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【富田信高と安濃津城の戦い】
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「お、お前……オレの嫁じゃないか!!?」
疲れきっていた信高も目の前の光景が信じられず、まずは誰なのか確かめようと少しずつ近づきました。
生き残れたらその武士に褒美を与えなければいけませんし、それでなくても命の恩人です。
しかし、遠目から顔を見てもさっぱり見当がつきません。
「もしかして、分部殿の家臣だろうか?」とも思いますが、それにしても何かおかしい。
いったい誰だろうとハテナを浮かべる信高に、武士のほうから近付いてきました。
「殿が討ち死にされたと聞き、私もお供しようと出て参りました。まさか、生きてお会いできるなんて……!」
信高を連れ、城の中へ退きながら武士は語ります。
そこでようやく信高も気がつきました。
「お、お前……オレの嫁じゃないか!!?」
なんと、その武士は信高の奥さんだったのです。
実名は伝わっていませんが、宇喜多忠家(直家の弟)の娘だそうですから武士の娘には違いありません。
武器や戦時の心得もあったことでしょう。
改易になってしまう しかしその原因は……
しかし普段奥にいる妻がいきなり実戦に出てくるなんて、いくら何でも予想の斜め上どころか圏外です。
生死を共にしようとしただけでも嬉しかったでしょうし、信高はまさに男冥利に尽きる気分だったでしょうね。
このとき、信高も奥さんも二十代半ば~後半の若い夫婦だったそうです。
その後、信高は降伏することになるのですが、奥さんの雄姿は「巴御前の再来のようだ」と褒め称えられ、今に伝えられています。
幕末に活躍した月岡芳年(つきおかよしとし)という画家がこの逸話を元にした浮世絵を描いているほどです。
その後、信高は宇和島藩主(愛媛県)になりますが、罪をおかして逃亡中のある人をかくまった罪で改易となってしまいます。
せっかく生き残れたのに何をバカなマネを……と、思ってしまいますよね。
しかし、それも致し方ないことだったかもしれません。なぜなら、ある人とは、妻の甥っこ(坂崎左門)だったのです。
「妻の恩を返したのだから悔いはない」
信高はそんな風に考えたのでしょうか。
もっと広まってもよい戦国夫婦かと思われます。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
笠谷和比古『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)』(→amazon)
渡邊大門『井伊直虎と戦国の女傑たち~70人の数奇な人生~ (光文社知恵の森文庫)』(→amazon)
阿部猛/西村圭子『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon)