織田信雄

織田信雄/wikipediaより引用

織田家

織田信雄(信長の次男)は本当に愚将だったのか?信長の血筋を現代へ繋げる

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改易にされたり大名へ復帰したり

その後は九州征伐や小田原征伐など、秀吉の主要な戦に参戦し、完全に豊臣傘下へ入ったかに見えました。

しかし小田原征伐の後、後北条氏の旧領である関東に、家康が入ることが決まったあたりで、一気に立場が悪くなりました。

というか、信雄自身がそうしてしまいました。

小田原征伐で秀吉相手に退かず!北条家の小田原城はどんだけ強いのか

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家康が地元である三河・遠江を離れることになるため、適切な大名を入れなければなりません。秀吉は東海道のど真ん中であるこの地を、信雄に与えようと考えます。

交通の要所かつ比較的温暖な気候、さらに旧領である美濃・伊勢からも移転しやすい距離で、それなりの広さもある――そんな好条件が整っていました。

秀吉なりに、信雄の立場や「旧主の息子」という点を尊重して、決めた人選だったのでしょう。

しかし信雄は、この転封を断固拒否しました。

「本来なら目上のはずの俺に、猿ごときが領地替えを命じてくるとは何事か!」

「父上に任され、正式に国司となった伊勢の地を離れるなど言語道断!!」

考えられる理由としては、この辺ですかね。彼の意志をはっきり記したものがないので、推測に過ぎませんが……。

当然のことながら、この態度は秀吉の怒りを買いました。

信雄は改易され、下野国(栃木県)や出羽国秋田などを転々とします。

それでも文禄元年(1592年)に家康の仲介で許され、上野国(群馬県)で大名に復帰しているのですから、いやはやなんともはや。

改易が天正十八年(1590年)の夏ですから、ブランクは二年あるかどうかというところです。この間に出家して「常真」と名乗っているものの、結局、大名に返り咲いています。

 

関ヶ原~渋い役割演じたつもりで全員スルー

関ヶ原の際は大坂城内で「様子を窺う」という高等スキルを披露しました。

が、あまりに高度な技術だったため誰も理解することができず、「お前、西軍側の城にいたんだから改易な」ということであっさり領地を取り上げられてしまいます。

しかし、懲りずに豊臣家へ再出仕。

大坂冬の陣直前に徳川家につくという、ウルトラCを繰り出しました。

「最初から間者のつもりで入り込んていた」

ともいわれていますが、それまでの経緯を見ると

「もう豊臣オワタだから逃げよっ」

なんて考えていそうな気もしてきますね。

ちなみに、大坂夏の陣の後は再三大名に復帰しています。

そこからが一番大名らしいともいえる期間で、産業を奨励したり庭園を造らせたり、生前に財産分与をきちんとやってから隠居生活を楽しんでいたようです。

生前に財産分与をきちんとやっているあたり、本当は頭が切れるのにアホのフリをしていたのか、ガチだったのか、本気でわからないところです。

江戸時代にはアホのふりをしてお家を守った大名も多々いますし、父である信長の若い頃のことを考えると……うーん。

 

長い眼でみるとすごい人物では?

さらにわけのわからんことに、途中転封や家格が下がったにもかかわらず、彼の子孫はしっかり明治時代まで存続しています。

系統によって大名家だったり、旗本(直接将軍に会える最低の身分)だったりと、様々な道を経ていますが……血筋そのものが残っているということ自体がスゴイ話ですよね。

彼の娘の系統は、なんと現代の皇室にもつながっています。

そう考えると信雄も広い意味での「勝ち組」と捉えることができるのですが……フシギですよね。

ともかく現代まで信雄系統の織田家は存続しております。

家を残すのが戦国大名の第一でしたから、やっぱりその功績は評価すべきでありましょう。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
織田信雄/wikipedia

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