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【斎藤利治】
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足場の悪いぬかるみで大勝利
穏便に拠点を作ることができた利治は、気を取り直してさらに兵を進めました。
次の今泉城には謙信の側近として仕えていた人物もおり、一筋縄ではいかないと判断した彼は一計を講じます。城攻めを中止すると見せかけて、上杉軍を城の外へ誘い出したのです。
そして地形の複雑な月岡野までひきつけてから一斉に転進。
実に360人を討ち取るという大勝利を収めました。
これを【月岡野の戦い】と言います。
月岡野の位置は、現在の富山市上栄あたりといわれており、今も大小さまざまな川が流れているので、おそらく当時から足場の悪いところだったのでしょう。
地元でもないのにそこまで把握してた利治がパネェっす!
この働きにはもちろん信長も信忠もホクホク顔で、感状(主君からのお褒めの手紙・領地について書かれていることも)をあげています。
特に信忠は、自分の家臣が大功を挙げたことがよほど嬉しかったらしく、
「寒い中ご苦労様」
「今後も良い知らせを待っている」
と労いの言葉を送っており、気遣いや喜びようが窺えます。かわいいな。
いいところで荒木村重の裏切りが……
謙信亡き後とはいえ、上杉家を合戦で破り、各地の大名は「織田家ってヤバくね?」と考えるようになります。
特に越中では織田家についた人が多く、このまま一気に上杉家を破れるかに見えました。
しかし、本格的に動き出す前に冬が深まり始めたこと、さらに上方で荒木村重が裏切ったためその対処に当たらねばならず、こちら方面の作戦は一時中止となります。
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その間に上杉家では、御館の乱を片付けた上杉景勝と直江兼続らが態勢を立て直し、次は、リベンジを狙う柴田勝家とぶつかります。
上杉家と言えば謙信。
そのライバルと言えば武田信玄ですから、どうしても
【上杉家vs武田家】
という構図を思い浮かべてしまいますが、実は上杉家vs織田家という闘いもドラマに満ち溢れていますね。
大河ドラマか映画でここにクローズアップしたら面白そうなので、どなたか良い脚本を書いていただけないかなぁ。
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長月 七紀・記
絵・小久ヒロ
【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで』(→amazon)
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
月岡野の戦い/Wikipedia
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