織田信長が2万人の宗徒を虐殺した事件として有名な長島一向一揆。
天正二年(1574年)9月29日はその争いが終結した日だが、実は織田軍と一揆勢は、全部で三度も戦っていたのをご存知だろうか?
◆第一次長島合戦→元亀2年(1571年)5月-5月
◆第二次長島合戦→天正元年(1573年)9月-10月
◆第三次長島合戦→天正2年(1574年)7月-9月
上記のように1571年から1574年まで。
4年間にわたって戦いが勃発していたのは、ひとえに一向一揆勢の防御が脆弱ではなかったから。
両軍のぶつかり合いでは織田軍も被害を免れることができず、信長の親族や有力な家臣など、大勢の味方を討たれていたのである。
では一体、誰が犠牲となったのか?
確認してみよう。

歌川芳員『太平記長嶋合戦』/wikipediaより引用
信長の弟:織田信興
信長が家督を継いだとき、周囲の親類は敵ばかり――そんな状況で最初から味方だったとされるのが織田信興(織田信秀の七男)である。
当然、信長の信頼もあつく、伊勢長島勢との最前線拠点となる小木江城(こきえじょう)を任されていた。
しかし元亀元年(1570年)11月、長島の一揆勢に攻撃を仕掛けられ、信興は天守で自害。
ここから都合三度にわたる長島一向一揆の戦いが始まる。
織田信興についての詳細は以下の記事へ(本記事末にもリンクあり)。
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なぜ信長の弟・織田信興は一揆勢に殺されたのか 長島一向一揆の幕開け
続きを見る
美濃三人衆:氏家卜全(直元)
元亀2年5月に勃発した第一次長島合戦で、織田軍は総勢5万の大軍で侵攻。
しかし、長島を中心として周囲に十数か所の砦を設置した一揆勢の守りは非常に固く、河川も利用した包囲網を取り崩すことはできず、織田軍は退却を余儀なくされる。
このとき殿(しんがり)の柴田勝家が、山と川に挟まれた狭路で攻撃を受け負傷。

柴田勝家/wikipediaより引用
退却が困難となったため、代わりに氏家卜全(直元)が殿となり、結果、大勢の兵と共に戦死へと追い込まれた。
氏家卜全は、稲葉一鉄(稲葉良通)や安藤守就と共に美濃三人衆(西美濃三人衆)として知られる有力武将の一人。
信長が美濃を攻略する際に協力し、織田家に降って以来、第一線で働き続けたとされる。
筆頭家老・林秀貞の息子
第一次長島合戦で痛い目に遭った信長は、軍船を用意して攻め込むことを決定。
次男の織田信雄に命じて、大湊の船を集めるよう指示を出したのだが、大湊の会合衆に要求を拒否されてしまった。
しかたなく、織田軍だけで天正元年(1573年)9月24日に出陣し、戦地で船を待つも、現れる気配はなく……。
10月25日に戦場を引き払い、退却を始めると、前回柴田勝家と氏家卜全がやられた同じ場所で一揆勢から激しい攻撃が始まる。
其の結果、筆頭家老・林秀貞の息子で殿を務めた林新二郎が大勢の家臣と共に討死となった。
信長の叔父・織田信次
天正2年(1574年)7月に始まった第三次長島合戦で、織田軍はついに勝利を得る。
「宗徒2万人の虐殺」で有名なのはこの戦闘であり、実は虐殺があったからこそ信長の親類が一気に4人も亡くなっている。
一体どういうことか?
というと、籠城戦で疲弊しきった宗徒たちを助けるという条件で開城させたところ、先に信長が約束を破って銃を乱射。
これに怒りを覚えた一揆勢が、死ぬ覚悟で織田軍に突撃を繰り返したため、織田勢の被害も大きくなってしまう。
その犠牲者の一人が、信長の叔父であった織田信次であった。
信長の庶兄・織田信広
第三次長島合戦で戦死。
信長の兄であり、かつては今川軍に捕獲され、徳川家康との人質交換などに用いられるなど、不名誉な記録で知られる。
詳細は以下の記事へ。
-
信長の兄・織田信広は家督を継げずに謀反を画策?それでも信長に重用された理由
続きを見る
信長の弟・織田秀成
信秀の八男あるいは九男とも言われ詳細は不明。
『信長公記』長島一向一揆の項目に名を見せる。
信長の従兄弟・織田信成
織田信光を父に持つ信長の従兄弟。
織田信秀(兄)――織田信光(弟)
│ │
織田信長 織田信成
※むろんスケート選手とは関係ない
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織田信成さんは本当に信長の子孫なの?ホンモノの直系子孫は「知らない」と明言
続きを見る
★
長島一向一揆の全貌については、以下の記事に詳細があるので、併せてご覧いただければ幸いである。
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長島一向一揆|三度に渡って信長と激突 なぜ宗徒2万人は殲滅されたのか
続きを見る
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参考文献
- 『国史大辞典』(吉川弘文館, 全15巻17冊, 1979–1997年刊)
出版社: 吉川弘文館(国史大辞典公式案内ページ) - 太田牛一/中川太古(現代語訳)『現代語訳 信長公記(新人物文庫)』(KADOKAWA, 2009年6月, ISBN-13: 978-4046000017)
出版社: KADOKAWA(公式商品ページ) |
Amazon: 商品ページ - 谷口克広『織田信長合戦全録 ― 桶狭間から本能寺まで(中公新書)』(中央公論新社, 2002年12月, ISBN-13: 978-4121016379)
出版社: 中央公論新社(公式商品ページ) |
Amazon: 商品ページ - 谷口克広『信長と消えた家臣たち』(中公新書ラクレ, 2012年10月, ISBN-13: 978-4121504210)
出版社: 中央公論新社(公式商品ページ) |
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