絵・中川英明

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赤井直正(悪右衛門尉)50年の生涯をスッキリ解説!光秀を最も苦しめた男

敵は光秀ではなく寿命だった!?

天正3年(1575年)に光秀の丹波平定軍が同国に到着。
討伐の矛先は、まず内藤氏と国衆の宇津氏という勢力に向けられました。

理由は「将軍をめぐる対立で我々に逆らい、いまだに反抗を続けているため」というもので、実際、彼らは信長が攻めるための大義になり得る反抗を見せていたようです。

ただ、内藤氏も宇津氏も、それほど強大な勢力ではありません。
電光石火の早さで両氏は降伏を余儀なくされ、これで丹波平定はおしまいかと思いきや、光秀は全く撤収の構えを見せないのです。

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織田家の敵は、有力な戦国大名に成長していた赤井直正その人でした。

丹波の小勢力を倒すためならば、わざわざ織田軍のエース・光秀が送り込まれたりはしないでしょう。
内藤・宇津勢の打倒というのはあくまで口実であり、この段階で攻めこむための大義名分がなかった赤井直正に対して戦を仕掛けるためだったと考えられます。

光秀が、赤井勢の本拠である黒井城へ兵を進めた時、直正は【天空の城】としても著名な竹田城を攻めている最中でした。

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光秀以外に一益や長秀も参加した 本気の織田軍

明智光秀が丹波へやってくる――。

その一報を受けた赤井軍は、大急ぎで黒井城へと引き返し、防衛戦を余儀なくされました。
ここまでの展開は、完全に光秀優位の形で進行します。

しかし翌年になると、これまで光秀に従っていた波多野秀治が突如織田家を裏切るのです。

波多野秀治

予想だにしない敵の出現。
これに対処しきれなかった明智軍は敗れ、いったん丹波からの撤退を余儀なくされました。

実は、丹波平定戦がスムーズに進行していたのは、波多野氏の協力があってこそであり、信長はこの事態を考慮して短期決戦による丹波平定を断念したと伝わっています。

その証拠に、光秀は丹波攻略をいったん中断し、畿内の戦場を駆け回っています。

光秀が再び丹波攻略に乗り出したのは、天正5年(1577年)のことでした。

絵・中川英明

ここで明智軍は再度内藤氏を撃破。
滝川一益丹羽長秀を加えた強力な攻略軍は、裏切りによって敵に寝返っていた波多野氏も追い込み、最終的に彼らの本拠であった八上城を攻め落とします。

実はこの八上城、古くから名城として知られ、三好長慶松永久秀、三好政康(三好三人衆の一人)らが攻め込んだことでも知られます。

※黄色い拠点:右が八上城で左が黒井城

万全の体制をととのえた明智軍は、いよいよ最大の敵である赤井直正に戦いを仕掛けるべく黒井城に攻め込みました。

 

関ヶ原後も生き残った赤井氏

黒井城へ攻め込んだ織田家に待っていたのは、意外すぎる展開でした。

赤井直正の姿がありません。
実は直正は、天正6年(1579年)に城内で病死してしまっていたのです。

棟梁を失った赤井氏は、もはや為す術もなく、光秀に敗北。
信長の意図した丹波平定がほぼ成し遂げられるのでした。

この丹波平定は光秀最大の功績と称えられることも多く、彼はそのまま平定した丹波を支配下に置くことになります。

黒井城陥落によって赤井氏も滅びるかに思われましたが、当主の忠家は「脱兎のごとく」逃亡したとされています。
光秀も追っ手を差し向けましたが逃亡の速度には敵わず、彼は遠江国二俣(現在の静岡県浜松市付近)まで逃げのび一命をとりとめました。

この逃走は彼の命を繋ぎ、本能寺以後は豊臣秀吉に仕えたと伝わっています。

秀吉のもとでは馬廻衆に組み込まれ、千石の地を獲得。
さらに、関ケ原では東軍に味方したため、家康によって恩賞としてさらに千石をあてがわれ、2千石の地を有したまま慶長10年(1605年)に亡くなりました。

その後は旗本として幕府に仕えることになった赤井氏。

落城を最後に滅亡する家が多い中、一心不乱の逃亡によってお家を繋いだ極めて珍しい一族といえるでしょう。

忠家に直正ほどの武勇はなかったようですが、一方で「生き残るためなら悪にでも手を染める」という直正の矜持は受け継がれていたのかもしれません。

なお、『麒麟がくる』主役・明智光秀の生涯については、以下の記事をご覧ください。

文:とーじん
絵:中川英明

【本文中のあだ名】
鬼柴田(柴田勝家
鬼美濃(馬場信春・原虎胤)
甲斐の虎(武田信玄
表裏比興の者(真田昌幸

【参考文献】
『戦国時代人物事典(学研パブリッシング)』(→amazon
織田信長家臣人名大辞典(吉川弘文館)』(→amazon
『信長と消えた家臣たち(中央公論新社)』(→amazon
『織田信長の家臣団―派閥と人間関係(中央公論新社)』(→amazon
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon

 



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