこれで全てではありません。
『信長公記』の現代版に全容が記されておりますので、ご興味をお持ちの方は書籍でご確認ください。今は電子版がありますので、出勤中にスマホで読めますよ(→amazon)。
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長月 七紀・記
【参考】
谷口克広『信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか』(→amazon)
太田牛一/中川太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)