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【織田信光】
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信長から「尾張半国」を約束される
このままではマズい……。
大膳も、そう考えたのでしょう。
しかし、切羽詰まるとロクな考えは浮かばないもの。あろうことか大膳は、織田信光への接近を試みるのです。
「信光殿よ。信友殿と並んで守護代になってみませんか?」
守護代のポジションという人参をぶら下げ、信長から信光を引き離そうとしました。この一件は、信長の後ろ盾である信光が、いかに敵対勢力にとって脅威であったかを示しています。
そしてこの提案を受けた信光。
「守護代か。なるほど、悪くないな」と彼の言葉に従い、守護代の一角と相成りました。
えっ? 兄の遺言で託されたうえに、争いで優位に立つ信長を裏切る?
そう思われるかもしれませんが、この誘いで【信長―信光】の関係が揺らいだわけではありません。むしろその逆。
二人は
「せっかく清須城に入れるのだから、この機会に(城主の)信友を追い込んで、城を奪ってろう」
というように意気投合したのです。
もちろん信光に何の恩賞がないワケではありません。
「コトが成った暁には、尾張の半分を分割して支配する」という条件で話はまとまり、準備は万全に整っていきます。
一方、計略を仕掛けたつもりの坂井大膳。
策士、策に溺れるとはこのことで、最大の敵を自ら城内に引き入れてしまうのでした。
衝撃! 突如、家臣に殺害されてしまった信光
清須城に入った織田信光は、早速動きました。
信友を自害に追い込んだばかりでなく、有力家臣であった大膳を見事に清須城から追放するのです。
こうして城を占拠した信光は、事前の打ち合わせどおり信長に清須城を譲り、自身は那古野城へと入りました。
ちなみに、大膳は今川氏の元へ落ち延びたとされますが、その後の消息は不明です。
当時の信光は、それはもう得意絶頂であったことでしょう。
信長の権力確立に尽力したことで、自身の立場も安泰。
さらに「尾張の分割支配」も約束していたわけですから、完全な勝者になる……ハズでした。
結論から言えば、彼の人生はその半年後に唐突な終わりを迎えることになります。
天文23年(1554年)、信光は家臣・坂井孫八郎によって殺害されてしまうのです。
殺害の動機についてハッキリと分かっているわけではありません。
『甫庵信長記』という史料によれば「孫八郎と北の方(信光夫人)が密通していたことが原因」と書かれています。
ただ、この史料は『信長公記』に比べると信ぴょう性に欠ける代物であり、ましてや「色恋」が理由というのは話として出来すぎている気がしてなりません。
別の可能性を考えて参りましょう。
信長黒幕説の真偽
これまで信長にとって欠かせない後ろ盾であった織田信光。
清須勢力を打倒した後、その価値は低くなっています。
なんせ「尾張支配の約束」を果たせば領土を半分譲らねばならず、外交方針や合戦で意見が違えば、信長の行動を大きく制約する障害にさえなり得ますし、再び国が分裂する危険性も高い。
戦国大名にとって「権力の一元化」は生死にかかわる問題です。
信長側の視点から信光の存在を考えたとき「このタイミングで死んだことは、かなりの幸運であった」と言えるかもしれません。
早すぎもせず、遅すぎもしない絶妙な頃合いと申しましょうか。
しかし、人の死期というのもは、そうそう都合よく訪れるものであはりません。
となれば、当然ながらこんな説が浮かんで参ります。
「孫八郎が信光を殺したのは、信長が命じたからではないか?」
いわば「黒幕説」ですね。
ただし、信ぴょう性の低い軍記物(小説)などを含めても、「信長黒幕説」を裏付ける史料は存在しません。
「黒幕」は表に出ないからこそ黒幕。
好き好んで暗殺の指示を記録に残しておくはずがありません。
それでも史料無くして史実を語ることはできませんから、妄想の域を出ないのです。
信長のように歴史に名を残す偉人というものは、往々にして「冗談かと思うようなラッキー」に恵まれるもの。
信光の死も「暗殺を疑われるほど絶妙なタイミングで亡くなっただけ」なのかもしれません。
いずれにせよ織田信光というマイナーな武将が、信長の尾張統一に貢献していたことは間違いないでしょう。
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文:とーじん
【参考文献】
谷口克広『織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon)
谷口克広『天下人の父・織田信秀――信長は何を学び、受け継いだのか(祥伝社)』(→amazon)
岡田正人『織田信長総合事典(雄山閣出版)』(→amazon)
「信長の叔父・織田信光はなぜ、暗殺されたのか(WEB歴史街道)」