虫の声が響く中、さしものお祭り江戸っ子・蔦重も考え込んでいます。
手にしているものは、いったんは破られ復元された春町の遺書。
行燈の灯りが実に美しい場面です。
和紙を用いた薄暗い灯りの中、人が俯いているだけで一枚の絵になる。
この場面だけでも本作がどれほど浮世絵をはじめとする日本の美を理解しているか、雄弁に語りかけてきます。
こうして俯く人物に誰かが語りかけてくるだけで、そこにはただならぬ物語があるとわかる。
ていが、そっと語りかけてきました。
春町とていの諫言は通じるのか?
蔦重が明るい声音で返すと、ていは動じずに言います。
耕書堂の女将として『鸚鵡返』(おうむがえし)を出したことの是非――出すと決めたのは確かに蔦重です。しかし、ていも止めなかった。その責任を感じているのですね。
さしずめ、無謀な関羽の仇討ちに挑み、夷陵の戦いへ向かう劉備を止めきれなかった諸葛亮の心境でしょうか。
蔦重は「ありがとな」と笑顔で返すものの、ていの失望はさらに深まったようにも思えます。
そのうえで彼女は、恋川春町を結果的に殺した、松平定信も考えていないかと訴えるのです。
ていの言葉は複雑かつ、蔦重は裏読みできていないことがわかります。
ていはまず、己の不備を反省する。
勘が良ければ「俺も悪かった」と答えるはずであろうに蔦重は「ありがとな」と微笑んだ。
次に、ていは松平定信も反省して考えているだろうか?と問いかける。これだって相手に反省を促しています。
それにしてもおていさんてば、漢籍大好きなだけに、諫言のやり口があまりに周りくどい。蔦重に通じますかね。
おていさんのやり口はさしずめ『三十六計』「指桑罵槐」(しそうばかい)。直接言い返さず、別の対象を罵倒することで反省を促す計略です。
恋川春町の死――いわば死諫は、それに関わった人を良き方向へと変えられるのか?
ていが考えた通り、定信は落ち込んでいるようです。
提灯が灯る室内で、彼の背中は動揺し、何かを語っているかのように見えます。

月岡芳年『月百姿』弓取の数に入るさの身となれは おしまさりけり夏夜月 明石儀太夫/wikipediaより引用
黄表紙作家が尽きてしまった
蔦重が暗い顔で耕書堂に座っています。
明るく振る舞っているようで、やつれきった顔。
すると客がやってきて、恋川春町の作品を「作者が自害したんだよな」と面白がるような調子で買っていきます。
さらには、みの吉が死因を尋ねられ、苦し紛れに麻疹だと誤魔化しました。客はそれでも引き下がっておりますが。
著作が絶版になったうえに戯作者として急死したとなれば、どうしたって噂は立つ。江戸っ子の格好の話のタネとなり、こうした事情が後世、彼の死をわかりにくくしているのでしょう。
同時に地本業界を悩ませることにもなりまして、地本問屋の集まりではこのことが議題となります。
恋川春町、急死。
太田南畝、絶筆。
朋誠堂喜三二、帰国。
こんな状況では、他の戯作者も萎縮してしまい、筆を折る人が出ているんだとか。
武家は縮み上がる。黄表紙はやめ時か。そもそも景気が悪い。皆が総じて弱気になってしまいます。
「武家でないと書けない」と思っているところも重要ですね。貧しくとも彼らは教養がある。武家から町人へと教養が広まってゆくのは、この後の時代ととなります。
しかし蔦重はここで持ち前の負けん気を見せてきます。
「いやぁ、大事(でぇじ)ねぇですよ、お武家様が難しいなら、次は町方の先生たちにふんばってもらいましょう!」
って、そんな単純なもんかい?
補足しておきますと、確かに武家よりもそれ以外の方が自由ではあります。
来日外国人の記録には、権力があっても不自由な武士と、権力はなくとも自由を謳歌する町人の姿が言及されております。そういう対比を頭に入れておくと良いかもしれません。
それでも蔦重はめげない。
お武家さんが駄目なら町方の先生に踏ん張ってもらう!
そう勝手に自分の中で完結した結論を持ち出しましたぜ。
そして、町方の戯作者「山東京伝」を訪ねる場面へ移ります。
髭の剃り跡が青い、ギラギラ壮年蔦重
蔦屋重三郎と山東京伝の二人で対照的なのが、両者の髭の剃り跡でしょう。
本作はメイクや衣装も実に細やかで、蔦重は髭の剃り跡が青く目立つようになりました。
江戸時代はまず髭を伸ばさないものでして、その剃り跡が各人の個性となります。
よく言えばエネルギッシュ。悪く言えばギラつきですかね。若いほっそりとした美男の絵では強調されない。
蔦重は髭の剃り跡が生々しいギラギラ系。
山東京伝はそうではないナヨナヨ系。
メイクのおかげでそんな描き分けをしたかのように思えるのです。両者ともに横浜流星さんと古川雄大さんという、揃いも揃った美形なのに、作画タッチが変わってきているんですね。

国芳もよう 正札附現金男 野晒五助/浮世絵検索より引用
このギラギラ系がナヨナヨ系に「今後の黄表紙は任せた!」と言う。絵として圧迫感がありますね。
ナヨナヨして、戯作者の山東京伝にはなりたくない、そんな“政演”は「唐来三和がいるでしょ」と逃げようとします。
しかし蔦重は「逃げちまった」とそっけない。
京伝はなおも逃げようとして「お咎めになった」と頭を下げます。彼が挿絵を入れた黄表紙も処罰の対象となり、扇屋が過料(罰金)を払ったんですね。
京伝も目をつけられていて、黄表紙は嫌なんだそうです。
「おまえさァ、このまま黄表紙の灯(ひ)が消えちまってもいいのか?」
目をギラギつかせて言う蔦重が、ほんとうに浮世絵のワルの顔になっていて、つくづく驚かされます。浮世絵はなかなかリアルなんですね。
それにしても今回のタイトル「地獄に京伝」ってのは、蔦重の思い込みですね。“政演”からすりゃ「地獄の京伝」でしょうよ。
さて、結局のところどうなったのか?
歌麿から聞かれた蔦重の話からするとこうです。
・進行中の作品は仕上げる
・ただし、政治批判は避ける
ただし、これではどうにも腑抜けになると蔦重は不満そう。
町人なのに武士のような忠義を求められても、そりゃ困りますわな。
歌麿は自分自身の身の上も心配しています。なんでも贅沢禁止令で、絵も規制がかかりかねないのです。
歌麿、肉筆画の依頼を受ける
すると駿河屋の親父殿が客を連れてきました。道理で倹約の世に豪華な食事が並んでいるわけだ。
相手は栃木の豪商で「お初徳兵衛!……って江戸では言うんでしたっけ?」と江戸のトレンドを踏まえた挨拶をしてきます。
言葉に栃木訛りのある背伸びした豪商は、釜屋伊兵衛と名乗り、頭を下げました。そして蔦重を歌麿と勘違いして「うれしいの実が一袋〜」と挨拶してきます。
これも浮世絵師あるあるかもしれねぇ。
浮世絵師は、身分としては町人、職人です。そんなに立派な身なりをするとも限りません。売れっ子になってそれなりの服装を心がける絵師もいれば、ずっとラフな格好で通す絵師もいる。
そのせいで「えっ、このおっさんがそんな大物絵師なんですか?」と誤解されるのは往々にしてあるのです。

ラフな大物絵師代表・歌川国芳/wikipedia
歌麿と蔦重の場合、歌麿はまだ若く、かつ童顔ということもあるのでしょう。
蔦重が訂正し、挨拶します。
「ああっ! こりゃご無礼仕りの三郎!」
そう頭を下げる釜屋。なんでも彼は黄表紙にハマっているそうで、蔦重はそつなく歌麿の絵本を渡すと、釜屋は目を輝かせて見入っています。
蝶々の絵を見た釜屋が「ぱたぱた〜」と真似し始める。彼は歌麿の絵に惚れ込んで、あまりの美しさに涙したんだとか。それで家を飾る絵を、肉筆で依頼してきたのです。
「肉筆で!」
思わず歌麿も感動しています。
肉筆画とは、要するに普通の絵ですね。浮世絵は版画で大量生産をしていたのに対し、一点だけの肉筆はそれだけでも珍しい。例えば襖や幕に描くものがそうです。
当然、費用も張りますので、それなりにお金のある依頼人か、皆で出し合って呼ぶような状況でないと依頼はこない。
まだ若く売り出し中の青年絵師が、肉筆画の依頼をわざわざ受けるというのは、それはもう大変なことでした。歌麿が明るい顔になるのも当然でしょう。
そして、この肉筆画が描かれる過程を、よく映像化したと思います。
用意する側もとても手間がかかる。なにせ歌麿の絵を想像し、再現し、襖に描かなければなりません。手間を惜しまないからこそできる素晴らしい場面なんですね。

辰巳芸者を描いた喜多川歌麿の肉筆による掛軸画『深川の雪』/wikipediaより引用
歌麿が、きよの前で、襖に絵を描いています。
蜻蛉の部分は、全て染谷将太さんが描きました。彼は撮影の合間もずっと筆を手にとり、練習に励んでいるそうです。
そんな歌麿の喜びをきよが感じ取り、身振りで精一杯はしゃいでいます。
「そう! めでてえってこと! よかった! おきよがいたら、俺、なんでもできる気がするよ」
感極まってきよを抱きしめる歌麿。彼女も背伸びして、幸せそうに歌麿に抱かれています。
しかし、そのくるぶしには一つの赤い斑が……。
蔦重の名誉欲が頭をもたげる
つよは歌麿の依頼を聞き、そんなお大尽がいるのかと驚いています。
江戸でねえからだろうと返す蔦重。彼は痛快に思っているようで、江戸っ子の気持ちを理解しています。遊ぶな、働け。そう言われてクサクサしているだろうと。
そんな蔦重を懸念するていの姿が映ります。
蔦重はふてぶてしい仕草で煙管を吸いながら、こう言う。
「遊ぶってなぁ、生きる楽しみだ。楽しみを捨てるってなぁ、欲を捨てろってこった。けど、欲を捨てることなんかそう簡単にはできねえんだよ」
「たやすく捨てられちゃ、坊さんになるための修行なんていらないもんねぇ」
「おお、いいなババァ! ほら、黄表紙でも書いてみっか」
つよも同意して意気投合してますぜ。みの吉も危うい案思を思いついていますぜ。
「皆の捨てた欲がふんどしの守に取り憑いて、毎夜の吉原通いってのは?」
「お前も書いてみっか!」
蔦重は浮かれていますが、相変わらずていだけが沈んだ顔をしている。
蔦重は何か忘れていますね。
欲を捨てるのは坊主や定信だけではない。あれほどの美女に囲まれていながら、吉原者であったころの蔦重は、女の色香に迷う欲を捨てさせられていました。長いこと瀬川への思いにも気づかないほどでした。
忘八に階段から蹴落とされることもなくなり、欲が頭をもたげてきたように思えますが……。
棄捐令、中洲取り壊し…定信の改革は続く
松平定信は我が道を突き進み、政治を実行してゆきます。
次に取り組むのは棄捐令(きえんれい)。武家の借金を帳消しにするものです。
何のための対策か?というと、鳥山検校が出てきた際に問題提起がありました。新井美羽さん扮する武家の娘・さえは、困窮したため吉原に売られてくる姿が描かれました。その解決策です。
といっても、定信の場合は救うというより、困窮した武士が己のために働かぬため、対策として出したようではあります。
「そんなことをしたら金を出す札差が倒れ、いずれ金が借りられなくなる」
周囲の者たちはそう反対するも、定信は強引。倹約さえすればそもそも借金などないと返すばかりです。
一応、札差が破産したり、貸し渋りをしないための対策もあるようです。
そして異論があれば申し出るようにと釘を刺しつつ、次に「中洲の取り壊し」を命じます。
田沼意次が作った中洲新地のことですね。
定信は「俗悪の巣窟!」と吐き捨て、女、見世物、博打の興行がなされていたと憎々しげに語っています。
風紀の乱れだけではなく、大雨の際、氾濫して危険であるという理由もあるのでしょう。田沼政策を否定できるとあって、生き生きしている。
定信の理論としては、遊ぶところがあるから遊ぶ。ならばその場所を破壊するという理論に落ち着いています。
それをすると禁令を潜り抜けるだけになるといえばそうですが、一理あると言えなくもない。
実は、蔦重も似たような結論に至り、田沼意次に訴えようとしましたね。
他の岡場所が繁盛して吉原が廃れたとなったとき、商売敵を潰せばいいと考えていたものです。若さゆえになせる早急な結論かもしれない。

『江戸名所百景』の内「みつまたわかれの淵」 隅田川対岸から眺めた安政期の中洲/wikipediaより引用
さて、その吉原はどうなっているのか?
中洲取り壊し後の吉原へ蔦重が訪れると、多くの女郎たちでごった返していました。
りつによると、中洲が取り壊され、他の岡場所も取り締られて、余った女を吉原に放り込んできたそうです。
結果、起きたのは価格破壊――もう店では抱えきれず、女郎たちは道ゆく男に声をかけています。
「わっちは24文! 一切24文でいいよ!」
「あたいはもっと安くするよ」
そんな声も聞こえてきます。
蕎麦一杯、浮世絵一枚、そして最下層女郎である夜鷹の代金は16文を基準としている。そんな最低価格と大差ないところまで価格崩壊しているとは、吉原もすっかり落ちぶれてしまいました。

月岡芳年『月百姿』に描かれた夜鷹/wikipediaより引用
月代が伸びたむさ苦しい浪人はこうだ。
「倹約のご時世だぞ、うぬらも倹約しろ、倹約」
値切ってんのか、しょうもねえな。りつが「これが倹約の成れの果てさ」と力なく呟く。
新之助とふくが憤ったように、経済政策の行き詰まりは最下層の者にのしかかってくるようです。
吉原を救えないか?
蔦重が親父たちに「一切百文以下にはしないようにできないか」と掛け合っています。
しかし大文字屋は値上げができないと嘆く。
倹約、倹約で誰も物を買わなくなった。客も景気が悪い中で遊んでいるからどうしようもない。
蔦重が大店について尋ねると、サッパリなのだとか。
「倹約令なぞ、なんのその」と気を吐く札差が頼みの綱だったのに、それも棄捐令でやられたそうで。
茶屋や見番(けんばん)廃止を言い出す女郎屋も出てきたとか。
こうした吉原のシステムは、ドラマ序盤で散々描かれてきた蔦重の生業でもありますね。
それだけに蔦重もギョッとしている。まさにその商いをしている駿河屋によると、口利きの金にも倹約の影響が及んでいるようです。
蔦重が、そんなことをしたら無法な輩が入りたい放題だ、女郎の身が危うくなると懸念を表明。
女芸者を世話するりつに目配せし、女芸者だって見番に守られていると言います。
「これじゃあ吉原はただの大きな岡場所。女郎は一分の夢も見られない、めっぽうでかいだけの地獄になっちまうよ」
りつはそうまとめました。
確かに女郎にとって吉原は苦海。それでも前回出てきた松の井改めおちよのように、幸せを掴む者もいました。
しかし今はそれすらない。りつはそう諦めきっているように見えます。
蔦重も思いつめた様子です。
帰宅すると、みの吉相手に「倹約吹き飛ばすぞ!」と語りますが、そんな夫を眺めるていの目線は冷たい。
「ってことで、吉原を救うためのもんを考えたいんだ」
蔦重は、山東京伝と喜多川歌麿を前にそう言い出しました。歌麿は頼まれるとすぐに引き受け、蔦重は絢爛豪華な女郎を描くように依頼します。
一方で京伝は顔色がすぐれず、気もそぞろ。そんな士気の低さを見抜いたように蔦重はこうきた。
「政演、お前、吉原にはさんざん世話になってる身だ。やらねえとは言わねえよな?」
「けど、お咎め受けるようなのは……」
受注側の逃げ道を塞いで何言ってんだこいつ。このド腐れ発注者がよ。
「分かってる。いっちゃん悪いのは倹約なんだよ。倹約ばかりしてちゃ、景気が悪くなり続け、皆貧乏。そのツケはつまるとこ立場の弱えやつに回されんだ。そういうことを面白おかしく伝えてほしいんだ。世にもふんどしにも。例えばよ、倹約が行き過ぎて、てめえそのものを倹約するってなぁ、どうだ? それが流行って国から人がいなくなっちまうってなぁ!」
ここで滔々と持論を展開する、痛いおっさんと化した蔦重。
歌麿もちょっと引いた顔をしております。その気持、わかるぜ。
下の者が「できないんです……」と苦しい訴えをしているのに、その訴えを無視して天下国家だの、持論展開だの、言い訳だの、ダラダラする激痛おっさん仕草じゃねえか!
蔦重よ、てめえの持論展開は柱相手にしてろってんだ。
ハラスメント野郎と化した蔦重
そんな激痛蔦重をていがそっと心配そうに見ておりましたが、意を決したように入ってきます。
「お二方とも、どうか書かないでくださいませ! 然様なものを出せば、歌さん、政演先生……蔦屋もどうなるか知れません。どうか書かないでください!」
ここで空気を読むことを忘れた激痛おっさんの蔦重は、吉原では一切24文で身を売っているだのなんだの言い出しました。
だから、知るかってんだよ、そんなもん!
黄表紙出せば吉原が救えるってのかい?
それじゃまるでお前さんがこれまで出版物で吉原を救ってきたみたいな言い草だな。と、私なら言いたいところですが、おていさんはこうだ。
「大変申し上げにくうございますが、旦那様は所詮、市井の一本屋に過ぎません。立場の弱い方を救いたい。世をよくしたい。そのお志は分かりますが……」
ていはそう言いながら立ち上がり、蔦重の横でこうきました。
「少々己を高く見積り過ぎではないでしょうか!」
「あァ?」
眼鏡を外した彼女が容赦なく続けます。
歌麿も「眼鏡?」と驚き、政演は強い目だと感心しています。蔦重は勘弁したように瞑目したようで、こう返してきます。
「昔、陶朱公のように生きろって言ったのはどこのどなたでしたっけ?」
夫婦間の言葉を人前で曝け出す、卑劣な蔦重。
しかし、おていさんはひるまず即答。
「韓信の股くぐりとも申します」
これは劉邦の天下取りに貢献した名将・韓信が、若い頃に無頼漢から「俺の股をくぐってみな」と煽られ、それに従った故事のこと。屈辱に堪えてこそ奮起できるということです。
※韓信胯潜之図は「足立区立郷土博物館公式サイト」へ
しかし、無教養な蔦重はうまい返しを思いつくことができず、しつこくこうだ。
「世をよくするような商人になれって言いませんでしたっけ?」
いますよね、議論で勝てないとなると泣き落としに持っていこうとする奴。かえってしらけるだけなんですよ。
「倒れてしまっては志を遂げることもできませぬと申し上げております!」
蔦重はあまりに知恵がない。
だもんで、京伝相手にせよ、てい相手にせよ、過去の相手の言動をちくちく突くしかない。
「春町先生は黄表紙の灯を消さねえために腹まで切ったんだ! それをてめえらの保身ばっかり……恥ずかしいと思わねえのか!」
しまいには、死人の言葉を勝手に自己解釈して捏造し利用する。蔦重よ……堕ちるところまで堕ちたか……。
ていは睨み返すばかり。彼女には奥の手があります。
そもそも日本橋の店はていのものだったということ。店を潰しかねないと三行半つきつけて、蹴り出してもよいところです。そんなに吉原が好きなら、吉原へ戻ればいい。
蔦重はていとの誓いも守っちゃいません。
今では鶴屋からもらった耕書堂の青い暖簾がたなびいていますが、本来はていが元々使っていた暖簾を守ると言っておりました。それを反故にしたままなんですね。
しかし彼女は、いつでも喉首を掻き切れる相手なぞどうでもよいのかもしれない。獅子吼を一通り聞かせたとばかりに眼鏡を掛けます。
「黄表紙の灯が消えることをご案じなら、このような向きはいかがでしょう?」
ていは女諸葛です。蔦重の手札を逆手に取り、青表紙を取り出してきました。
『金々先生』以前の青本は、人の道を説く教訓を旨としたものだったと語る。それなら御公儀も目をつけぬと主張します。
京伝は蔦重より教養もセンスもあるので、こうきました。
「温故知新ってことですか。今やかえって新しいかもしれませんね」
「ふざけんじゃねえよ!『金々先生』の前に戻るってなぁ、それじゃ春町先生は一体(いってぇ)何のために生きてたんだってなんだろうが! てめえには情けってもんがねえのか!」
そう立ち上がりぶちまける蔦重。一体何を言っているのか……。
「春町先生のご自害は、私どもに累を及ばさないためのものでもありましたかと!」
「だから……」
否定しようにも、蔦重はそう記された遺書を読んでいますからね。
「故にお咎め覚悟で突き進むことは望んでおらぬと存じます!」
「はぁ……」
そう言うしかない蔦重。ていに完膚なきまでに叩きのめされました。
蔦重は人相がすっかり悪くなり、歌麿も京伝も、その顔色を窺うようになっています。
それに蔦重は勝手に自分の人生を書き換えています。
あの口ぶりでは、まるで『金々先生』で黄表紙を生み出し、春町先生をブレイクさせたのは俺、春町先生の意志は俺のもの、俺のものは俺のもの――とでも言いたげに思えてくる。
しかし、元祖黄表紙たる『金々先生』は鱗形屋孫兵衛が出したものでしたね。
鱗の旦那がいないからには、言いっぱなしにできるのかもしれませんが、そうできない人もいるでしょう。
今、西村屋与八のもとで働いている、鱗形屋の二男である万次郎がこのことを耳にしたら、きっとこう言うでしょうね。
「親父の褌で相撲をとりやがって!」と。
蔦重はこの点、まったくもってふんどしの守を笑えやしない。
京伝に吉原で借りがあるとかなんとか言っていますが、その金を出したのはあくまで扇屋です。蔦重ではないのに、恩を着せているわけですよ。
もう吉原から出て日本橋の旦那なのに、いつまで吉原を後ろ盾にするつもりなのか。
蔦重はもう駄目かもしれない…
蔦重は机に向かい何やら考え、ていは市場通笑(いちばつうしょう)の作品を読んでいます。
すると後ろから覗き込んで蔦重はこうです。
「はぁ〜今さら通笑さんに頼む人がいるとはなぁ。大事ねえのか? もう随分書いてねえだろ」
「そちらこそ、大事ございませんか? 初めてお書きになる黄表紙の方は」
どうやら蔦重は黄表紙に挑んでいるようです。
「俺ゃ初めてじゃねえんだ。朋誠堂喜三二の手ほどき受けてっからよ」
「あら然様で。随分苦戦しておいでのようでしたので。てっきり初めてかと」
「あぁ?」
そうオラつくしかない蔦重。こんな奴の書いた黄表紙が面白くなるでしょうか?
そのころ京伝と歌麿もダメ出し中。いつもの蔦重ならもっとしたたかに「そうきたか」と考えると言い合っています。歌麿はそれでも春町先生の思いに囚われ過ぎているのかと言います。
春町先生。田沼様。源内先生。吉原の人。新さん。
そう歌麿が名前をあげると、京伝はむしろ戸惑い「荷、背負いこみ過ぎじゃねえ?」と返します。まったくだ、神君家康公気取りかよ。
歌麿はそれでも、生き残るとはそういうことかもしれないと返します。
駄目だぞ、歌麿、その考え方は危ない。歌麿はかつて己が殺めた二人を背負って身動きが取れなくなっていましたからね。
そこへきよがお茶を運んできます。足の赤い斑はますます増えている……。
京伝はきよと歌麿の馴れ初めを聞いてきます。
歌麿は、蔦重から聞いていないのか?と聞き返すものの、蔦重もよく知らないと答えていたそうで、歌麿ときよは視線を交わします。
「雨の日に、洗濯を取り込んだのが縁で」
そんな純粋な出会いに戸惑う京伝。歌麿はそういう縁だ、きよは親も随分前になくしたようだと続けます。
「今日まで生きてこられなかったんだよな……」
歌麿はしみじみとそう言います。
身を売るしか生きる術のない人たちにとって、遊ぶなだの、倹約しろだのということは、野垂れ死ねということになる。あらためて彼なりにそう考えているようです。
「ほかに身を立てる道が支度されんなら別だけど……そんなもなぁめったにないわけで。つまるところ、買いたたかれるしかねぇ。弱い者にツケが回るってなぁ、蔦重の言うとおりなんだよな」
ここで京伝も考えたような顔になるし、きよは不安がってしまいます。
歌麿は「おっ、大事(でぇじ)ねえよ」と慌てて笑顔を見せます。はにかんで出ていくきよでした。
「どうしたもんかねぇ」
そう言って茶を飲んだ京伝は、襖絵に目を止めて感心しています。
「ありのままだなぁ」
そう花の魂まで映しとったような絵に、京伝も感じ入っています。
さて、歌麿と京伝のコンビは、女郎の買い方指南本を思いついています。黄表紙ではないそうです。
よい客はこう。悪い客はこう。そう分からせる、いい客を増やす本だそうです。
なんでも京伝は、歌さんの絵はありのままだから面白い、そうならないかと言い出します。小話もそういう具合にしたいんだとか。
歌麿と京伝はわかるおもしろさが、蔦重には理解できなくなっているようです。
京伝は戸惑いつつ、ひとまず書いてみると言い出します。蔦重は己の勘が鈍っていることにすら気づいていません。
こういうセンサーの鈍った発注者は、受注者にとっても迷惑です。
以前は「おもしれぇ!」「こうきたか!」と言ってくれた。そんな創意工夫をこらしても反応しない。隙さえあれば自分語りをしようとしてくる。己のセンスが鈍ったなんて毛ほども認めやしねえ。
実に辛いもんですよ。
かといって、どうせ指摘しても認めないし、顔色を窺っていくしかないんです。でも果たして、そんなセンスで売っていたプロデューサーの鼻が鈍って、いつまで続くのやら……。
一橋治済と松平定信の攻防
松平定信は、大奥の大崎に倹約を進めています。
なんと鈴木越後の羊羹を日々使いにしているのがけしからんそうです。現在の鈴木亭の前身ですね。「羊羹など自作しろ」と言い出しました。
さらに懐から書類を取り出します。
大崎がそっとそれを開くと、倹約リストでした。反物、小間物、参詣、遊山を削れとわざわざ書付にしてきたのです。大崎は倹約が苦手だろうから、私がまとめてきたと言い募ります。
大崎は黙り込むしかありません。
次の場面で、定信は一橋治済の前にいます。
嫌がらせのように能面を並べておく治済。今回も心理作戦ができております。
治済曰く、大奥があまりに質素であるのは御公儀の威光に関わるとのこと。それに参詣や遊山はストレス発散のためでもありますし、優しさが欠けているといえばそうですね。
それでも定信は、大奥の中など表に見せるものではない。贅沢であれば威厳があるということは浅薄極まりない意見だと強硬です。
「大奥の女たちには外に出る楽しみもない。中で楽しむほどのことと情けをかけてやってはくれぬか?」
そう言われ、定信はこう返します。
「では、中の楽しみを減じぬような倹約の手を私の方で考えましょう」
「お手柔らかにな」
治済がそう返しながら、次の議題へ。朝廷からの「尊号一件」でした。
光格天皇は複雑な経緯で即位しており、その父は天皇ではありません。そこで天皇としては、父に太上天皇(上皇)の尊号を贈ろうとしたのです。
治済は、特に金がかかるわけでもないから認めても良いのではないかと言います。
定信は御三家に確認すると返答。すると治済は、紀伊中納言が体調不良であると告げます。
「お風邪と聞いておるが、もうよいお年であるしのぅ」
そう返す治済。穏やかなようで火花散る場面です。
実は天皇と将軍は、同じ悩みがあるといえる。
家斉にせよ、父である治済は将軍ではありません。もしここで天皇の父が上皇として認められるならば、己の父を「大御所」とするはずみもつきます。そうなれば治済は将軍の父としてますます権勢を振るうことができるわけです。
そこで定信は、あくまでまだあなたは御三卿に過ぎぬと突きつけるように、御三家を持ち出し牽制する。
治済はそれに対し、御三家で最も力ある紀州が弱っていると返すのです。
己の物差しだけで測るのは危うい
紀州中納言こと徳川治貞の前に定信がいます。
治貞は過度な倹約を懸念しているようですが、定信は締め付けねばあるべき世にならぬと答える。
すると治貞は、和学者・本居宣長からの政治の意見を出してきました。物事を急に変えることはよくない――理屈っぽい定信は、こうした識者の意見だとすると通りやすいのです。
「そなたが間違っているとは思わぬが、急ぎ過ぎると、人はその変化についてこられぬのではないか?」
そう優しく諭す治貞。動揺をかすかに滲ませつつ、定信はこう返します。
「心得ましてございまする」
「悪をなくせると思わぬ方がよいとも」
「……悪をなくせるものではない?」
「全ての出来事は神の御業の賜(たまもの)。それを善だ悪だ、我々が勝手に名付けておるだけでな。まぁ、己の物差しだけで測るのは危ういということだ」
うつむきながら定信はこう言います。
「世は思うがままに動かぬもの。そう諫言した者を、私は腹を切らせてしまいました。その者の死に報いるためにも、私は……我が信ずるところを成しえねばなりませぬ!」
嗚呼、やはり……定信は、春町の死をなんとも思わぬどころか、死諫だと思ってしまったようです。
ここの場面は、蔦重にも聞かせてやりたいものですね。
山東京伝作『傾城買四十八手』は傑作だ
山東京伝作『傾城買四十八手』が出来上がり、蔦重が目を通しています。
しかしこうしてみてくると、春町があの世から甦って、定信にも蔦重にも「ちがう、そうじゃない!」とダメ出ししてきそうな気がしてきます。
蔦重はみの吉にも原稿を読ませる。
緊張した面持ちの京伝。こんなに蔦重が険しい顔をしていたら、みの吉だって褒められねえでしょう。
「指南書って話じゃなかったか?」
そう問われ、京伝は初めはそのつもりだったけど、女郎と客のありのままを書くのが楽しくなって、指南書がこじつけになったと言います。
そのうえで出しても意味がねえかというと、蔦重は強圧的にみの吉に意見を求めます。
みの吉は戸惑いながらも「てめえがこの場にいるような気になる」とかなんとか言います。まぁ、そんな短時間で感想を求められてもな。
「どうもおかしな具合なんだよ。景色が目に浮かんできて、出てくる女郎や客が動いて喋って……そりゃ俺が吉原育ちだからかって思ってたんだけど。そういうことじゃねえんだよな、みの吉」
みの吉は夢中になって読んでいて、声をかけても気づきません。なんでも最初の話の女郎が妹に似ていて、幸せになって欲しいと思ったそうです。
「これが才ってやつか……」
蔦重もついに認めました。
「女郎を姉妹(きょうだい)や知り合いのように思わせる。幸せになって欲しいと願わせる。これ以上の指南書はございません。うちで買い取らせてください」
蔦重は素直に認めました。
京伝も安堵し「お高くお願いします」といいます。元通りになって笑う蔦重に、ていも安堵しているようです。
売れっ子戯作者、山東京伝は誘惑される
このあと原稿料で遊びに行ったのか。
女郎屋の赤い寝具に寝転ぶ京伝の目線の先には、彼岸花のように婀娜っぽい菊園という座敷持花魁が針仕事をしています。
「おや、惚れ直しんした?」
「直した、直した」
そう笑う京伝。しかし京伝てなぁ、まぁさんと同じく根っからの女好きでさぁね。
女という存在そのものが好きなので、踊ったりわざと色気を見せていなくても、ただ相手がそこに佇んでいるだけで、常に惚れ直しているんでしょう。
菊園はそんな京伝に、暮れで年季明けだと告げます。そのうえで、手元に置くのはどうかと持ちかけます。
「こ〜んな甲斐性なしと一緒になってどうすんだい。俺ゃあちこちで遊ばせてもらってるだけのすかんぴんよ」
京伝が笑いながら答える。本当の色男はこういうときガッつかないんでしょう。
「そこで、この一冊にござりんす」
菊園がそう出してきたのは、人の道を指南するという心学の本です。今でもある、よりよい生き方を求める本でさぁね。当時の流行でもありました。
京伝は「人の道ねぇ」と言うと、菊園は大和田という本屋が先生とお仕事をしたいと、言づけていったそうです。
礼はとびきり弾むとか、いま流行っているとか言われて、京伝は乗り気になっている様子。
この作品はあまりに過剰な色香を見せないよう、抑制的にも思えるのですが。頬にかすかに笑みを刻む京伝は、襟がはだけていてなんとも悩ましい姿に見えます。
望海風斗さん扮する菊園の謳うような低い声も、淵へと引き込むような魅力があります。
この菊園に騙されねえでどうする? 騙されてこそだろう。
ていは京伝の新作『傾城買』をしみじみと読んでいます。
蔦重がその感想を尋ねると、ていは二番目の話を読み、女郎の客に夫の影をよぎらせて複雑な心境になっていました。
考えてみればそうですね。蔦重、おめえさん、女将の心情にあまりに鈍感じゃねえかい?
「故に私は今心の底から、二番目の女郎さんの幸せを願ってやみませぬ」
そう面白いと念押しするてい。
「それ読んで、ふんどしも願ってくれねえかね。てめえ以外の人に幸せんなって欲しいって」
そう蔦重は言います。
「尊号一件」で定信は勝利したのか?
一橋治済が能面をつけながら、定信に尊号一件のことを尋ねます。
定信は、御三家と協議の上、不承知としたのだとか。
先例を持ち出す定信。かすかに苛立つ顔の治済。するとそこへ報告を持った者が入ってきます。困惑していると、定信は自分に遠慮するなと言います。
知らせとは、大崎が老女を罷免されたことでした。
定信は勝ち誇ったように、大崎が老女にふさわしくなかったと並べたて、こうきました。
「お約束通り、楽しみを減ずることなく、倹約もかないましたかと」
「どうも田沼も真っ青な一存ぶりじゃが」
「上様の命とあらば、いつでもお役を辞する覚悟にございます。御金蔵の立て直し。武士の暮らし。市中の風俗取締まり。蝦夷。朝廷。懸案は山積み! このお役目を引き受け、事を成し得るお方がほかにあるならば、私はいつでも退く覚悟にございます」
そう強気に出ながら辞表を叩きつける定信。これまた再来年の『逆賊の幕臣』に出てくる人物たちが見たらため息をつきそうな場面です。
確かに、松平定信がもう少しなんとか粘り、せめて蝦夷地のことをロシア相手に筋道をつけていたならば、歴史は変わっていたのでしょう。
山東京伝作『心学早染草』は大傑作だ
明けて寛政2年(1790年)正月――蔦屋が新作を並べています。
蔦重初の黄表紙も形になって売りに出されましたが、さっぱり売れないようで。
そりゃあ少し齧っただけで書けると勘違いした奴の作品なんて、読みたくないですよね。
客足は新年なのにどうでもよくないと蔦重が嘆いていると、鶴屋喜右衛門が一冊の本を差し出してきます。
『心学早染草(しんがくはやそめぐさ)』――山東京伝作で、大和田という本屋から出したそうです。
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善玉・悪玉の由来である山東京伝『心学早染草』は今読んでもニヤニヤしてまう
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鶴喜に「何か聞いていたか?」と問われ、戸惑う蔦重。
そもそも心学とは何なのか?とつよが聞くと、道徳を説くものだとていが解説します。
よい魂(善魂)と悪い魂(悪魂)が戦い、善が勝利するという話であり、現在まで伝わる「善玉」「悪玉」はここからきているのだとか。それほど出来の良い作品だそうですぜ。

『善玉悪玉 心學早染草寫本』(東京都立中央図書館所蔵)/出典:国書データベース
蔦重は口をひんまげてそれを見ています。
なんせ越中守の進める道徳政策をエンタメにした、応援企画みてえなもんですからね。
蔦重はそれを借りると、どこかへ向かってゆきます。
そのころ京伝は、扇屋で菊園の前にいました。馴染んでもう三年。月の半分はやってくるってよ。
そりゃもう女房だと扇屋が言い、「毎月のお小遣いも」と菊園が続くと、扇屋は大仰に「そりゃもうおっかさんじゃねえか!」と続ける。
京伝、もうこりゃ、覚悟決めるしかねぇな。
「政演、どこだ! 出てこい! どういうこったい、こりゃあ! こんなふんどし担いで何考えてんだよ!」
そこへ蔦重がやってきて、絡み始めました。
客室を荒らし回って“政演”を追い詰める蔦重。
野暮だね、無粋だね。駿河屋から階段落としでもされりゃいいのによぉ。
蔦重は京伝を捕まえると、こんな面白いものを出されたらみんな真似して、ふんどしを担ぎ出すと荒れ狂っています。うぜぇ! 階段落としだけでなく、桶伏せにでもあっちまえ。
「春町先生に、草葉の陰から雷みてえな屁ひられっぞ!」
またもや死人を持ち出す蔦重。京伝は面白ければいいと反論します。
「面白えことこそ黄表紙で一番大事(でぇじ)じゃねえですかね? ふんどし担いでるとか担いでねえとかよりも! 面白くなけりゃそれこそ黄表紙は先細りになっちまうよ! それこそ春町先生に嵐みてえな屁ひられるってもんじゃねえですかね!」
「何度言やぁわかんだよ! 戯け者はふんどしに抗っていかねえと一つも戯けられねえ世になっちまうんだよ!」
京伝の頭を書物で殴りながら、あくまでも我を通す蔦重。書を以て世を耕すどころじゃねえな。あー、やっぱりこいつ、階段から落としてえわ。
京伝はすっかり醒め切った顔になり、そしてこうだ。
「俺、もう書かねえっす。蔦重さんとこでは一切書かねえっす!」
そりゃそうなるわな。ざまぁみろだよ。
MVP:ていと山東京伝
どこか危うい――そんな蔦重の醜悪さが炸裂した回。
すっかり人相も悪くなっちまいました。
ていと山東京伝が、そんな蔦重を追い詰める様は、『鎌倉殿の13人』最終回における“のえ”と三浦義村を連想させられました。二人がかりで闇堕ち主人公を始末しようとする展開ですね。
さすがに毒を盛るようなことはしないけれど、心理をばっちり破壊するコンビ。
まず、残酷な事を指摘しますと、二人とも蔦重より賢いのです。
そのうえで、こう言えば相手は返せないと手加減しつつ応対しているのがわかる。
ていは「誰の店だと思っているのか?」という奥の手を隠しておりますが、京伝は「じゃあ、もう俺は書かないっす」と切ってしまいましたね。
ざまあみろです。スカッとしました。
ていはジェンダー描写としてみても実に秀逸です。
2024年と2025年の大河ドラマは、主人公の男女のうち、女性が知力において勝り、かつ男性に呆れるという組み合わせです。これはなかなか画期的ではないですか。
しかし、地獄はまだまだ続きますぜ!
『鎌倉殿の13人』最終回では、このコンビだけでなく、主役である北条義時とずっと頑張って歩んできた北条政子が、最終的に義時を始末しました。
この政子に該当するのが喜多川歌麿になりそうな気もします。
秋の風物詩といえば、秋刀魚や紅葉だけでなく、大河ドラマの主人公周辺が破綻に向かうことも、私にとってはあてはまります。
乱世ではないため血飛沫はなくても、そのぶん心理を引きちぎり、破壊する仕掛けは随所に見られます。
今年の大河は味わい深い地獄が待ち受けていそうで、収穫の季節をじっくりと待つこととします。
いやあ、大河ドラマを見る楽しみは、やはりこういう展開ですね。
総評
去年と今年の大河ドラマは、馴染みのない時代のせいか、関連番組が充実しております。
『三ヶ月でマスターする江戸時代』は本当に素晴らしい出来でした。
『べらぼうな笑い 〜黄表紙・江戸の奇想天外物語!』は劇中に登場する黄表紙を案内しております。
そして『写楽のスマホ』も、実によい案内です。おちゃらけ企画のようで、実はヒントが散りばめられております。
まず、写楽の正体から。
能役者の斎藤十郎兵衛説を採用しており、『べらぼう』もそうなることでしょう。
むしろ他の説は強引なこじつけか創作なので、無視して良いかと思います。大河ドラマで採用するのはまずいでしょう。
そしてオチが、ダメプロデューサー蔦重のせいでコケて一発屋になるという展開もまた、大河ドラマ本編で同様になると思えます。その予兆は丁寧に振りまかれておりますよね。
東洲斎写楽売り出し失敗は、今回を見ればもはや確定路線でしょう。
地獄はまだまだこれからです。
写楽の売り出し失敗で、誰も彼もが蔦重に対して完全に呆れ果てる未来が見えてきます。
店が傾いているというのに、売れるわけもない写楽に注ぎ込む蔦重。
その博打の手駒となる店だって、元を辿ればおていさんのもの。蔦重の破滅が当然のこととして思えてきて、私のワクワクが止まらないことは確かです。
実のところ、写楽をやたらと大物扱いするのはちょっと古いトレンドです。
昭和平成の広告代理店がわーっと盛り上げたような歴史ミステリの類ですね。
今どき「本能寺黒幕説」を語られたら、そんな古臭いメディアが盛り上げた話を取り上げるのかと驚きませんか?
実は写楽もそう。そんなに大物扱いされても、正直どう反応したらいいのか、私にはもうわかりません。
故に私は、極力誰とも浮世絵の話はしない。
いちいち「写楽は過大評価だと思うんだよ」とか言い出したら、相手だってウザいでしょう。
それも今年の大河が軽減してくれるかもしれないと思うと、心の底からありがた山でやんす。
『麒麟がくる』に続き、怪しげで歴史や文化にさして興味ないメディアが盛り上げた謬説を糺す使命を、このチームは担っているんですね。
そう先ばしって感謝してしまいましたが、社会への問題提起だって今週も止まりません。
今年は大河ドラマと世相がおそろしいほどに噛み合っておりまして、今はこうです。
「政治家がステマしているんだって? 大河の話かい、現実の話かい?」
いやあ、ためになりますね。
そういう天意ゆえの一致ではなく、狙い済ませた一撃も今週は炸裂していたと思います。
それは「少年の心を永遠に持っていると勘違いした中高年男性の横暴が業界を破壊する」という現象でしょう。
蔦重は聡明さや知識教養の量ではなく、愛嬌と気遣いで世の中を渡っていくタイプ。諸葛亮でなく、劉備系です。
それなのになまじ名があがったものだから、自分自身が力を持っていると誤解しました。
これはあるある現象かつ、ここ数年、テレビ周りも渦巻いていた問題ではないですか。
大御所芸能人や有名人が、自分はまだまだイケてる若いお兄ちゃんだと勘違いして、若い女性を無理矢理誘い出す。悪ノリを通り越したハラスメントをやらかして告発される。そんな悲劇が何度も起きています。
若い頃に夢中だった芸能人がそんなことをやらかして、落ち込んだ方も少なくないでしょう。
蔦重はそれでも、吉原出身であるにもかかわらず色気は抜きにしているから、まだ毒を抑えて見ていられると言えばそうですね。
しかし構造としては一致している。
もう若くもない、愛嬌もなければ柔軟性もない。自分の権力を意識できない。相手がそれに忖度しても気づけない。
そんなことだから、相手の諫言を聞くこともない。相手がついに限界に到達してそうしたら、自分は被害者だと思うようになる。
コンテンツを見抜く感受性も薄れている。
そういうセンスは衰えているのに、インプットを怠ってきたツケが祟り、アウトプットがどうしようもなく陳腐で面白くない。それなのに自覚すらできない。
相手を支配するため露骨に不機嫌な態度をとる「フキハラ」(不機嫌ハラスメント)です。
他責思考のくせに手柄は欲しい。失敗は自分以外の誰かのせい。成功は自分のおかげ。
そんな鬱陶しい激痛おじさんになっているのに、自分を冷静に見つめず、いつまでも若くてアイデアに溢れていて、世の中に挑む精神性があると勘違いしている。
あまりにリアリティがありすぎて、今回は見た後でのたうち回りました。
ついでにいえば、こりゃ何も大河初でもないかもしれませんぜ。
昨年の『光る君へ』の道長も、中盤以降はウザいものがあった。
権力者になっているのに、いつまでもまひろは若い頃の俺を愛してくれると言いたげに物欲しげな目をしていて、本当に嫌でした。
まひろから突き放された場面の絶望感は素晴らしいものがありましたね。
そして思い出すのも嫌なのですが、2023年『どうする家康』です。
ただし、あれはむしろ肯定的。いい歳こいても無責任で重みも何もない家康を全肯定する、嫌な甘えに満ちたドラマでしたね。
2024年と2025年はあの反省を受けて、激痛おじさんを批判的に描いているのではないかとすら思えます。悪霊退散です。
こうした激痛おじさんにありがちな態度は、成熟しないこと。
自分が色々なものを背負っているのだから、それを守るべく大人として振る舞わねばならない。
それがなく、幼稚な願望充足だの、救世主気取りでの無茶ぶりだの。そんな無謀な博打に挑むところがよろしくないのです。
こういうことを書くと「激痛おばさん」はどうかと突っ込まれますよね。
性別というよりもこれは権力の問題です。
世の中はどうしたって男性が出世して権力を持ちやすいので、相対的におじさんが目立つということです。
歴史を見れば激痛おばさんもおりますよ。武則天とか、エカチェリーナ二世とか、西太后とか。大奥にもいたことでしょう。
そうはいっても、女性権力者は男性よりも厳しい目線にさらされますし、無能なら失脚しやすいものでもある。ここであげた女性為政者には、実力と責任感はあります。
さて、蔦重の場合ですが。くどいようですが最後の博打である写楽が失敗するので、ある意味安心感を持って見ていられますね。
やはり歴史劇とはこうでないと。
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【参考】
べらぼう公式サイト




